序章 シニアセクマイ探訪ことはじめ

原題 虹の道ーー高齢セクマイが若かったときを振り返る

鄭 智偉(台湾同志ホットライン協会事務局長)


 2005年4月の初め、ボランティアの阿克(アーコー)がぴょんぴょん飛びながら私のところへ来て、ホットライン協会でちょっと高齢セクマイ(老年同志)のための活動ができないかなと聞いた。私は彼に興味のあるボランティアを集めていっしょにやったらどうと勧めたところ、思いもよらず多くの男女セクマイのボランティアが興味をもった。もともとみんな「老い」ということを考えていたのだ。ある人は老いるとだれもそばにいてくれないことを心配したり、ある人は国家の高齢者政策にセクマイの姿が見えないことを考えていたり、ある人はまさに老の渦中だったり、ある人は自分は若くて高齢ゲイや高齢ビアンをサポートできると思っていたり、ある人の性欲の対象は高齢セクマイだったり。こういうわけでみんな一堂に集まって高齢セクマイのためになにかしたいと思って、みんなはまずは台湾の高齢セクマイの過去の歴史を記録して、コミュニティの友人たちが高齢問題を理解しやすいようにしようと思った。

 なにも収穫なし

 当時、この20歳から30歳前後のボランティアで組織された新しいグループも、みんながよく使う方法を使って活動をした。つまり、読書会を組織して研究や論文を通して自己の知見を補充したり、ネットにインタビューできる高齢ゲイ募集の文を掲載したり、研究者の手助けを得て彼女に高齢のレズビアンでインタビューを受けてくれる人の紹介をお願いしたり、ワークショップを企画してメンバーのインタビュー能力を強化したり、コミュニティの友人たちに頼んで彼ら彼女らの(老後にまつわる)経験をシェアさせてもらったり、伝説中の中高年ゲイバーへ行って一晩カラオケを歌ってフィールド観察とした。また、丁重に台湾の老人ホームや高齢介護施設にアンケートを送って、これらの高齢施設のジェンダー意識を理解したいと思ったが、得られた回答はといえば、「当施設にはセクマイの高齢者はいらっしゃいません」というものでなければ、「当施設ではどのような高齢者にも平等に接しています」といった、公式回答ばかりであった。
 一年になろうとするあいだ、中高年のセクマイで私たちのインタビューを受けてくれようという人はだれもおらず、グループは一種の集団的無気力に陥り、もともと「老」に近づくのは容易なことではなかったのだとやっと気がついた。グループのレズビアンのボランティアが留学したり引っ越したりするのに伴い、われわれはインタビューはまず50歳代の中年男性ゲイの身の上に焦点を当てることにした。
 自分たちの能力の限界をさとったからかもしれないが、天の神様も大いに慈悲の心を起こして高齢セクマイを理解する窓を私たちに少し開いてくれた。
 第一の窓は、本書のなかにも触れている阿昌伯(アーチャンポー。チャンおじさん)だ。本書で描いた通り、彼は一人でホットライン協会に来てくれたが、彼の登場とグループのボランティアとの協働で、私たちは「老」「階級」「病」そして「スティグマ」がいかに高齢セクマイに影響を与えているかを見ることができた。この第一の窓があってはじめて、私たちは高齢セクマイに近づきはじめることができたのだ。

 貴人が現れた

 第二の窓は、蒋姨(チアンイー。蒋ネエ)だ。グループが途方に暮れていたとき、われらが国際的「女性」映画監督・陳俊志(訳註:陳は男性だが、コミュニティではジョークで「女性監督」と呼ばれていた。2005年にゲイサウナに集うシニアゲイたちのドキュメンタリー『無偶之家、往事之城』(配偶者のいない人たちの家、すぎさったことの街)を撮った。2018年、入浴中に心因性ショックで亡くなる。享年51)に助けを求めたことがある。俊志はわれわれに蒋姨の電話番号を教えてくれた。私がはじめて蒋姨に電話をしたときのことをまだ覚えているが、彼は大声でほがらかに「大丈夫だよ」と言った。彼は彼のもっともすばらしい仲間と知り合わせてくれ、その後も高齢セクマイグループの活動に関心を持ち続けてくれ、何度もほかの先輩たちのインタビューでは、仲を取り持つ役割を果たしてくれ、多くの先輩たちがそれで心を開き、我々と今昔を語り思い出話をしてくれた。
 第3の窓は、「漢士サウナ」(ゲイサウナ)の余夫人だ。われわれはひそかにいつも彼を「漢士阿嬤」(訳注:アマ、おばあさんの意。アマは朝鮮語オモニからとも。漢士ババア)と呼んだ。蒋姨が漢士阿嬤をわれわれに紹介してくれたあとは、彼がさらに積極的にインタビューできる先輩たちを紹介してくれた。彼の長年のコミュニティで蓄積した信頼と仲間たちとの友情を通じて、われわれは阿嬤の裏書き(保証)のもと十何人の先輩をインタビューし、その後のいくつか重要な活動へと繋げられた。
 一回また一回と耳を傾け、理解するなかで、グループのメンバーは若いセクマイと高齢セクマイとのあいだに長年あった境界線を体で理解した。われわれはあのお上品な「高齢セクマイのオーラルヒストリー」(なる題目)を「先輩たちと友だちになろう」と変更し、中高年のセクマイが台湾というこのアジアの国家の中でセクマイにもっともフレンドリーな環境のなかで、依然として自由な交友空間を持ち得ていないことを知った。紅楼(訳注:台北のオシャレ街。リノベーションでゲイカフェなどが多く出店)の興隆は当然、クールできれいなレインボー空間を作り出したが、同時に消費資本のない高齢セクマイを排除し、近くの新公園(訳注:現在は二二八和平公園と称する。昔はゲイのハッテン公園としても有名)もほとんど「老公園」と改名せんばかりで、かつて「男女老若」が一堂に会した光景もすでに跡形もなく消え去った。

 ナツメロ人生

 インタビューを通じて、われわれは先輩たちが過去の歌曲が彼らに対してもつ意味を語るのを聞いた。かつて王公公(ワンコンコン、王おじいさん)がなんフレーズか「王昭君」(訳注:有名な懐メロ歌謡曲。いろいろな歌手がカバー)を鼻歌で歌うのを直接聞いた。異邦に嫁いだ姫君(王昭君)はまるで、中国大陸から台湾へ渡って60年にもなる彼の化身のようだった。それからホットライン協会のチャリティーパーティーで衣装もばっちりの玉蘭仙子(人名)が歌った昔の台湾語の布袋劇(訳註:台湾の民間芸能。日本の文楽のような人形劇)のよく知られた歌「相思燈」(原注:1974年の黄俊雄の布袋劇『大儒侠史艶文』の劇中曲。当時、西卿が歌った。『大儒侠史艶文』のヒットにともない、この歌も当時ひろく知られた)もあるし、私も江恵(訳注:有名な台湾語女性歌手)のリサイタルで彼女がこの曲を歌うのを聞いたが、やはり玉蘭仙子にしてはじめてあの悲恋の心情を歌い上げることができると思った。歌で友となれる(ことを期して)、われわれは「レインボーカラオケ」を開催し、高齢セクマイの先輩と若いボランティアが世代を超え歌声で心の声を伝え、一曲また一曲の歌のなかに、一編また一編の高齢セクマイの物語を聞いたのだった。
 つづいてわれわれは、国民旅遊(訳註:公務員休暇制度)や寺廟参拝団の形式を参考に、第一回の「レインボー熟年バス」開催を始めた。団の構成は、男女老若あり、オネエあり、許兄貴(人名)のようなマッチョありで、みんな法鼓山(訳註:台北の新興仏教寺院)では荘厳な導師のオネエさんに率いられて、身体健康、恋愛順調、家庭和楽を祈ったが、これらはみな平凡だが真実の幸福というものである。
 重要なのは、「レインボー熟年バス」は一日まるごとの時間を提供し、若いボランティアが先輩たちと気さくに対話でき、多くの過去のセクマイの生命力や歴史が山野や寺院、そしてレストランに一つひとつ出現したことだ。もちろんおおくの過去の台湾セクマイコミュニティのゴシップ史もあり、なんとかいう台湾語女性タレントはもともとネコで、いまは彼女のT(訳註:タチ役の女性パートナー。TOM BOYに由来)と毎月ベンツを運転して台北へ行って家賃を集めて、まるで天女みたいな生活をしているとか、なんとかいう両岸三地(大陸、台湾、香港)で人気の男性歌手は日本の二丁目へ行っては男遊びをするのがたいそう好きで……と、歴史はじつにこの一日のうちに虹を出現させるのだった。

 バス出発

 現在までに、われわれは5回の「レインボー熟年バス」を開催しており、対象にはいろんなゲイ、レズビアンの先輩たちが含まれている。第5回のときは二台のバスを借りて、新竹の獅頭山と苗栗の南庄郷(リゾート地)へ行ったが、もっと多くの仲間が一緒に参加できるといいと思っている。この活動の重要性がどこにあるかといえば、多くの若い世代のセクマイでは日常生活がそのままゲイライフであるが、熟年バスに参加する高齢のゲイ・レズビアンについて言えば、この丸一日がかれらが異性愛の家庭あるいはシングル生活を抜け出す数少ない一日だ、ということだ。いつも終了間際に、決まってだれかが私に、一泊二日の熟年バスに変更できないのと聞くが、すぐに誰かが言うのだった、「ダメだよお。私はどうやって奥さんに言い訳するんだい」と。
 「レインボー熟年バス」は、50歳以上のシニアのゲイレズビアンの参加を歓迎します!
 しかし、「老」は実際こんなふうにわれわれに近づいてきて、いつも突然われわれの手の及ばないところとなる。2007年の秋、蒋姨が世を去ったのだ。
 生前はあでやかで美しく、ユーモラスな雰囲気の蒋姨。彼のクィア版「夜市人生」(訳注:テレビドラマの題名)は、死後やっと見られた。重病時に、オネエ仲間に彼の老いさらばえた姿を見られたくなくて、まるで盛りをすぎた美貌の女性スターが引退後、決して再び姿を表そうとせず、ただ人々の心のなかに美しく朗らかな笑顔を留めておきたいと思うように、昏睡して重態となり病院に送られたあとになって、やっとオネエ仲間たちは彼の重病の事実を知ったのだった。枕元で、主治医は蒋姨のよきオネエ仲間の漢士阿嬤に言った。蒋姨さんが病院に入院されたとき唯一口から出たのは「私はすごく寂しいよ〜」でした、と。

 蒋姨パーティー

 若い時、颯爽としてかっこよかった蒋姨は、家族にカムアウトすることを選択したが、家族に受け入れられなかった。彼はそこで台北へ行き、彼の台北での芸能界とガラスの世界(訳注:台湾で民国60〜70年代に男性同性愛社会を指した隠語)での新生活を始め、それからもう家に帰るのは難しくなった。小説の場面のように、孤独な孼子(訳注:ニエズ。めかけの子の意。台湾クイア文学の先駆的小説のタイトル。作者は白先勇)のような蒋姨は、死後も家族に受け入れられることなく、南部の家族は彼の死後の始末をしようともせず、それでわれわれ彼の生前もっとも親しかった友人仲間ーーそこには晶晶書庫(訳注:ジンジン書店。有名なゲイ書店)、祁家威さん(チー・チアウェイ/き・かい、同性婚活動家)、漢士阿嬤、性権会(台灣性別人権協会)や同志ホットライン協会などいくつかの団体や個人が含まれるーーが、ずっとわれわれといっしょにがんばってきたこのよき姉妹を追悼するために、晶晶書庫で蒋姨のために「蒋姨パーティー」と名付けた告別式を開いた。そして蒋姨生前のよき友人、白冰冰女史にスピーチをお願いし、はじめてかつて蒋姨がいかなる様子であり、人を助けることを楽しむ人であったかを知ることができた。
 告別式が終わったとき、我々は晶晶書庫の裏庭に一本の沈丁花を植えて、このよき姉妹を記念することとし、彼が永遠にわれわれ一人一人の心に留まることを願った。彼の家族は彼が納骨堂に納まるその日にもやはり来なかったけれど……。
 我々は問いたかった、誰が家族なんだろう、と。

 中年を見よう

 そして2009年が始まったところで、われわれはまた関心の焦点を高齢期から、「中年セクマイ」やその他のセクマイ運動であまり取り上げられない多様なテーマへと広げ、毎月一度、「光陰の物語」連続講座を開始してみた。
 第一回「福禄寿 三仙人が中年ゲイを語る」は、グループメンバーの喀飛、Tim兄、そして増勇とで、中年ゲイが、恋愛、家庭、性欲、そして身体などにおいて、さまざまに向き合う変化やそれへの適応を語り合い、当日は予想以上の60名近い観客で晶晶書庫はあふれんばかりとなり、われわれはさらにコミュニティ内部の「老化」に対する焦燥感を感じ取った。その原因は、セクマイコミュニティがいかに老に向き合うかを教えられる人がまだおらず、社会が構築した高齢期生活もすべて異性愛家庭をもとにイメージされたもので、クィアの高齢者の存在が見えないからである。
 そんなわけで、「光陰の物語」連続講座は先輩ゲイやレズビアンなど経験豊富な人の人生経験をうかがうことを出発点として、2010年10月まで16回を超えるトークを開催し、テーマには「長いパートナーシップ」「障害とセクマイ」「過去のセクマイ運動史」「もうひとつの家庭」「シニアセクマイとエイズ」「ウツと私のセクマイライフ」「最後のつきそい」「青春期を失ったあと」……などがあり、そのことによって台湾セクマイ運動の多様な側面を開き、台湾社会のそれぞれの社会テーマと結びついたり捉え返したりすることを望んだ。
 これらばかりでなく、高齢セクマイもプライドパレードに参加したり、大学等のセクマイ団体で若いセクマイと対話したりしたのだ!
 「君も老いる、私も老いる、関心をもつのは早いうちに!」(你會老,我會老,關心要趁早!)
 これは高齢セクマイグループの最初期に、プライドパレードに参加するときのために考えていたスローガンで、このスローガンは真実心底、ホットライン協会高齢セクマイグループの立場と運動の理念を表している。台湾がすでに高齢化社会へと向かう事実のもと、セクマイの高齢期のテーマをいまやらないと将来後悔するのはまさにわれわれ自身である、と深く思っているのだ。というのもわれわれが老いたときには、体力はよみがえらず、反応は遅くなり、ひいては満身病気だらけ、あるいは認知症となる。そうなってからでは、われわれはだれにわれわれのための権利を戦いとってくれることを望めようか。アメリカの高齢セクマイ運動組織がすでに見出しているが、高齢セクマイは老人ホームや医療システムに入ったとき、ふたたびクローゼットに入り、看護師や医療者に自分がセクマイだということを明かさないことを選択する人が多いという。原因は、そのときになって彼/彼女らが若い時もっていたような健康資本をもつことができず、医療者や介護者に高度に依存しているので、高齢セクマイはふたたびクローゼットに戻り差別によって不平等な待遇を受けることを避けようとしてしまうというのだ。
 私たちが望むのは、あなたがまた高齢セクマイ出会ったときに、心を開いて彼/彼女らと友だちになれること!
 私たちが望むのは、あなたが私たちと一緒にセクマイの人権運動に参加し、私たちの老後のためにがんばってくれること!
 私たちが望むのは、セクマイのコミュニティにはさまざまな階級、ジェンダー、出身地、年齢、障害の有無などで多様な相貌があることを知ってくれること!
 私たちが望むのは、自分たちが老いたとき、台湾社会がすでに公平公正でジェンダーフレンドリーな社会となっていること!

 謹んで本書を蒋姨、黒美人、黒猫姨(訳註:いずれも本書の登場人物)を記念するために捧げ、願わくば彼らが天上においてもそのあでやかで美しさを保ちつづけんことを。


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