見出し画像

リストカットを半年、手放して


高一のときハサミで始めたリストカット。
切るものがそのうちカッターになり
二の腕から前腕、そして太ももまで切るようになり
前腕の血管を三度切り、三度の輸血もした。

途中やめていた時期もあるけれど
わたしとリストカットの付き合いは13年目に入るところだった。

けれど
3月に縫合したのを最後に
わたしは腕も太ももも一切、切っていない。
持っていた10本近いカッターと替え刃も
全て捨てた。

切らなくなった最初の理由は
死ぬ日を決めたことで心が楽になって、切る必要がなくなったことだったけれど
死ぬことを手放した時
一緒に、切ることも手放したいと漠然と思った。
もう、縫合と抜糸に一万円以上かけて病院に通い続ける生活は嫌だな、と。

それから
一度カッターを買ってしまったことはあったけれど
切る前に薬局に預けることができて
それ以降は買うこともしていない。

カッターのない生活は
荷物の開封がハサミでやるから面倒、とか
紙を半分に切るのに使えない、とか
不便さを感じることもあったけれど
ないことで
たとえ切りたくなっても
手を出さずにすんできた。

半年たって皮膚の状態も
よくなってきた。
全体的に赤みのあった前腕の傷跡は
ほとんど赤いところがなくなって
半袖を着てもさほど目立たなくなってきた。

だから
去年までは長袖のパーカーを羽織っていたことで
着ることができなかった
背中にデザインのあるTシャツも
着られるようになった。
袖が可愛いデザインの半袖も着られるようになった。

それが
とてもうれしい。

そして
カッターに対する心理的な見え方も変わった。

今までは
文房具屋さんに並ぶカッターは
腕を切る道具として見えていた。
だから
どのカッターが、どのメーカーの刃が
切れやすいのか
という目線でしか見ていなかった。

でもいま文房具屋さんでカッターを見ても
それは文房具のひとつ、にしか見えない。
腕を切る道具ではなく、荷物の開封や紙を切るための道具。

だからもう手放せた、と思った。

もし
わたしがまたカッターを買うときは
それは
リストカットのためではなく
文房具として。
絶対にそうだと思えた。

まだ
前腕も太腿も痒いから
きずときずあとのクリニックには通っている。
でもそれは縫合としてではなく
傷跡を治すため。
治療もステロイドのテープ剤や軟膏の処方。

もう二度と縫合で受診しない
と言い切れる。

フラッシュバックが起きても
しにたくなっても
わたしはカッターを手に取らない。
半年たってやっとそう思えた。

だから
いま、リストカットや瀉血を
手放せずにいる人たちにも伝えたい。
いつか、必ず手放せる時が来るよ、と。

10年以上手放せなかったわたしが言うんだから
絶対に、そう。
だから、大丈夫。

そろそろ自分の部屋にも
一本、カッターを置こうかな、と思っている。
もう大丈夫だから。

体調は万全じゃないし
手放せてないこともまだまだたくさんあるけど
こうやって少しずつ
焦らずひとつずつ、手放していきたい。

見守ってくれてるみんな
いつもありがとう。

ここまでこれたのは
きずときずあとのクリニックの先生方、スタッフのみなさん
訪看さんや薬剤師さんたちが
そばにいてくれたからこそ。
感謝の気持ちでいっぱいです。

まだまだ傷跡の治療は続くし
手放していきたいこともたくさんあるから
引き続き見守ってもらえたらうれしいです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?