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諫議大夫の有難さ。

諫議大夫という存在を知ったのは帝王学の書物を読もうとしてはて?さて?なんのこと??と頭が及ばず、ならば!とYouTubeアバタローさんの「貞観政要」の動画をみてまず本の要約を知りそれからさらに『座右の書 貞観政要』(ライフネット生命会長 出口治明著)を読んでから。 長い道のりです。  ひとつの物事を知る、というのはこういった長い経路をたどるからこそ頭に深く刻まれるのかもしれない。

「諫議大夫」とは、中国を治めていた李世民の周りにいた6人の付き人のことで、なにがすごいというと簡単に言うならば李世民はこの6人に「たのむから、俺がなにかやばかったら厳しく教えてくれ」と言い続けていたこと。そしてその通りに諫議大夫たちは諫めまくるのです。 そりゃもういちいち言います。「君主よ、そんなことではいけません」「そのようなお召し物ではなりません」「あのときのお言葉はいけません」・・・・・

耳が痛いことってだれしもがいわれたくない。・・・それは大人になるにつれ聞き入れがたいものになる。立場が偉くなってくればそれだけ、周りも言いづらくなるし本人も聞き入れづらくなる。けれども李世民は知っていたのですよね。 まわりに諫める人がいなくなったときに国が滅びてしまうことを。   なので貞観の西暦627年~647年の間というのはもっとも国内が治まった時代の一つといわれ、のちにこの「貞観政要」は徳川家康や北条政子、明治天皇などに愛読されるまでになったとか。            

耳が痛いことをあえて言ってきてくれる人をただのクレーマーとして片づけていないだろうか。 「あのひとうるさいよね」と被害者ぶって終わっていないだろうか。 もしそうだとしたら多大な損失になってしまう。  大人になればなるほど、立場が上になればなるほど、言ってくれるひとは減っていくのだ。 そこに甘んじてしまったらいつのまにか『裸の王様』が出来上がってしまう。オーマイガー!   

私には諫議大夫がありがたいことに2人いる。(まだ2人ではあるが)とっても貴重な2人。  耳が痛いことを全力で言ってくれる。いうほうもそれ相当の覚悟を持って、そして「愛で」言ってくれるのだ。  そして耳が痛いことを聞いたときに腐ってはいけない。 まっすぐにまっすぐに受け止めて丹念に自分の中を覗いてみるのだ。

腐るのも落ち込むのも自由だけれど、大切なのは「自分を放棄しないこと」。まだまだ伸びしろがある。知ったらそこを改善すればいいだけの話。あとは良くなるしかないのだ。  そう、あとは良くなるしかない!。直すべきところを教えてくれる諫議大夫はありがたい。 絶対にいてもらったほうがいい存在だ。   

改善点は伸びしろ! 改善したらステージアップということ!!

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