はじめに 『レインボー熟年バス』解題

 この「note」を使って、台湾のシニアゲイ12人のインタビュー集『レインボー熟年バス(彩虹熟年巴士)』という本の私訳を掲載してみようと思います。

 この本は、台湾のもっとも大きな性的マイノリティ当事者団体である「台湾同志ホットライン協会」のメンバーが、12人のシニアゲイたちに行なったインタビュー(をもとに書いた12編のエッセー)と序章が収められています。発行は2010年、台北の基本書房から出版されました。

 私は日本のゲイ当事者として、1980年代の後半よりコミュニティ活動に参加してきました。自分がゲイであることを前向きに受け入れ、仲間がこんなにいることに胸を熱くした時代でした。若者らしい、自分探しの季節であったといえるでしょう。
 しかし、それから30年の時間が流れ、私は54歳となりました。ゲイ/性的マイノリティとして中高年の時期をどう生き、これからの老や病、死にどう向き合うか。「ゲイの老後問題」がひたひたと足元に迫っています。
 わが生業としての取材や著述、また近年は仲間とともに運営するNPO法人パープル・ハンズは、その「老後問題」へのささやかな取り組みです。

 そんなとき、友人が台湾旅行のお土産に、「中国語、読めるんでしょ」と一冊の本をくれました。それがこの『レインボー熟年バス』でした。言い遅れましたが、私は文学部の中国文学科を卒業し、まがりなりにも現代文学の作家(巴金)で卒論を書きました。ただし、それは遠い学生時代の話でして、卒業後は中国とも縁なく、中国人の彼氏ができるような機会もなく、過ごしてきました。
 読めるかしら? しかもかろうじて学んだ大陸の中国語ではなく台湾華語。しばらく積ん読になってしまいました。
 目を通しはじめたのはコロナになってから。思うところあって、50の手習いよろしく、これを翻訳してみようと思い立ちました。

 日本で、いまに続く現代ゲイリブが勃興したのが1990年代。そこからのゲイ/セクマイ史は、そのまま私の人生に重なります。
 一方、台湾のセクマイ運動は日本に10年遅れ、2000年代から活発化してきました。それ以前、国民党の独裁と戒厳令体制下で性的マイノリティーは、抑圧され、タブーな存在でした。ゲイは公園など特定の場所に集まり「出会い」を求めるのがせいぜいで、台北の新公園(二二八和平公園)が有名でした。そんな70年代のゲイたちを描いたのが、台湾クィア文学の先駆け、白先勇『孽子(ニエズ/げっし)』です(現在、日本の中国文学界で台湾のクィア文学研究はまったくポピュラーになっていて、白先勇など古典扱いだそう)。
 1998年、ゲイの若者の自殺を契機に電話相談「台湾同志ホットライン協会」が設立されます。現在、同志(トンチー)は中国語圏でゲイ、広くは性的マイノリティーを指す呼称として定着しています(もとは共産党の同志をもじったゲイスラング。日本での「組合員」のような語感)。
 台北でのプライドパレード(台湾同志遊行)は2003年に第1回が約1000人の参加で行われましたが、その後、あれよあれよと急成長、各都市にも広がります。同性婚をめぐる政治的伸長も著しく、2019年にはアジアで最初の同性間の婚姻法制化を達成。その年の台北パレードは世界から20万人の参加を集めました(台湾の人口は2357万人)。2020年、コロナ禍の下、行なわれたパレードは海外参加者がいないなか、なお13万人の参加が報じられています。
 近年、台湾はアジアでもっとも「LGBTフレンドリー」な国といわれ、日本のゲイにも大人気。台北・西門町の古い映画館「紅楼」をリノベーションした一帯は、ゲイのオープンカフェも多いオシャレエリアとして有名です。そんな環境下、若いゲイやレズビアンたちは、いきいきとゲイライフ、ビアンライフを送っているようです。
 しかし、そんなキラキラした「にじいろ台湾」にも、老いの生き方が見えず、老後を恐れる若い当事者はおり、そして現実に戒厳令下のきびしい時代を生き抜いてきたシニアのゲイたちは生きているのです。

 この本は、台湾同志ホットライン協会に、「高齢セクマイ研究班(老同小組)」を作って高齢ゲイのオーラルヒストリー研究が企てられたところから始まります。じつは多くの若いメンバーが、明るいハッピーゲイライフを送りながらも、ひそかに老を恐れ、老に関心をもっていたのです。
 ところが、意気込んで「研究」を始めたものの、実際のシニアゲイたちと知り合うこともできず、彼らに心を開いて話をしてもらうことがいかに至難であるかにぶつかり、さっそく計画は頓挫します。
 しかし、「神も慈悲の心を起こして天窓を少し開いてくれた」(序章)ーー偶然にもいくつかの出会いがあり、シニアとの繋がりができてきます。インタビューに応じてくれるシニアと知り合うとともに、そこからホットライン協会にもあらたなシニア向けプログラムが生まれてきました……。

 この本を辞書を引き引き、さらに辞書だけでわからないところはネットでヒットした記事からの類推や台湾人ゲイに聞いたりして訳していくなかで、私自身が台湾のシニアゲイたちの歩みや心情、そこに生まれているコミュニティの感覚や運動の手作り感にいかに共感したかは、言い尽くせないほどです。「うわー、なんて似てるんだろ」「おんなじやん」ーー日本の私が抱く老への恐れや焦燥を、台湾のこれからシニアになろうとする当事者も抱いていることに言い知れぬ親近感を抱きました。そして、彼らが引き出してきたシニアゲイたちの言葉には、国の違いを感じさせない共感を覚えました。彼らの背後にある、血縁家族が作れないからこそ大事にしているゲイ/セクマイのコミュニティという「大きな家」「私たちは家族」といった意識を、私も90年代以来のゲイコミュニティで活動してきた自分史のなかで共有するからかもしれません。

 彼ら台湾の若いボランティアによる「老同小組」がどう意気込み、どう頓挫し、どんな出会いがあって、どんな実践や発見を得ていったのか。私のつたない訳ですが、ぜひ自分ごととして楽しんでいただければさいわいです。

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 本翻訳は、あくまで私の「趣味」として行なわれるもので、正式な版権を取得した営利活動ではありません。台湾に在住どころか、旅行にすら行ったことのないものの手による翻訳のため、誤訳・誤解も多々あることと思います。読者のご寛恕を乞うとともに、諸賢のご指正をお願いするしだいです。

 

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