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もう会えないあの人を想う。


大切な人を失って、2年が経ってしまった。
時間の早さに気持ちがついていかない。

2年が経っても
いまでも、彼女のことをいろんなタイミングで、思い出してしまう。
もう、絶対に会うことも、声を聴くこともできないのに、それは分かっているのに、
また、会えるような気がしてしまう。

どうして、、あのとき、、、という後悔ばかりが
今でもたくさん残っている。


人が死ぬ、ということがどういうことなのか
わたしは
彼女の死を通してはじめて知った。

命の重さ、とか
生きていること、生まれてきたことが奇跡、とか
全部綺麗事だと思っていた。
でも
永遠なんてないんだということを知った。
突きつけられた。
だから
命は重たくて、そして、生きていること、そのことがとても尊い。今はそう思う。

命あるものはみんな、
毎日少しずつ死に向かっていて
死なない人はいない。誰もがいつか、必ず死ぬ。
そんな当たり前のことを
大切な人を失って、はじめて実感を持って知った。

わたしが何かを背負うことなんてできないし
それはしてはいけないし
わたしのこの気持ちなんて
もっと近くに居た人たちの苦しみと比べたら、たいしたことはない。

でも、ずっと忘れられずにいて
いまでもまだ彼女の死を引きずっている自分がいる。

わたしが生きている“今日”は
彼女が何よりもほしくて、でも手に入れることができなかった時間で
それを考えたら、とても死にたいなんて言えないけど
それでもやっぱり全てを終わりにしたくなるときも、1年を過ごせば何度かあって
その中でとても葛藤した。

それでも、
2年前よりは、わたし
毎日を大切にできているんじゃないかな。
そして
大切な人と過ごす“今”を
大事にできているんじゃないかな。
そうであったらいいな、と思っている。

彼女と過ごした時間、
話したこと、もらった手紙、電話の声、踊る姿、それらをわたしはきっと、この先もずっと忘れない。
それと同時に、彼女がもういないこと、亡くなった事実も、この先も変わらない。
考えると苦しくなるから
そのどちらかを見ないフリしたくなる時もある。
だけど、
“彼女が亡くなって3年”を振り返る時には
その両方を受け止めて
もう少し前を向けたらいいな、と思っている。
いまはまだ、少し難しいけれど。

さようなら、そう言って別れたつもりだったのに、今でも時々、会いたいと思ってしまう。
関われた時間はとても短かったけれど
わたしにとってはとても大切な人だった。

2年。
時間が過ぎるのはとても早いね。



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