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緊張事態16日目

仕事でどうしても千葉にある大学にいかなければならず頑張って早起き。色々仕方ないのだが、大学や学会の事務作業というものはまだまだ紙と印鑑と郵送で回っており、それらのことを処理するスタッフが必要なのだ。それが俺ってワケ。

駅で降りて健康のために歩いて大学に行く。この大学はコンパクトだが雰囲気は悪くなく、楽しい学生生活を送れそうだ。僕の母校は教養課程のときの日吉キャンパスはともかく、三田キャンパスはあまり長居したいようなとこではない。ほとんどが文系の3〜4年生なので就活でピリピリしてるのもマイナスポイントだ。

ラベルシールを大量に印刷しなければならないので待ってる間は在日ファンクの『在日ファンク』を聞いていた。いまさら?と言われるかもしれないがこういうのは出会いだから仕方ない。

聴いてたやつではないが、こういうの。いいでしょう?

そのほかにも割印を押すといった地味な作業をして夕方に秋葉原についた。20時までは大丈夫だろうと「あしあと飯店」でビールを飲む。久々のタップビールはさすがに美味くて、脳に直に快楽が来るようだった。最近は快楽についてよく考えてる。古代にはエピキュリアンという人々がいて、これは快楽主義とも訳される。どんな教科書でも書いてあることだが、彼らは別に乱痴気騒ぎに明け暮れていたわけではなく、魂の平静(アタラクシア)という境地を目指していた。その暮らしぶりは必要最小限の質素なものだったという。快楽主義者なのに質素で穏やかな生活というのはこれいかに、という当然の疑問であり、ライバルのストア派からも批判されていたようだ。しかし、私の解釈では(というか想像では)快楽というものの本質を見定めるにあたって、それを好みや趣味tasteから切り離すということが彼らの思想の肝なのではないかと思う。好みや趣味は欠乏の苦しみや執着を生む、それらは快楽そのものではあり得ず、したがって魂の平静も得られないのである。これは一つの洞察である。趣味をなくすことを目指す生。

帰ってからけんちんうどんを食べ、すぐに眠くなったので早めに寝る。やることはたくさんあるのだが。

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