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夜が明けはじめて思うこと ~カナダ大麻合法化にあたって~

 2018年10月17日。カナダでは大麻が全面的に合法化された。同じ日に、オーストラリアで合法的に大麻農家を営む唯一の日本人である磯貝久さんをお招きして、東京で講演会を開催した。多くの方が参加し、大変熱気を感じる会が催された。数年前では考えられないような光景だった。

 2001年7月。僕はカナダの太平洋側のブリティッシュコロンビア州にあるクートニー湖の畔にあるネルソンという町にいた。当時のカナダでは、医療用の大麻の供給を行うための民間組織があり、医療用に栽培した大麻を患者に対して流通させていた。これは当時はもちろん違法であった。しかし、その品質は高く、ここで栽培されている品種は、ブリティッシュコロンビア州の名を冠して「BCバッツ」と呼ばれ、患者のみならず、世界中の愛好家に親しまれるほどだった。このBCバッツの栽培農家の人たちが、日本人である僕たちを数人招待してくれた。最も遅れている、そして、大麻を必要としている人たちであろうという思いから、日本人である僕たちを招待してくれたのだ。少々複雑な思いでもあったが、大変有意義な経験だった。

 彼らは、ロッキー山脈のふもとに山の斜面に数千の大麻を植え、育てていた。一つひとつの株を丁寧に育てていた。室内栽培もおこなっていた。しかし、これらはもちろん違法だ。そのため、当局がヘリコプターも動員してチェックをする。町ではアンダーグラウンドの人びとからの暴力的な妨害を受ける。おまけに畑には熊も出る。さまざまな障害がありながらも、彼らは大麻を栽培し、供給しつづけた。
「なぜリスクを冒してまで、そのようなことをするのか?」
僕は、リーダーであるポールさんに尋ねた。
 答えは明快だった。それは、患者さんたちのためであり、自分のためでもあるということ。そして、大麻が悪いなどともつゆほど思っていないと。日本で活動を続けている僕にとっては、自分自身の状況と照らし合わせると、その明解さが耳に痛かった。そして彼らの運動が、今回のカナダでの大麻合法化につながっているのである。そして、僕らが訪れたその週に、カナダで初めて医療大麻合法化の法案が議会を通過したのである。その日から今回の全面合法化を迎えるまで、実に18年もの歳月を要している。アメリカにしてもカナダにしても、EUやオーストラリアでも、棚ボタ式に大麻が認められたわけではない。そこには多くの逮捕者をだすほどの犠牲があった。激しい市民運動の先に今がある。日本でも犠牲者を出せばいいなどとは言ってはいない。しかしやはり、お上から頂いた権利など、けっして本当の自由ではない。アメリカが解禁しそうだからと言って、その尻馬にのればいいなどの意見はどうかと思うし、アメリカと同じような状況にはならないだろう。

 そもそも、世界で大麻を禁止したのはアメリカだ。19世紀までのヨーロッパ列強は、植民地をつくるために武力と麻薬を利用していた。アヘン戦争がそのいい例だ。彼らは清国(中国)を手に入れるために、汚いほどにアヘンを使用した。それは未だに、日本を含むアジアの国々の手痛い記憶として残っている。アジアで大麻やハードドラッグが厳しく規制されているのは、そのためだろう。しかし、20世紀初頭のアメリカは、それを逆手にとった。清国の惨状を国際世界に訴え、麻薬を規制する、初めての国際条約をつくった。この国際会議を主催したのはアメリカであり、開催地であるハーグがあるオランダだ。この条約を締結する目的は、アヘンなどのハードドラッグであったが、アメリカはその中に大麻も入れた。一度は世界中が反対したが、二度目の会議でアメリカは強引に押し切ったのだ。その背景には、アメリカが石油繊維産業や化学薬品を推進していたのだという説が、今も語られている。この条約を締結するために動いたオランダもアメリカも、その後、それぞれの役割をしてゆく。アメリカは徹底的に麻薬をコントロールしながら、国際情勢をも操ってゆく。その行為は、19世紀まで麻薬によって植民地支配を続けていたヨーロッパ列強に変わって、表面的に麻薬を規制することで、実質的に同様の力を行使してきたといえる。一方のオランダは、国際条約の規制と真反対なことを行うことで、バランスを取ることを選択した。ところでアメリカは、ドラッグや精神変容の効果について、最も理解している国だといえる。だからこそ、大麻がヘロイン同様の最も危険なドラッグとして、現在も位置づけているのだ。その証拠に、ベトナム戦争さなかのアメリカ国内では、ヒッピームーブメントに対して大麻の使用を危険視し、弾圧を行った。アメリカに移住したジョン・レノンも、危険人物として当局からマークされ、殺されたではないか。
 そして21世紀。現在の大麻に対する世界情勢はどうだろうか。今のところ世界は、大麻解放の方向に向かっているように見える。大麻は今まで言われたほどの危険性がないことを、2018年6月にジュネーブで行われたWHOの分科会でも正式に発表されている。それと連動してアメリカ連邦政府も、法改正の準備を行っている。その一足先に、ウルグアイのムヒカ大統領は、大麻を全面合法化した。それは、一般市民をアンダーグラウンドの危険から遠ざけるためだという理由からだ。今回のカナダも、子どもたちを危険に晒さないための処置だと、トルドーが発言している。そもそも大麻をアンダーグラウンドにしたのはアメリカや、それに追従する国々である。その筆頭は、日本である。しかも日本は、自国で検証することなく、すべてを鵜呑みにして大麻を規制している。僕はこのことに対し、大いに不満を持っている。
 ところで、日本の大麻の原種には陶酔成分であるカンナビノイド・THCが含まれていなかったという声を聞くことがある。しかしそれは、まったくの間違えだ。THCが低い品種にトチギシロというものがある。これは、佐賀県で偶然発見されたTHCをほとんど含まない突然変異の株をもとに品種改良されたものだ。そもそも正常な大麻草であれば、他のカンナビノイド同様に、THCが入っている。当たり前である。因みに北海道の野生の大麻を吸ったことがあるが、見事にトリップした。ある地域で伝統文化として使用されている品種も、成分分析をしたところTHCが含まれており、喫煙すると効果を感じることができた。
 はっきりという。日本で伝統としている大麻も、嗜好として利用可能な野生の大麻も、本来は陶酔作用のあるTHCを含んでいる大麻草だ。どちらかを否定することは間違っている。しかし一部のひとからは、事実のことなる発言があり、それがまことしやかに流布されているのである。
 もう一度いう。日本の在来種は、インディカなどに比べれば陶酔作用は弱いが、まったくないということはない。そして昔から日本人は、大麻を喫煙する行為を行っていたのだ。それは習慣というほどのものではなかったかもしれないが、煙草の代わりにしたり、遊郭で使われたりもしていた。当時の日本人は、このことについて何の罪悪感も持っていなかったのである。これらの罪悪感は、戦後に生まれたといっていいだろう。日本の伝統的な大麻には陶酔成分は含まれておらず、マリファナではなかったのだという意見は、アメリカの保守と同様の戦後の道徳に歪曲されたものだと僕は考えている。
 問題は、これからの日本だ。
 医療用の大麻は、このままいくとモルヒネのような扱いを受けかねない。つまり、鍵をかけて厳重に管理された劇薬のような扱いを受けた大麻製剤が、医薬品会社を通して流通してゆく。その一方で、現在は食品として流通されているCBDさえも、薬品として規制されはじめるのではないだろうか。世界情勢を見ると、その流れにある。現に最も進んでいるといわれているカリフォルニア州でも、CBDに対する規制が始まった。これは今年、連邦政府のアメリカ食品医薬品局(FDA)がカンナビノイド製剤を承認したことに関係している。簡単に言うと、すべての利害は国が管理するということである。日本でも近い将来、医薬品としてのカンナビノイドは承認されることは間違いないだろう。そのことは、数年前に厚生労働省の幹部に取材した経験から推測できる。つまり、日本でも大麻製剤に対する利害の枠組みは完了したということだ。


 しかし僕は思う。大麻はハーブだ。ヨモギやシソやドクダミと同じ、日本古来の薬草である。戦前までは、他の野草や薬草同様に、一般家庭で煎じたり喫煙したりすることで、大麻も民間薬として使用されてきた。大麻は、薬草として利用価値があり、庭で数株を育てることで、喘息やリウマチや解熱にも使える。しかも、副作用は少ない。このことは前述の通り、WHOをはじめとする科学的な決着はすでについているのだ。

 これらの事実を承知した上で、カナダ合法化に対してのNHKをはじめとする報道機関の姿勢をみると、僕は情けなくなる。本当のことを報道していないではないか。百歩譲って、「大麻を合法化すると風紀が乱れる」という道徳的なことをいったとしても、それこそナンセンスであり、民意が低いといわざるを得ない。道徳や社会規範は市民である我々がつくるものであり、国や政府が押しつけるものではないのだ。少なくとも、大麻についての科学的な立証は先進国と言われる国々でも、すでに決着がつきつつある。その中での日本のメディアの反応はこっけいなくらい微妙だ。例えば、カナダが合法化されたが日本人がカナダ旅行をして経験したり、患者さんが大麻の施術を受けると、日本の国内法によって逮捕されるとNHKや政府機関は呼びかけている。しかし、大麻を酒に置き換えたらどうだろうか。酒を巡る道徳はどうなのだろうか。例えばイスラム社会の人たちが、自国では厳罰のはずのアルコールを日本で飲んだとして、自国の警察が日本に来て、彼らを逮捕するだろうか。そんな漫画のようなことはありえない。それぞれの意志と判断で行動すべきだと僕は思う。

 すべてのひとに大麻を吸えとは言わない。生理的に受け付けないひともいるだろう。それはそれで大いに尊重するべきだ。それぞれの選択は自由であるべきだ。その上で僕はいう。医療用だけではなく、嗜好用についても全ての社会で合法化すべきだ。それは、僕自身が大麻が好きだということが大きな理由であるが、個人的なことについて、他人や国が介入すべきではないと考えている。そういう意味では、G7の中で国際条約を飛び越えて、大麻合法化をおこなったカナダは賞賛に値する。僕は、この事実を見据え、そして、2001年7月にカナダで出会ったあの人たちの行為を忘れない。
 もう一度、僕自身にもいいたい。決して棚ボタはないのだ。僕自身の自由は、僕が勝ち取るしかないのだ。

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