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LGBTを名乗るのをやめました。


そう書くと、
誤解を受けてしまうかもしれないけれど
わたしは別に
名乗ることを悪いことだとは思わない。

あくまで、“わたし”が、
名乗ることに息苦しさを感じるから
やめるだけだ。

そして
LGBTに対する差別がない、と言いたいわけでもない。
わたしが目指すのは“わざわざ名乗らなくていい社会”だけれど、今の社会がそのレベルにあるかというと、到底そのレベルにはないとも思う。

“LGBT”という言葉が出来て、
その言葉が広まったことで前に進んだこともたくさんある。

声を上げてきた人たちが居ることで
居ないことにされそうな私たちは、「ここに居るよ!」と言えてきた。
それらのことを否定したいわけでもないし
わたしがこれまでバイセクシュアルを名乗ってきたのも、「ここに居るよ」と言いたかったからだ。

そして、わたしが今の社会に求めていきたいことは変わらずある。
それと今後自分がLGBTを名乗るかどうかというのは、すこし違うところにある。


もともとわたしのセクシュアリティは
ひとことで表せるようなものではなかった。

バイセクシュアルです。
と言ってきた。

一時期は
説明を簡略化したいがために
ノンセクシュアルだとか、FtXだとか
とにかく
何かひとことで表せる言葉を探して使っていたこともあった。

でも、
それらだけで“わたし”を表すことはできないのだと気づいてしまった。
ぴったり当てはまる言葉なんて、どこにもなかった。


もう何年も“バイセクシュアル”であるとオープンにしてきたけれど
それすらも、違和感がある。

恋愛対象だけじゃなく、
電車に乗ったとき、思わず素敵だなと見てしまうのも、
写真集を買いたいほど好きなのも
みんな、女性だ。
男性に対して、素敵だなとか、いいなと思うことなんて、数えるほどしかない。

でも、じゃあ
レズビアンなのか、そう名乗るのか、と聞かれたら
今のわたしには、
その選択肢はない。

もしレズビアンを名乗れば
また、そこに当てはまらない何か、があったときに苦しみ、何とかそこに当てはまりたいと思ってしまうだろうから。
それって、何のため?誰のため?と思うから。

わたしは、わたしでしかない。

バイセクシュアルの長島さん、ではないし
LGBTの長島さん、でもない。
わたしの名前の前に、そんな言葉は必要ないと
そう思った。

わたしは、
好きな人を愛したいだけだし、
それが女性でも男性でも
それによって自分のセクシュアリティをどんな言葉で表すか…その都度変える必要もない。
誰かに、わたしのセクシュアリティを表明しなければならない、なんてこともない。

わたしは、別に誰に求められたわけでもないけれど、
無意識のうちに
自分でつくったLGBT像、バイセクシュアル像に当てはまろうとしていた。
そして、
何かの言葉に自分を当てはめようと必死だった。

それを、もうやめたい。
わたしはたしかに世間でいう“セクシュアルマイノリティ”だけど
それをあえて、バイセクシュアルやレズビアンという言葉を名乗ることで、
自分という存在を何かに固定したくない。

だからわたしは
LGBTを名乗るのをやめようと思う。

同時に
LGBTやバイセクシュアルという言葉を使わずに、「ここに居るよ」と伝える手段(方法)はないのか、模索したいとも思う。



#LGBT #SOGI #セクシュアリティ #性的マイノリティ


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