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《短編小説》シンデレラたちの童戯

 昨日、私は大人になった。
 同じ部活でひとつ後輩の若田くんと、いわゆる初エッチというやつをしてしまったのだ。不純異性交遊というやつだ。
 日曜日の夏に差し掛かる暑いお昼。誰もいない若田くんのお家で、明るい太陽から隠れるみたいにカーテンを閉めて。若田くんが買ってきたコンドームを着けてあげて、私は勝負下着を脱いだ。
 私は大人になったのである。
「陽菜ちゃん、今日機嫌いいよね」
「そう? そんなことないけど?」
 教室の、一番後ろの窓際で、ひとつの机にお弁当がふたつ。美味しそうに卵焼きを頬張る愛莉が、私の顔を覗き込む。
「若田くんと、何かあったでしょ」
「別に。ないけど?」
 嘘。あった。でも愛莉にはちょっと早いと思う。
「ふーん? ……でも、陽菜ちゃんが年下と付き合うとは思わなかったなぁ」
「たしかに。男子って同級生でも馬鹿っぽいのばっかだもん。わ、若田くんが特別、なんだと思う」
「へえー」
 にやにやと笑う愛莉の爪先をつん、と蹴る。ローファーがぶつかり合って軽い音がした。
 早々にご飯を食べ終わった愛莉は、私が食べ終わるのを待ちながら、午後に提出する課題を取り出した。愛莉は真面目で、ほわほわしていて、ついでに云えば小さくて可愛い。
 身長が高くて、少しキツイところのある私とは正反対で、シャーペンを握る手も高校生には見えない。
「課題、やってなかったの? 珍しいね」
「昨日寝落ちしちゃったんだよねえ。でもあとちょっとで終わるよ」
「写させてあげよっか?」
「やっぱ陽菜ちゃん、今日機嫌いいよね」
「別に? そんなことないけど?」
「絶対若田くんとなにかあったって」
 愛莉は喋りながら問題文を読み始める。随分と器用だ。私は、弁当箱の隅に逃げ込んだ最後の米粒ひとつを執拗に追いかける。
「課題はいいよ、自分でやるよ。陽菜ちゃんより私のが頭いいし」
 にへらと笑って、たおやかに穏やかに、煽られた。
「もしかして、今日機嫌悪い?」
「べつにぃ?」
 ようやく捕まえた米粒を口に放り込みながら、愛莉の顔をよく観察してみる。相変わらず長い睫毛が下を向いて、ふにふにしたほっぺが小学生みたいでかわいい。ふわふわ猫毛のボブも、撫でたくなる。
 私が昨日の夜、三十分かけてようやく解いた問題を、愛莉はあっという間に解き明かした。昨日たどり着いた答えと違う気がして、ちょっとだけ冷や汗が出る。
「……あとで答え見せて」
「やったんじゃないの?」
「やったけど」
「どうしよっかなぁ」
「やっぱ機嫌悪いじゃん」
「悪くなーい」
 絶対悪いと思う。大人になった私にはわかる。
 やっぱり、隠し事をしているのがバレているのだろうか。でも愛莉にはまだ早いと思うのだ。だってこんなに可愛いし、ふわふわしてるし。
 だけどたしかに私も、愛莉に隠し事されたら嫌だなって、ちょっとだけ思うわけで。
「愛莉、あのね」
「なぁに?」
 騒がしい教室を見渡してみる。
「や、やっぱり、歯磨き行ってから話す……!」
 行きつけの歯磨き場所は、まだ人が少ない部室棟の隅。私たちはだいたいいつもここでギリギリまで駄弁っている。
 告白は、歯磨きする愛莉の、シャカシャカ音に消されそうなほど小さな声になってしまった。
 いや、別に恥ずかしくないことだし、大人になったわけで、そんな照れることでもないし。ただ、でも、おおっぴらにすることでもないっていう分別が付いているからこその事態なわけで。
「おっ! おめでとうじゃん〜」
 ぽかんとするか、顔を真っ赤にするか。反応はその二択だと思っていたのに、全然違った。
「えっ?」
「ん? おめでと〜」
 あっけらかんと、拍手もされる。
「あ、りがと……?」
「いやぁ、陽菜ちゃんも大人になったんだねえ」
 思ってたのと違うな、と心が呟いた。
「いやいや、あの陽菜ちゃんがねえ」
 ニヤニヤ細めた瞳には、いつもの子供っぽさがない。むしろ、おせっかい焼きの親戚のおじさんおばさんみたい。
「ど、どういう意味」
「大人なトークして行こうねえ」
「まあ、ね、そうね、そういう話も、もう出来るんだよね。……ん?」
 ちょっとおかしくない?
 なんで愛莉のほうが、やっとかー、みたいな雰囲気を醸し出しているのだろうか。
「陽菜ちゃんは痛くなかった?」
「ま、待って! なんか、おかしくない? 愛莉、その、し、シたことある、みたいな……言い方っ」
 やっとぽかんとした愛莉は「ああ!」と思い出しかのような声を上げる。
「言ってなかったねえ。陽菜ちゃんにはまだ早いかと思って! 私ねえ、一年の五月が初めてだったんだよぉ。そのとき三年の先輩と」
「ぅええ? その頃彼氏いたぁ?」
「ううん?」
「ううん!?」
 そんなのって、よくないと思う。そういう爛れたのは、よくない大人がやることで、私たちなんかがやって良いことじゃない。
 顔が熱い。今日って真夏日かなにかだったっけ。火照る頬をどうにか冷やそうと、手を当ててみるけどやっぱり熱い。
 そんな私を、愛莉が大人の顔で笑う。
「陽菜ちゃんにはまだ早かったねえ」
 早いとか、そんなじゃなくて。
「不純異性交遊って言うんだ、そういうの……!」
 わはは、とのんびり笑う愛莉の、うがいで濡れた唇がやけに艶めかしく見えて悔しかった。

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