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Allyという言葉について思うこと。


Ally(アライ)という言葉を知っていますか?

これは
[協力者、盟友、味方]
などの意味があり、
セクシュアルマイノリティを指すLGBTに対しては
理解者、支援者の意味で使われている言葉です。

これらの言葉ができた背景には
セクシュアルマイノリティが差別され続けてきた歴史があり、
その中で、「わたしはAllyですよ」と言う人たちの存在は、きっと、当事者にとって、救いであったと思います。

でも、わたしは
この言葉に強い違和感をずっと抱いてきました。

セクシュアリティというのは
特定の人だけに関わることではありません。
性的指向も性自認も
すべての人に関わること
です。
それなのに
Ally(理解者・支援者)です、と言うことは
「わたしは違うけど、理解してます、支援します」と言っているのと同じではないでしょうか?

わたしは
性的指向や性自認を
“自分とは直接関係ないこと”という風には
受け止めてほしくありません。
“自分は違うけど”って線引きをしてほしくないです。
セクシュアリティに“わたしは違う”とか、本来はないはずです。

それは、本当の意味での理解、ではないと思うし、
LGBTを“特別なこと・特殊なこと”にしていると思います。


SOGIという言葉があります。
これは
性的指向(Sexual Orientation)と性自認(Gender Identity)の頭文字をとった言葉で
あらゆる人に関わること、という認識に立ったもとでうまれた言葉です。
この言葉の成り立ちを踏まえれば、
Allyという言葉は、積極的に使われるべきではない、とわたしは思います。

わたしは、
いつかLGBTという言葉がなくなって
当事者とか支援者って立ち位置もなくなればいいと思っています。
もちろん現状を考えれば
まだまだ差別はあるし、
制度上足りないこともたくさんあって、
簡単なことではないけれど。
でも、そういう社会にしていきたい。
きっと、それこそが、誰にとっても生きやすい社会だと、わたしは信じているからです。


Allyという言葉を使っている人と出会うたび、
SNSのプロフィールに“Ally”と書いている人を見かけるたび
わたしは、そこに壁を感じてきました。
その人たちに悪意はなく、だから非難したいわけではないけれど
わたしたちはこの先もずっと“マイノリティ”なんだなと、そのことを突きつけられているような気持ちで過ごしてきました。

どんな言葉を使いたいかも、どう生きていきたいかも、当事者の間でも様々あると思います。
わたしの書いていることは
あくまで、わたしの思い。

でも、わたしは
尊敬する人が以前言っていた
「絶対自分は同性を好きにならない!って言いきれる人のほうが少ないんじゃないかな。」
って言葉に救われたから
同性を好きになるって変わったことでも、特殊なことでもないんだって、この言葉を聞いてやっと思えたから
やっぱり、LGBTを特別なことにしたり、
“わたしは違うけど”が前提になってる“Ally”は使ってほしくないなあと思うんです。


#Ally #LGBT #セクシュアリティ #SOGI

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