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対処行動としてのタバコについて


わたしはいまタバコを吸っている。

長島=タバコ
のイメージがないようで
喫煙者だと言うとたいていの人に驚かれる。

もちろん
なんの考えもなく吸い始めたわけではない。
今日はその話を書きたい。


新たな対処法を探していた

リストカット、処方薬od、過食嘔吐
それらを
複雑性ptsdの対処法にしていたわたし。
でもどれも
わたしの心を削るものだった。
だから
心を削らずに、対処法になるものを
新たに探していた。

そんなとき
友だちにタバコを勧めてもらった。
その子もしんどいときタバコを吸う、と言っていた。

タバコに偏見はなかった。
だから
吸ってみようかな、と思った。

吸ってみて…

最初の頃はあまり心の変化はなくて
対処法にはならないかなあ、と思った。
いま思うと、
たぶんうまく吸えていなかったのだと思う。

でもそのうち
心の苦しさをタバコで紛らわせるようになってきた。
苦しい時タバコを吸えば
腕を切ったり、処方薬を大量に飲んだりしなくても
やり過ごせるようになった。

対処法としてのタバコ

世の中にはタバコに対する偏見があると思う。
身体に良くないのは事実だと思うけど
吸う人を、吸うことで人間性まで判断しようとしたり
マナーの悪い一部の人を全体のように言ったり。
だから
わたしも
タバコを吸っていることをオーブンにするには
かなり勇気がいった。

でも
わたしはニコチン摂取のために
タバコを吸っているのではなくて
対処法としてタバコを選択している。
だから
いずれ、複雑性ptsdが軽くなった時には
タバコも手放したいと思っている。

おわりに

タバコ、というと
いい印象を持たれないかもしれない。
でも
吸う人の中には
しんどい気持ちを紛らわせるために吸っている人もいることを知ってほしい。

すぐに手放すのは難しいけど
いまはわたしの大切な対処法のひとつとして
タバコという選択肢は持っていたい。

ちなみに
最近は紙タバコも吸うけど
IQOSにハマっている。
IQOSおいしいよね〜



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