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認可保育園に入れなかった話

(Twitterで少し長い話を連続投稿したので、こちらに再録しました。何も知らなかった若い夫婦の話です)

オチがある話ではありません。私と妻は結婚したとき、お互いに可能であれば仕事はどちらも続けることにしようと約束していました。そしてすぐに子どもが生まれ(1994年)、初めて考えもしなかった困難に直面します(当時は大阪在住)。

預けられるところがない!のです。まあ、今だって預けられるところは「少ない」わけですから何をそんな当たり前のこととも思えるのですが、世間知らずの若い夫婦がそんなこと知るよしもありません。近くの保育園を通り過ぎるときに「ここだったら近いね」とのんきに会話していたわけです

幼稚園のように希望すれば全員入れると思っていたわけですが、市役所に行くと、● あらかじめ申し込んでおく●審査がある。全員は入れない。●4月しか入れない ということが分かりました。妻は当時、自営業者で生まれたらすぐに働くつもりにしていたので困りました。

生まれるまでにもう何か月もないし、妻も産後2か月後には復帰しなければいけないという状況でしたので、市からもらった認可外(当時は無認可と言っていた)保育所の一覧を見て1件々々電話を掛けました。そして空きがあるといわれた保育所(0~3歳児)がありましたので、相談に行くことにしました。

パンフレットに記載のある住所を目指して、京阪電車沿いの裏路地みたいなところを往復すること数回。見つからないので電話すると、なんと一方通行の道沿いにある文化住宅(長屋)の1室が保育園でした。それがいわゆる無認可の共同保育所であると知ったのはその後、しばらくしてからでした。

これが保育園?と最初こそ驚きましたが、2人の保育士はたいへん親切で、経験、知識もあり、たいへん信頼できる保育園でした。子育ての知識のない中、たいへんお世話になりました。当時の公立園の保育料がいくらだったかは知らないのですが、保育料は5万円(延長別)でした。

保育料5万円は確かに負担でしたが、「共同保育」というものが当時の保育の底辺を支えていることを知りました。働きたくても預ける場所のない親が自分たちで始めた保育です。「自助」「共助」ですね。

自治体によっても違うとは思うのですが、行政側も保育園を作れないジレンマがあったのだと思います。そういった無認可園にも一定の補助は出していました。だからこそ保育料を5万円に「抑える」ことができていたのだと思います。

私は、2~3年で転勤することが分かっていたし、保育園を変わりたくなかったので、結局認可園には「措置」の申請をすることなく、そのままその無認可共同保育所に1歳10か月まで子どもをお願いしました。

その後、大阪から転勤となり、東京へ戻ることになりました。そして帰ってきたのが社宅のある府中市。ここでまた困ることになります。妻は大阪で開業していたのですが、そちらでの業務はたたむことに。そして、東京で勤務の仕事を探すことにしたのですが…

保育園に入れるかどうか相談するために府中市役所に行きました。転勤が5月だったこともあるのですが、当然、保育園の空きなどあるわけもないのです。しかも…妻は仕事をやめてしまっていて求職中です。そうです。そもそも保育園に入る「資格」がない。
しかし、保育園が決まらないと就職もできない。面接にだって行けない。いったいどういうことなんだろうと当時は思ったものです。しかも… 府中市の職員… そんな状況で笑って、来年4月の申請をしてください。そして仕事を決めてから来てくださいと言いました。そこで笑われたこと今でも忘れられません

もう行政には頼れないんだなと思いました。結局、また市からもらったしおりを見て、無認可(今でいう認可外)保育園を探すことに。一番近くに無認可保育園もあったのですが、今まで共同保育園に預けていて、その良さに触れていたこともあり、少し遠いけれど、共同保育園を選ぶことにしました。

それが現在の府中の社会福祉法人「わらしこの会」が運営する「わらしこ保育園」の前身、「わらしこ共同保育園」でした。延長料も含め7万円の保育料を払うのもたいへんでしたが、何よりも私たちの求める「生きる力」を育ててくれそうな保育園であることが魅力でした。

園舎というものはなく、普通の家で保育をし、園庭もありませんから、お散歩や公園、くじら山、浅間山に毎日のように出かけるという保育を行っていました。今の時代の基準で考えるとよく事故がなかったよなとは思いますが。

そして、わらしこ共同保育園に子どもが入ったことが私自身の意識の転機にもなります。ここで「市民活動」というものを知ることになります。

当時、無認可保育園にはもちろん認可園ほどじゃないにしろ0歳児から5歳児までを対象に補助金が支給されておりましたが、東京都は(国の政策もあったと思いますが)それを0歳児から3歳児までにし、5歳児までを保育する保育園は3歳児までの施設となるか、廃業するか、認可園に移行する政策を取りました

わらしこ共同保育園の場合は、認可園への移行という道を探ることになりました。ただし、認可園になるためには条件があり、土地や建物建設の費用の多くは行政から補助されたり、貸与されたりするものの、自己資金として5,000万円が必要とされたのです。

わらしこ共同保育園は文字通り「共同保育園」で、職員と保護者が共同で運営する団体(任意団体)でした。したがって、経営者がいないのでその5,000万円は必然的に「自分たち」で調達するしかありません。

その後は、たいへんいろいろなことがありましたが、割愛します。その自己資金を得るために、平日は子どもを預けながら土日は、バザー、イベント、寄付を募る活動、会議などをやっていました。そもそも平日働いているのになんで土日まで保育園のことに費やすのと思ったこともありました…

この「質の高い保育を行う」園を残したいという思いはありました。甲斐合って、最終的には認可園への移行を果たすことになるのですが… そこでまた、一難発生します。

認可園への移行が決まって本当に喜んでいたのですが、その時点でうちの息子は年中。認可園への移行が次の年の4月だったので最後の1年間は、認可園の年長さんとなるはずでした。しかし、私はその時点で小金井市に引っ越しており、私は小金井市から「府中市の」無認可保育園に通っていたことになります。

無認可園なので、今まで入園の「申し込み」は園に直接行っていたわけですが、認可園になれば市に申し込みをすることになります。制度上は、新しい園はいままでとはまったく異なる新しい認可園の「わらしこ保育園」ができるので、新たに市に入園の申請をしなければなりません。

ですから、当然点数を付けられて、優先順位の高い順に入園となりますから、その時点で入れないということも発生するわけです。ですが、特例措置として今の無認可保育園に在籍している子どもは全員、新しい園に入園できると聞いていました。ところが…

府中市の子どもは全員入園できるけど、他市の子どもはできないというのです。新しい認可園は府中市のものだから、府中市の市民を優先すると。ただ、正確に言うと「入園できない」とうわけではなく、「枠の外」として入園はしてもよい。ただし、園との任意契約の園児になるので、保育料に補助は出ない。

さらに正確にいうと、正式な措置児(当時は保育園への入園を認めることを「措置」と呼んでいたような気がします)との保育料の差額(たぶん35,000円くらい)が出るが、それは園が特別な事情として負担してくれるから実質的には、措置児と同じ額で入園できるよとは、園からは言われたのですが…

私はその決定に怒り心頭になりました。2歳児のときからずっと、私は保育園が認可園になるべく、かなりの日数を費やして、努力をして「府中市の」認可園設立に努力して来たのに、認可園になったらあなたは「小金井市民だから残念でしたね」と言われて、くやしかったし、馬鹿にされている気がしました。

ここからの経緯もいくらでも書けるのですが、割愛します。家族3人で府中市に乗り込み、交渉しました。小金井市にも相談し、「それはひどいですね」と担当には同情してもらいまいしたが、小金井市は何もできないと(まあ、あたりまえ)。

「新しくできるわらしこ保育園は今までのわらしこ共同保育園と何の関係もない。現在の府中市民は移行措置として受け入れるが、他市の市民を優先して受け入れるわけにはいかない」との姿勢を崩さなかった府中市ですが、

「では私は何の関係もない府中市民のためのものにがんばって、労力を注ぎ、寄付までして作ってきたのですね。それでは寄付は全部引き上げます。もう入れていただかなくて結構です」と言いいました。結果、「特例」で私(と同じ年中の小金井市民)の正式な入園が決まりました。

行政はときに(頻繁に?)、自分たちの論理でしか物事を考えない。それでも、きちんとした理屈をもって対峙すれば変わることもある。自分たちの生活をより良くするためにはきちんと理屈と実行力を示して行政と向き合わないといけないこともある。と、その時に実感しました。

なんか、長いツイになっちゃいましたが、これが「何も知らない」若い親が少し成長する、そして今にも繋がる考え方を持つようになった原点です。(オチはありませんでした)

まあ、「寄付は引き上げます」と言ったくらいで態度を変えるなら、あなたたちの守りたい「決まり事」ってなんなんだろうなとは思いましたけどね。

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