見出し画像

緊急事態21日目

そろそろ「緊急事態前からこういう生活だったのだ」という自己欺瞞も成立するかと思ったらそうで もなく、地上波ニュースを見たくないという気持ちだけが強くなる。一種のアノミーといってよいだろうと思うが「日本はいま」ということがまったく気にならなくなってくる。

自分がアノミーになってる言い訳になるが、ニュースを見ていても「ニュースを見ているひとがニュースをしている」という気持ちになる。阪神淡路大震災のとき、木村太郎というキャスターが倒壊した家屋を背にして「これはテレビなので私は倒壊した家屋の前から中継しているが、倒壊してない家屋もたくさんある」とわざわざ言ったことを、大塚英志が評価している時評を読んだことがある(「いかにメディアで語るか 神戸震災と筑紫哲也」、『戦後民主主義のリハビリテーション』)。何かを伝えるために、自分が使っているメディアの限界に自己言及することが必要な場合がある、というわけだ。テレビという媒体をわざわざ使って自分がコロナ禍について何を見てる人に伝えたいのかという反省が全然ないニュースを見ていると、なにもかもがリアリティのない感じになってくる。

今日も書類を作って判子を押したりといった地味な仕事をする。判子をおして封筒につめて……とやるのは広いテーブルがいるので居間でやっているのだが、それを見た父が同情してくれてエンジェルズエンヴィーというバーボンを買ってきてくれた。何回か飲んだことがあり、美味しいバーボンなのだが、今日はひどく甘い。疲れてる気がしたので横になったのだが、結局眠れなかったので5時ごろまで授業の準備をして、寝た。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?