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1931年(昭和6)「喇叭の吹き方」

 中田羽後*1氏が中田聖楽研究所出版部で出版したこの著書は、教会集会の中で金管合奏を有効に取り入れるための手引きとして発行されました。これは、出エジプト記第19章の中に「喇叭の声ありて甚だ高かり」とあるようにキリスト教とラッパには密接な関係があるという宗教的な、そして集会でのブラスバンドの使用が聖歌を正しく歌うのにも有益であり楽器の持ち運びが容易で機動的であるという実務的な意味合いも意図されたものと言えます。 なお、中田の「ホーリネス教会」では前身の「中央福音伝道館」(1901-1917)時代にブラスバンドが編成されていますが、同じプロテスタント福音書系の「救世軍」では、これに先んじて金管楽器演奏が行われて(1895)*2います。

中央福音伝道館(1901-1917)のブラスバンド

 中田氏が示す最小編成は、金管四重奏に打楽器を加えた編成で、混声四部に書かれた聖歌や民謡等を各楽器用に書き直して演奏していました。
 中田はこの著書で金管四重奏の様々な組み合わせが示されその特徴が下記のように分析しています。

 金管四重奏を発展させた17名編成も示されています。

 ブラスバンド編成も紹介されています。(表は筆者作成のもの)

 中田氏は、楽器名を1929年(昭和4)に日本放送協会関東支部が出版した「西洋音楽語彙(せいようおんがくごい)」に基づいて表記しています。これはこの時代の他の書籍が取り組んでいなかったことだと思われます。

*1 中田羽後(なかだ うご 1896-1974)氏は、「おお牧場はみどり」の作詞者としても知られる宗教家、作曲家、指揮者、聖歌の編者、東京聖書学院初代学園長
*2 日本救世軍の演奏の歴史

                     writer Hiraide Hisashi

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