はじめに2 ゲイ雑誌『サムソン』での本書紹介

(掲載:『サムソン』2019年12月号、19年10月22日発売 永易「ゲイのあんしん老いじたく」61回)

 台湾の「老ゲイ」を追った本
 中国語読めるんでしょ? そういって一応、中国文学科卒の私に知人がくれた台湾土産の本は、『レインボー熟年バス』。台湾のシニアゲイのインタビュー集です。編者の「台湾同志ホットライン協会」は電話相談のほか、近年は同性婚運動を牽引するなど大きな活動が目に入りますが、2005年に「老ゲイ班」を作ってシニアゲイについての活動に取り組み始めていました。
 「あるメンバーは老いると孤独になることを心配していた。ある人は国の高齢者政策にゲイの姿がないと憂えていた。いま老いつつある人もいれば、自分は若くて老ゲイのサポートができると思う人もいるし、情欲の対象が老けゲイという人もいた」(序文から)
 台湾ゲイもうちらと似たような関心があるんだなあ。そう思いながら、ページをゆっくりゆっくり(スタスタ読めないので)繰ってゆきました。

 「研究」ではなく「友だちになる」こと
 活動は読書会をしたり、インタビューさせてくれる60代以上のゲイをネットで募集したり、研究者訪問や介護施設アンケートや。でもインタビュー応募者は来ないし、施設からは「どのようなかたも平等に対応しています」という通り一遍な回答ばかり。
 約1年、成果もないまま、「老」に近づくのは容易じゃないなあ、と焦りはじめます。差別が厳しい時代を生きたシニアたちは、そんな若者の活動に容易には近づいてきてくれないのです。
 ところが偶然、「漢士」というゲイサウナのオーナー、通称「漢士阿嬤(アマ。おっかあの意)」との出会いが。そのゲイサウナはシニアゲイの社交場で、食堂でみんなでご飯を食べるなど、家族めいた絆が形成されており、彼を通じて十数人のシニアゲイとの出会いにつながりました。
 同時に「台湾老ゲイのオーラルヒストリー研究」といった上から目線でなく、シニアゲイと直接触れ合うなかで、おなじ台湾の歴史を歩んできた、そして自分もいつかはこうして老いを迎える等身大の感覚が生まれてきました。活動のキャッチフレーズも、「先輩ゲイたちと友だちになろう」に変わっていきます。
 時しも台北では、古い映画館でハッテン場でもあった「紅楼」がリノベーションで生まれ変わり、ゲイカフェも集まる小熊村と称されるおしゃれエリアへ。しかし、ゲイ開放が謳歌される一方、老年ゲイは台湾で自由な交友空間を手にしていない、むしろ「クールでおしゃれなレインボー空間は、老年ゲイを排除している」ことに気づいてゆきます。
 先輩たちと友だちになるユニークなイベントが取り組まれました。シニアゲイが懐メロを歌っては往時を振り返る(みなゲイの思い出話)「レインボーカラオケ」。そして、台湾で盛んなお寺参詣バスツアーにヒントを得た日帰りの「レインボーバス旅行」。やってみて気づいたのは、往復の車中や昼食のレストランで老若があれこれ話すなかで、台湾のゲイ「ゴシップ史」がどんどん若者にも伝わり、なんだか時空を超えた一体感が生まれてきたといいます。

 ゲイにとって「家族」とはだれ?
 そんな矢先、2007年、世話になったシニアの一人が亡くなります。彼は若いとき家出し、死んでも南部の実家から絶縁されたままでした。仲間たちはゲイショップ「晶晶(ジンジン)書庫」で告別式を開き、思い出話にみんな爆笑したり涙を流したり。終了後、裏庭に記念植樹もしました。親族不在でも暖かいお葬式に、「家族って誰のことなんだろう」という思いが去来します。日本でもゲイ友が亡くなり、たまにゲイバーでお別れ会をすることがありますが、同様の心温まるエピソードでした。
 2009年、ゲイの歴史や老いの課題を振り返る「光陰物語」講座を毎月、計16回開催。パレードにも参加。そして2010年、12人のシニアゲイのストーリーをまとめたのがこの本です。なかにはすでに亡くなった人もいます。
 ゆっくりですが訳読を進め、いずれ台湾シニアゲイの物語を、この誌面でもご報告したいと思っています。今年の10月も、台湾のLGBTプライドパレードに行けそうもないのですが……。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?