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書き初めと戦利品と(9-12歳)
小学生のとき、小3以降の年末年始は毎年書き初めに時間を費やしていた。
今思うとその経験は私にとって
良き思い出であり、
恒例の勝負所であり、
結果として今日まで書道を続けるに至った
1番最初のきっかけでもあるので、当時のことを
綴らせていただきます。わっしょい
きっかけ
書き初めをやったきっかけは全く特別な事では
なく、日本の小学校に通った多くの人が経験
したであろう冬休みの課題でした。
2歳年上の姉が毎年書いていたのを見てたので、
自分もやることになるのは前々から分かって
おり、特に疑問も抱かず同じように取り組んだ。
私の小学校では3年生になると書き初めの宿題が
あったが、学校用とは別に希望者はもう一枚、
書星会という書道団体に学校経由で提出できた。千葉県の一般社団法人です。
書星会
https://shoseikai.wixsite.com/shoseikai
提出すると字のランク付けが行われ、後日
その結果と賞状が届く。
なぜ母校とこの書道団体が仲良しなのかは謎。
とりあえず書き初めはこの書道団体にお世話に
なっていた。
練習
秋の終わりに手本が手元に届き、大体の人が
冬休み中に練習する。
私の家では、練習で大量に消費する紙と墨が
勿体無いので(という親の節約精神により)最初は
新聞紙を縦に切って書き初め用半紙の代わりにし、水で字を書く。
20-30枚くらい(だったか覚えてないけど)書き、
慣れてきたら墨を使って新聞紙に練習し、
なんとなく形を掴んできたらようやく練習用半紙に移行する。
新聞紙のが半紙よりつるつるしてて滲まなくて書きやすいから、半紙になるとまた感覚狂うんだよなあ〜とか思いながら書く。
毎年繰り返す。
その後はただただひたすら練習する。
書いて書いて、1袋20枚入りの半紙が無くなると半紙の袋に空気を入れて遊んだりする。
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字が良さげに整ってきたら清書用半紙に移行。
練習用半紙より滲みにくくて書きやすい紙なのです。その日のベストを残すのに必死になる。
10枚くらい良いのが溜まったらその中から
その日のいい字を1-3枚ほど残す。
父や母の意見ももらう。
そしてまた後日書く。
次回以降は新聞紙のフローは省略して練習用半紙からスタート。
こんなことを複数回繰り返す。
書き初めの先生
書き初めには毎年良き先生がご指導してくれて
いた。父の高校時代からの友人であり大学では
教育学部 書道の専攻。当時小学校の先生をされていた方と毎年年始に約束をして、字を書く際の
コツをご教示いただく時間があった。
冬休み中の小学校の教室で、先生の息子さん、
娘さんや時々知らない生徒さん?も一緒に
並んで書く。
先生が書く字は書星会が出すオフィシャルな
お手本より太くて力強く、かっこいい。
なので先生が書いた字をお手本にして練習する。
この1日でうんと上達する。
提出
ご指導をいただき、複数回練習し、学校が始まるまでにどうにかして納得する字を仕上げ、
担任の先生に提出する。
初めて書き初めに取り組み課題を提出した
小学3年生の時の話。
担任の先生から放課後呼び出された。
え…なんかやったっけ…。なに怒られるんだ…?
とか思いながら先生の机に向かう。すると
「林さんが書いた書き初めが学校代表になった」とか「席書大会の案内があるからお家の人に渡してください」とかいう話をいただいた。
よく分からないまま話を聞き、よく分からない
まま帰って家族に事情を説明したが、
よく分かってないので親に伝わらず、
渡された案内通知を渡し親に状況把握してもらう
と、どうやら書星会の”席書大会”という、県内の
各学校代表者が体育館に集い書き初めを行う催し
があり、自分が学校の代表として選ばれたと。
要はざっくり言うと、
書き初めの県大会的なものだと。
そこに行って字を書いてきなさいよと。
そういうことでした。
え。また練習しないと。
あんまり目立つことしたくないなあー…
なんて思いながら、席書大会当日までは学校から帰ると粛々と練習をしていました。
席書大会-結果
書星会の席書大会は、千葉県総合スポーツセンター体育館という場所に市内の小中高生500-1000人前後が集まり、一斉に書き初めを行う。
以下コロナ前2019年開催の席書大会の記事ですが、イメージこんなです。
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/566080
会場には千葉日報社という新聞社や千葉テレビが入り、後日席書大会のことが記事になったりテレビで放送されたりする。
始まる前に大会専用の半紙が3枚だけ渡され、
時間内に手本を見ずに書く。
書く時間が終わると審査員の人が生徒1人1人を
まわり、3枚のうちどれが良いか選んでくれて、それを提出する。
最後に記念のメダルが配られて解散。
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なお千葉日報やテレビに捕まった人は簡単なインタビューを受ける。上位の人の作品は後日千葉日報の新聞に載る。
結果。
小3のときは「千葉日報社賞」という席書大会の
中では1番難易度の低い賞。ただその時は
賞云々よりかは”出れたことがすごい経験”と
家族が感想を言っていたこともあり、自身も
「きちょうな経験をしたな〜」と割と満足して
いた。
同時に上位に選ばれた人達のすごく綺麗な字を
知り、そんな字が書けることに対し純粋に尊敬した。
まあ〜当然上手い人はいくらでもいますからねー
私はまだまだですね〜
とか思った。
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翌年。
4年生は残念ながら席書大会出場ならず。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78405986/picture_pc_0953e4d39a81eff1c4ea65752e030aed.png?width=800)
その翌年、5年生は練習量を増やして出場。
3年生の時より良い賞を取れたからか、母が手元に戻った作品の表装を頼んでくれていた。
別にいいのに。
でも表装きれい。
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78425579/picture_pc_f4fc51f9a4eda5c1bd92197d89a59466.png?width=800)
小6の書き初めと戦利品
小6。小学校最後ということもあり
1番力を入れて練習していた。
小4の時は席書会に出られなかったけど、また
出れなかったら笑えねえ。中学生はどうなるか
分からないし、小学校最後は書きに行って
終わりたい。
そう思ってまずは席書会出場を目標に練習。
ところで話は逸れますが、私は父の影響で
7歳頃からよくテレビゲームをやってました。
父のPlayStationが家にあり、クラッシュ・バンディクーや、中でもキングダムハーツにどハマりしてました。FFとディズニーがコラボした綺麗で
幻想的な世界観とストーリー(と、宇多田ヒカルの主題歌!)が今でもすごく好き。
物語は2022年現在も完結していないシリーズものなので、ストーリーだけは今も追ってます。
そのためゲーム自体わりと好きだったのですが、小6の時クラスの友人との間でどうぶつの森が
流行ってました。
どうぶつの森シリーズ4作目「おいでよどうぶつの森」DS用のソフトです。
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どうぶつの森は1作目のNINTENDO64の時から
すごくやりたかったゲーム。
しかし父の意向により林家の自宅用ゲーム機はSONYのプレステ一強。
おこづかい制度のない林家において、何か購入
するときやお金が必要なときには必ず父の承認が
必要でした。
その際、父基準で価値を認められない対象への
資金投下は極めて困難で、当時は任天堂製品も
その一つ。
どうぶつの森やりたい、DSほしいと父に何度も
アプローチしていたものの現実はなかなか難しいものでした。
そんな中、席書大会出場の連絡をもらえた。
席書大会の日程が近づく中、練習の様子を
見かねた父から半分冗談、半分本気で
こんなことを告げられた。
「去年より良い賞取れたらDS買ってあげるよw」
キタコレ
林家に任天堂製品が導入される予期せぬ絶好のチャンス到来。
しかし果たして「去年より良い賞を取る」
難易度はどれくらいのものなのか。
どれほどの道のりがあるのか。
正直わかってなかったので、特に戦略はないままとりあえずひたすら書いていた。
誰が見ても納得する「いい字」が書けるよう、
字を体得できるよう、練習した。
こうして小6のときはDS欲しさに←
練習し、席書大会当日を迎えたのでした。
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78406505/picture_pc_aa8ae1ddf3bfae02a2cd8ec55b2124af.png?width=800)
こんな過去があっての今。
席書大会に複数回出られたことは、元を辿れば
毎年書き初めの先生の指導があったからこそ
経験できたこと。父の旧来の友人という繋がりが
あったからこそ。
それが無ければ絶対に経験出来なかった。
そう考えるとやはり環境が自身に与える影響は
大きい。環境に生かされていることを実感する。
おざき先生、ありがとうございました。
ちなみにその後
小学生最後に戦利品を得たことで念願だった
どうぶつの森はもちろん、リズム天国なんかにも
沼りました。
沼りすぎて元々(キングダムハーツやり過ぎて)悪かった視力が更に悪化し、以来ゲームをプレイすることからは距離を置いています。
失ったものはもう返ってきません。
後悔が無いと言えば嘘になるかもしれません。
自分の中で答えを出しきれていないので、
視力と天秤にかけるような真似はしない…
それでもやっぱりどうぶつの森は好きだったし、
キングダムハーツは神ゲーだと思う。
あとKHテーマソング歌った宇多田ヒカルは最高。
そんなことを考える、私の書き初めの思い出でした。
完
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