第5話 花売り仙人の歌と「恋」

原題:世間を放浪、歌こそ喜びーー玉蘭仙子の口では言いあらわせないほどの人生

 ●作者紹介 喀飛
 1966年生まれ。26歳でマスコミ業界へ入る。29歳、縁あってゲイ運動へ参加し、32歳でホットライン協会の創立に参画。40歳で巨大で圧力的な新聞社を離れる。
 ちょっと振り返ってみると、二つの仕事(本業とゲイ運動)、二つの関係に2つの短い恋愛が加わって、30歳代の10年は、こうやって過ぎていった。中年の入り口でさまよっている。
 2006年、高齢セクマイ班に加入。高齢ゲイの先輩たちをインタビューすることで、すごくほっとして、もうクソ真面目な「古参の同性愛者」にならなくていいんだと思った。先輩たちのいきいきとした人生のまえに置いてみれば、40歳なんてただの未熟な青二才に過ぎない。ゲイの青春に対する未練や老いに対する恐れを、もっと多くの先輩たちの生命の輝きのもとにおいて、「老い」に対する考えをあらためて検証したい。

 ●仙人は飄々、自由自在
 
 2008年の夏の夜、ホットライン協会のイベントの前日、玉蘭仙子とアマ(訳注:ゲイサウナ「漢士」オーナー。1話参照)が舞台で『十万元のために』(訳注:日本歌謡曲《悲恋・モルガンお雪》を翻案した台湾歌謡曲。薄幸な妓女の歌。途中、妓女と女将のセリフの掛け合いが入る。動画)を演じる約束をし、この出し物の責任者である兆慶と私が、「漢士」サウナへ来て通し稽古の準備をしていた。
 「彼の自転車はまだうちのビルの下にある。花売りの籠は店のなかだ。でも、人はすでにずっと影も見えない……」。あ、主役がいないよ!
 舞台に穴が開いちゃうと唖然としていると、アマは逆に一貫して悠々とした口ぶりで言った。「たぶん何日かまえにお金を儲けたんで、南部へ男漁りに行ったのよ」。
 私たちがどっぷり慣れている人間界のお約束なら、大袈裟に騒ぎたてるけども、仙子(妖精)って、こんなもんじゃない? 人間界を悠々と遊んでは、自由に行き来するのだ!
 この「漢士」サウナの従業員から「玉蘭仙子(木蓮の花の妖精)」と称される彼は、2006年に私たちとはじめて会ったとき53歳だった。そのときのお喋りのなかで彼はノリで一曲歌ったが、そのパフォーマンスの才能は人を感嘆せしめるものだった。
 2007年の端午節(旧暦5月5日)に、高齢セクマイ班は多くの先輩たちとある老け専バーでの集まりに行き、彼とアマは『十万元のために』をデュエットし、曲の途中のセリフを語った。
 「お女将(かあ)さん、あなたは以前、もし一万元あったら、私に自由をくれると言わなかった? でも、でもいまは……」
 恍惚とした表情で、まるで彼は身請けされるのを待ち、妓楼から幸せへ向かうことを思う妓女のようで、みんなの拍手喝采を浴びた。
 生涯ずっと携帯電話も使わず、つねに飄々と行き来した玉蘭は、今度の「神出鬼没」でさらに人びとの目を開かせた。彼とはもう8年の知り合いであるアマは慣れっこになっていて、「彼ったらこうさ! いなくなったら、だれも探せない」。
 その日は急に「漢士」サウナで歌唱トーナメント(カラオケ大会)をし、選ばれた黒猫姨、台風、そして笑功は玉蘭に負けないうまさだった。一日おいて、本番前のゲネプロの楽屋に玉蘭仙子が突然「天より降臨」、飄然と現れた。登場のタイミングを間違えた彼は、旧友の黒猫姨がはじめて女装をしおしろいを塗っているのを見て、楽屋で黒猫姨をいじって、まだ両頬に頬紅をつけなきゃなどとはやし立て、服をひっぱるやら太腿をつねるやら、大騒ぎ。ほとんどべつの出し物のドラァグクイーンの風采を奪わんばかりだった。そばにいた私は、この天然の「姉妹、墻(かき)に鬩(せめ)ぐ」(訳注:本来は「兄弟(ケイテイ)、墻に鬩ぐ」(詩経)。隣家の兄弟同士が塀をはさんで争うこと。内輪喧嘩)のお芝居にたいして、深い印象が残った。

 ●人を愉快にする人になることを願った 歌声はただ拍手のため

 歌うのが好き、演技するのが好きな玉蘭は、生涯、正式な舞台で主役をやることはなかったけれど、彼の芝居は、むしろ本当に人生舞台で演じたものだった。
 玉蘭(木蓮の花)を売る青年公園や、林森北路の夜店や、大稲埕の雑踏で、お客たちは囃し立てて彼に歌をひとくさり求めると、口に任せて歌い、蓮花指のしぐさをし、台湾語の四句連(七言絶句のようなもの)のおめでたいものを唱えた。
 「私は香りのいい花をもってきたよ
  ご来場のみなさん、ようこそお越しなさいませ
  もし私の花を買ってくれたら、嬉しいわ
  みなさんお金が儲かることをお祈りします」
 歌と身ごなしが相待って、ナツメロと台湾歌謡とを問わず、あるいは歌仔戯(訳注:ゴアヒ。台湾オペラとも。台湾でもっとも人気のある伝統劇。YouTubeに動画多数)の劇団で聞き覚えてきた都馬調(訳注:歌仔戯の曲の一種)であれ、彼はみんな歌詞を完全に覚えて歌い、満場の喝采を得て、手にもった玉蘭花はまたたく間に売り切れた。
 演技をして人に見てもらうのは、まるで彼の一見灰色の人生でもっとも輝く光芒のようであった。玉蘭も、あるときはお金稼ぎのためではなくてその「喝采」を稼ぎたかった、と認めていた。

 ●これを食べおわっても、つぎの食事はまだ空を飛んでいる

 小学校卒で、どれほどの字も知らない玉蘭は、1954年生まれ、7歳で家族と台北へ来て、市東部のはずれ、臥龍街の山腹に住んだ。信義鬧区はまだ開発されていない時代で、東へ行くとさらにさびれ、墓地が広がっていた。建築作業員の父親は4人の子どもを養うことに努めたが、父は老いており、年がもっとも近い兄とも10歳の開きがあった。20歳そこらの玉蘭はかつて円環(訳注:台北に以前あった屋台街)で皿洗いをしたが、まもなく主人がくどくど言う人なのでそこをやめ、それ以来、職を転々としながらいたるところを放浪した。
 55歳の彼は、痩せっぽちで真っ黒。玉蘭花を売る前は、艋舺(訳注:モンカ。萬華とも。地名)で檳榔子を売っていたり、台北橋下でアルバイトをしたり、三水街の飲み屋で雑用をしたり、あるいは葬式の出棺の隊列や廟会(訳注:道教寺院の縁日)の行列で使い走りをしたり、「五子哭墓」(訳注:葬儀のときの寸劇。「泣き女」の類)さえ彼は専業にしていたことがある。やったことのある仕事は何百種、でもみんなアルバイトで、固定収入はなかった。いつもあちこち放浪し、ときに台中、台南、高尾へまでも行き、たまには駅で寝たり、慈善事業の炊き出しを受け取ったり、あるいは飢えて何日もご飯を食べないこともあった。
 「私という人は恥ずかしがり屋で、お金がないと、人に口がきけなくなるんだよ」
 こうした食うや食わずの困難を、アマはもっとも適切に形容した。「彼ったらね! 今ご飯を食べ終わっても、つぎのご飯はまだ空を飛んでいる最中なんだよ!」

 ●男が好きなのは、病気にかかったようなもの

 宙を飛び捕まえられなければ、それで満ち足りているものだろうか。そこにはなお隠しきれない欲望や愛情があるものだ。
 小さいときから隣家の兵隊さんがシャワーを浴びているのを盗み見て同性への情欲を掻き立てられ、恥ずかしがりやで人見知りの玉蘭は、男を愛するということが見つかるのを恐れた。彼についていえば、男を愛することは、「自分がまるで一種の病気になった気がしたよ」。
 昔、歌仔戯の一座で雑用をしていて、大道具係の男と夜寝るときしごきあったが、わずかにそこで止めた。「昼間はそれぞれの仕事をしてるじゃない。もししゃべったら(座長に)叱り飛ばされるよ。そこには神棚があってそこでヤるんだよ、どうして言える?」
 玉蘭は、とくに劇団が祀っている神様に「ばれる」ことを恐れた。
 彼の話を聞くと、描写はとても断片的で、しっちゃかめっちゃかで、話はいつも語るにつれて小声になり、時にはもう黙ってしまうことがある。途切れて、辻褄が合わなくなくなるが、それは長いこと男を愛するというこの「嗜好」がバレることへの恐れによるものなのだ。
 龍山寺付近の飲み屋で働いていたとき、ある人が、彼が「女っぽい」のを見て叫んだ。「オカマが来た、オカマが来たぞ!」。ごみごみした場末の生活では、いじめられてもなすすべはない。自己の運命を恨むばかりで、「あの人たちの言うに任せてたけど、心のなかでは辛かった。自分が悪習に染まったんだからしかたがないよ」。
 はじめて玉蘭と話したとき、まだ慣れていなかったのかもしれないが、新聞も読まない彼は一度ならず質問を遮って、「これ、新聞に載らない?」と聞いた。
 若い時は、父母が知ることを恐れた。「私の父ちゃん母ちゃんはすごく厳しくて、もしこんな風になれば、メンツは丸潰れだよ」。父母が亡くなったあとは、兄嫁の目を恐れた。「うちの義姉(ねえ)さんは知ってたな、彼女もあえて口にはしなかった。ただ、あなた外で人とへんなことしないでよって」。いまは自分も年取ったのに、まだ甥の目を気にしている。「このことが知られたら、彼らは私たちを尊重などしない。こういうことはみっともいいことじゃないからね」。
 はにかみ屋で、自分の話を語ることにいつも沈黙してきた玉蘭だが、わずかに何度か化粧をした経験に話が及ぶと、目は輝きはじめ、声も高くなった。「そうよ、お化粧したら、あらまあ本当きれいだったわよ。女装したら、美しくて、自分で見ても嫌になるぐらい」。周りの人も笑い、彼は嫌なのは本当は好きといった顔をした。
 そのころは、そんなに多くの人が引っ掛けたり追いかけたりしてきたの? 「多かったわよ。引っ掛けて私も頭クラクラよ」。でも、「人が追いかけてきても、私はいつも相手しなかったわ」。
 まるで記憶の深部に入っていくように、口元のはにかみはまだ完全に消えないが、目には青春に対するやる方なさ、そしてバレるのを恐れるがゆえに若き日のさまざまな出会いを失った悔しさがあふれていた。
 玉蘭は25歳で(ゲイ界隈に)デビューして以来、コミュニティの人とは距離を持ち、人に電話番号を渡したこともない。すでになくなった板橋亜州映画館や中華商場*、あるいは新公園(訳注:いずれも著名なハッテンスポット)で新しい友だちと知り合っても、彼はいつも相手に電話番号を渡すことはなかった。コミュニティで彼ともっとも親しいアマでさえ、彼がどこに住んでいるか知らなかった。

*原注1:中華商場
1961年、台北市中華路の西側に建設、8棟の3階建ての建物から成る。西門町に近接し、60〜70年代において、台北市でもっとも人出の多い、繁華なショッピングスクエアであったが、東側エリアの興隆や地下鉄建設の必要から、1992年に取り壊される。中華商場のトイレは、過去多くのゲイ男性が出没し知り合った場所であった。

 ●欲望は抑えきれない 愛されたいのに恥ずかしい

 はにかみ屋の性格と保守的で慎重な態度が彼を押さえつけてしまい、デビューして30年、恋愛方面はなにもなく、かつて恋人関係になったこともないが、欲望の引力はやはり明白だった。
 玉蘭は、頼り甲斐があるがっちりした男を見るのが好きで、「漢士」サウナには40歳ぐらいの、がっちりした客がいて、来るたびに酒を飲んでは大酔するのだった。「彼が酔っ払うと、私はすごく嬉しいわ。彼が酔い潰れたら、自由におさわりするの」。
 玉蘭が嬉しそうに言うと、アマはそばで彼をからかうのだった。
 「彼がちんちんがでかいのはわかったけど、あなた、彼の顔をタオルかなんかで隠しあげてる? 彼が途中で起きたら(あんたの顔を見て)びっくりして、悪夢を見たと思うわよ」
 「ちんちんは大きくてこそよ。それでこそ満足よ」
 「あなたは息ができないほどしゃぶっちゃダメよ」
 「ああ、窒息死のことね。あのでかまらのために窒息死するなら本望よ」
 もともと彼は(サウナでは)やれればだれでもよくて、売れ残りの人専門で、自分で自嘲的に話すものだから、そばの私たちも大笑い。彼ははずかしくなってしまった。「もう、みんな笑わないで。恥ずかしいよ」。

 アマが言ったこの「玉蘭お気に入り」の人が久しぶりに漢士サウナにきたとき、玉蘭は心のなかでわかった。「私は彼を好きだけど、自分は彼のタイプじゃないってね。彼は長いこと来てない。もうだいたい1年になるね」。そういってさっきまでのモーレツな表情を引っ込めて彼はたんたんと言った。
 ゲイ界隈でそんなに長いあいだ、好きになったとかいっしょにいたいと思う人がいないの? 玉蘭は長いことぐずぐず言っていたが、10年まえに林森北路で花を売っていたとき勇気を出して、彼のタイプの30何歳の男らしい人に好意を示してみたことがある、と言った。

 「彼もものを売っていて、どうもこっちらしい。私はすごくタイプなんだけど、でも彼は……、彼は私については……、うーん、私は好きなんだけどね。商売をしているときに彼と話したことがあった。「奥さんいるの?」「いないよ」。
 商売が終わって、そこで彼をまっていたら、彼が聞いた、「どうしてまだ帰らないの?」って。
 私は「あなたを待ってた。あなたととても話したいし、友だちになりたいな」って言った。
 そのとき……、うーん、私が思ったのは、「私たち公園のあそこへ行って、しゃべらない」って。
 彼はたぶん、私が彼にアレの誘いをしたいということはわかったみたい。(玉蘭が言わない「アレ」とは、セックスの誘いだ。)
 私はすごく彼のことを気にいって、とても好きだったけど、彼はといえば、彼が好きなのは私みたいなのじゃないってこと。

 彼はそのころオートバイに乗って花束を売っていた。
 私は朝早くから玉蘭を売っていて、2時には圓山(訳注:花卉市場があるところ)へ花をとりにいって、まず中山北路へ行って売り、だいたい4時には遠回りしてあそこ(新公園)へ行って彼を待とうとした。私はできるだけ彼と話したかったのよ。
 彼は私に聞いたよ、「あんた、これよく売れる?」
 「あなたが売ってる花束のほうがよく売れるかな。私はこういうものを売ってなかなか儲けられない」
 「商売はどう?」「まあまあね」
 3時すぎごろ、あとで彼がほかのだれかをオートバイに乗せているのを見て、私はほんと心が折れちゃったよ」

 歌を歌えば巧みで自信のある玉蘭も、片想いする男の前ではまったく言葉が出ない。そしてこの前後1週間にも満たない待ちあわせや交流、うまくいかなかった懸想が、玉蘭仙子が自ら言ったもっとも印象に残る「恋愛」経験なのだ!
 アマは突然聞いた。「あんたは自分の一生がゲイで、ホント楽しいの?」
 「悲しいよ! 人と結ばれないって本当悲しい」。ちょっと沈黙が流れ、タバコに火をつけた。
 どんなふうに悲しいんだろう?
 「悲しいよ。相手がいないんだよ、相手が。アタシは口下手だから、ナンパもできない。こんな、ガリなアタシなんかみんな愛してくれない。でもあの人は、アタシはすごく好きだけど、でもあの人は要らないって」
 そう言いながら、玉蘭は彼のいちばん好きな歌「一生あなただけを」(訳注:台湾語歌手 蔡小虎のヒット曲「一生只有你」。歌詞翻訳省略)を歌った。

 ●家はどこ? 空っぽの部屋? やっぱり年越し料理?

 外を放浪している玉蘭には、じつは墓地に囲まれた、たまに帰って体を洗ったり着替えをしたりできるお堂があるが、寂しいのはいやと独りごち、そこでじっとしていたくなくて外を放浪するのだった。結局、そこは空き部屋であり、家族もいなければパートナーもいない。
 彼を気にかけるアマはずっと安心できず、彼に大晦日(旧暦)の晩には「漢士」サウナへ年越し料理*を食べにきなさいと言っている。アマは料理をたくさん作って、団欒して炉を囲む場所のない人たちを「漢士」に招き、帰る家がない人たちに年越し料理の団欒の暖かさを感じさせている。じつに人情味あふれるレインボーコミュニティセンターとなっているのだ。

*原注2:漢士サウナの年越し
漢士サウナはアマが経営するゲイサウナで、主要な客層は中高年ゲイ。アマと客とが昵懇のため、まるで中高年ゲイのコミュニティセンターのようになっている。長年、アマは旧暦大晦日の夜、実家に帰れない、あるいは一緒に年越しを過ごす人のいないゲイを招き、一緒にアマが作った年越し料理を囲んでいる。
訳注:そうした漢士サウナの様子を追ったドキュメンタリーが『無偶之家』(監督:陳俊志)である。

 「これからはあなた自身がよく体に気を付けるんだよ。なにかあったら私に連絡するんだよ。外へ行って、あの陣頭(訳注:ティンタオ(台湾語)。祭日に出る芸能団。多くはチンピラがやっているという。玉蘭のアルバイト先。参考)たちのとこでしゃべったり話し合ったりするのは不便でしょ? ここ(漢士)でのように、姐サン!とかアンタ!とかヤリマン!とか言えなくて。陣頭たちのところでそんなこと言える? 心のなかを押さえつけてて」
 「(陣頭のところで)ちょっとお金稼いだら、みんな急いで帰っちゃうよ。すぐ漢士へ来て、ワイワイ言うよ」
 「もし漢士に来たら、あんたが階段のところにいるだけで、従業員の人は、『あのやばい女また来たよ』とか普通に言うよ(訳注:もちろんゲイトークである)。外ではこんなふうに言えるわけないさ!」
 「外だとすごく保守的。本当、保守的。ここだとあることないこと言えるよ」
 「初二や十六のお祭り(訳注:旧暦の毎月2日と16日。元来、旧暦1日と15日は休日で神棚にご馳走を供え一家で食べる風習がある。ただし商家では世間と休日が重ならないように、2日と16日に祝う)のときは、ご馳走が食べられるしね」
 「わかってる。初二や十六日じゃなくたって、いつも阿華や小古(ともに人名)たちがかまってくれるよ。お店はみんな忙しいから、私がそこでべちゃくちゃしてられない。みんながヒマしてたら、私が歌を歌ってみんなを笑わせるの。みんなのアイドルになるのよ」

 アマは彼に、つぎに生まれ変わるなら、女性になりたいかどうか聞いた。玉蘭の答えは趣深いものだった。
 「男でいたくない。他人にタチしてもらいたい。タチりたくない」
 「あんた一生、人にタチったことなんかないでしょ?」
 「ないわよ、タチられることに慣れちゃった(から女でいたい)」

 私は(本物の)仙人になったことがないので、玉蘭仙子が飢えや困難、孤独で耐えがたい暗黒生活を過ごしてきたと言うべきかどうかはわからない。あるいは、彼はすでに物資の欠乏を見越して、仙人のように漂泊することに慣れ、なんの拘束もない自由自在を享受することを会得したのだろうか? 自分では「正常」だと思っている私や私たちは、玉蘭仙子より悩みが少ないと言えるだろうか。さらに問うまでもないが、他人にどれだけの喜びをもたらしているだろうか?
 しかし、私は彼と会うたびに、彼の身から多くの喜びを、見たり感じたりするのは確かなのだ。

 ●インタビューを終えて----みんなのアイドル(原語は開心果。人を楽しませてくれる人)
 はじめてインタビューをしてからすでに4年、当時、玉蘭仙子はまだ心配していた、バレないかしら、と。彼は家の若い世代のものたちが彼が同性愛だと知ることを恐れていた。のちに、彼と一緒にカラオケで歌い、一緒にレインボー熟年バス旅行に参加し、だんだん親しくなると、彼はさらにうちとけ、つねにおどけた様子で、みんなを楽しませた。2009年のホットラインのイベントでは、玉蘭仙子はリクエストを受けてステージに上がって歌った。世代を超えて一堂に会するこの経験は、とてもおもしろかった。もう長いこと彼に会ってない。機会があれば、彼と一緒に歌仔戯を見に行きたいものだ。

翻訳協力:クッキー



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