キリの時の低さ ―2024年6月20日
・どう思います? あなたはどう思うのでしょうか? そこが1番の焦点だと思います。結局はあなたが思った方で正解なんじゃないでしょうか。そもそも正解を知ることが、本当に正解なんですかね? いや、簡単ですよ? 正解を言うことなんて簡単なんですよ、言う方も聞く方も。ただそれでいいかって話。正解だけを言い合う世界で何かが生まれるのかって話。いや別に「嘘をつけ」って言ってるわけじゃないんです。解釈の余地の問題。一義的な解釈ってさ、サボってるだけじゃないの? 感受性、休ませないで。常に考え続けようよ。まあ、いつか言われるかもしれないね。「それってあなたが都合いいように考えてるだけじゃない?」って。言われる時は来る。でもそれってダメですか? ダメなことなんですかね? 僕らって常に国語のテストの世界で生きてるんでしたっけ? 傍線部の筆者の気持ちを正確に捉えなきゃいけないんでしたっけ? うん、もちろん、読解ミスによって人間関係の不和とか生まれたら嫌ですよ? あるいは勝手な解釈で一方的に憧れてた人を嫌いになってしまったりね。そういうマイナス報告の読解ミスは確かに嫌かもしれない。ただ、プラス方向の読解ミスってダメなのかな? しちゃいけないんですか? それって誰が決めた? 正しい読解によってでしか好きな人を決めちゃいけないんだとしたら、世界って窮屈でつまらないと思う。教科書どおりのコミュニケーションで完結する世界って、魅力半減じゃないかな? 俺はそう思うよ。そう、その失われた半分の魅力ってさ、「勘違い」なんですよ。身も蓋もない言い方したらそうなる。世の中の半分の魅力は、勘違いによって生まれるんだ。それを全部なかったことにしたいなら俺は止めない。でもさ、勘違いだろうが何だろうが、お前の感情が動かされたってことは事実じゃねえのか? ときめいたってことは間違いじゃないだろ。恥じるなよ、てめぇの感受性を。いいじゃないか、プラス方向への勘違いなら。お前をときめかせたのはお前自身なんだよ。これはね、読解が正解してるしてないに関わらずそうなんです。何かを好きになった時、自分をときめかせてるのは自分自身なんだ。相手に「好き」を与えてもらってる気分になるかもしれないけど、本当はそこの発信源は自分なんだよ。だからさ、聞いてどうする? 国語のテストの問題に正解してるかどうかを、テスト中に聞いてどうする? あなたが思った通りでいいんだよ。でもね、強いて僕から1つ言うとしたら、もしあなたがプラス方向に物事を読解できる能力があるんだとしたら、その気持ちはずっと忘れないで欲しいな。それってとっても素敵なことだから。プラス方向への誤読は才能だから。たとえ偽りであってもさ、「毎日が楽しい」と思えてる人の方が幸せじゃないのか? それを暴く権利が誰にあるんだ? 暴くことが正しいと誰が言えるんだ? もうやめようよ。正解主義から脱却しよう。間違っててもいいじゃないか。恐れるな。この世には正解なんてないんだ。正しい幸せも、正しい好きも、正しい読解も、ないんだよ。繰り返す、恐れるな。自分と相対することを恐れるな。聞いちゃいけない。人に日記が遅れてるかどうかなんて聞いちゃいけないんだ。答えは自分の中にある。もうあなたの中にある。どうだい? どう思った? いや、まあ別にアレですけどね。本当のところ自分、別に日記遅れてるわけじゃないっすけどね。まあまあまあまあ、身バレ防止っつーか? 自分、一応すません、インフルエンサーなんで。当日のことを書いちゃうと? ワンフーが? 押し寄せて? 来ちゃう? つーか? ハチャメチャが? 押し寄せて? 来る? つーか? 泣いてる? 場合じゃない? ワクワクを? 100倍にして? パーティの主役に? なろう? 夢中になれるものが? いつかきみを? すげえ奴にするんだ? NO-TEN P-KAN? 空は晴れて? IPPAI OPPAI? ボク元気? トラブルと遊べ? ヤンチャボーイ? We gotta power? ドラゴンボールZ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?