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黒船の軍楽隊

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1853年(嘉永6)そして翌年にマシュー・ペリー提督が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が開国を求めて日本にやってきました。この艦隊には軍楽隊が乗船していて上陸時に演奏をしたこ…
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2024年4月の記事一覧

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生 その2

 ジョン・ウィリアム・フェントンは指導依頼を受けた薩摩軍楽伝習生のために軍楽隊で使われる…

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黒船の軍楽隊 その00

 従来の広く知られた知識では、日本の吹奏楽は大英帝国第10連隊軍楽長であるフェントン(1)に…

黒船の軍楽隊 その19

 1853年7月8日(嘉永六年六月三日)にペリー艦隊は浦賀沖に来航投錨し、7月14日(嘉永六年六月九…

黒船の軍楽隊 番外編 ドラムスティック

 函館図書館が所蔵する「異国人之絵」には1804年9月29日(文化元年9月7日)に長崎を訪れたロシ…

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黒船の軍楽隊 その18

 1854年(嘉永7年)1855年(安政元年)の米英露3カ国との和親条約締結は、外国船来航の活発化につ…

黒船の軍楽隊 その17

 1854年10月14日 (嘉永7年8月23日)に日英和親条約が締結しました。  1854年 3月31日 (嘉永7…

黒船の軍楽隊 番外編 ヘンデルの行進曲

 1854年のペリーの日本来航時には、ヘンデル作曲のオラトリオ「サウル」の「葬送行進曲」が演奏され、3人の海兵隊員が横浜(1名、後に下田に改葬)と函館(2名)に埋葬されました。 "熊おやじ 提督マシュー C. ペリー サミュエル・モリソン著の「“熊おやじ”提督マシュー C.ペリー」P.370に「海兵隊の衛兵が片手を背の後ろに銃を逆さにして握り(リバースアーム)、横笛と覆いをかけた小太鼓(1)でサウルの葬送行進曲を演奏した。」(There was a guard of mar

有料
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黒船の軍楽隊 番外編 - ロシアンホルンオーケストラ

 『発明家はホルン・オーケストラで使われるまっすぐなホルンを「牡羊の角」のようにリング状…

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黒船の軍楽隊 その16

 18世紀後半の産業革命による工業の飛躍的な発展は、金管楽器の大量生産にもつながりました。…

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黒船の軍楽隊 その15

 江戸時代に江戸幕府や諸大名に仕えた御用絵師は、それぞれの藩主らの命により様々な絵を描き…

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黒船の軍楽隊 その14

 エフィム・プチャーチン(Евфимий(Ефим) Васильевич Путятин18…

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黒船の軍楽隊 その13

 魯西亜帝国(Россійская Имперія1721-1917年)は、1792年にアダム・ラクス…

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