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「強い」という言葉の難しさ


わたしがある日、日記にこう書いた。

私は、PTSDと共に生きていけるほど強くない。

それに対してわたしの主治医はこう返してきた。

「長島さんはよく踏ん張ってると思う。強いと思うよ。」
「いろんなPTSD患者さんを診てきたけど、その中でも長島さんは強い。よくたたかってるよ」

そう言われてわたしは
返す言葉が見つからなくなってしまった。
わたしは強くはない。
強い人間は腕を切ったり、ODしたり、過食嘔吐したりしないと思うのだ。
頻繁な入院や救急搬送も、ないと思う。
何より、もっと違う人生を選びとれていたはずだ。

わたしは強いから踏ん張れてるのではない。
踏ん張るしかないから
薬を飲み、腕を切り、何とか苦しさに耐えた結果がそれなだけで
それは決してわたしが強いからではない。
逃げることをわたしが選べないから
性格的に選び取ることができないから
苦しい道を自分傷つけて進んでいるだけだ。
自分を傷つけないと踏ん張れない。
自分を傷つけないと進めない。
だから、わたしはとても弱い。

自傷をする人が弱い、とは思わない。
ただ自分に対してはそう思う、というだけだ。

みんなはどうなんだろう。
自分のこと、強いと思ってるんだろうか。
それともわたしと同じように
弱いと思っているのだろうか?

「強いね」って言葉はとても難しいと思う。
言われた側は返す言葉を失う。
それに「弱いよ」って返したところで
ただの押し問答になってしまう。
「強い」は
その人の日々の苦しみを軽く見せてしまう、とも思う。
本当はギリギリのところで何とかやってるのに
強いと言われることでそのギリギリさが
見えなくなってしまう気がする。
実際わたしも
死にたさを抱え、ODやリストカットといった対処行動で何とか日々を過ごしているのに
それを「強い」の一言で片付けられたくないと思った。
わたしの日常は
そんな単純で簡単なものではないのだ。
この苦しみは、強さという言葉で美化されるものではないのだ。
そう思った。

それでも、主治医の思いを必死で汲み取ろうと思った。
わたしの主治医は安易に言葉を発する人ではない。
むしろ慎重で言葉数は少ない方だと思う。
その主治医が「強い」という言葉を選んだのには
きっと意味があるはずだ、と。

でも、残念だけど
考えてもそんな理由なんて分からなかった。
もしかしたら
生きることに消極的になっているわたしに
「大丈夫だよ、あなたは生きていけるよ」
と伝えたかったのかもしれないけど
本当のところは分からない。
だから代わりに
「強い」はきっと
「がんばってる」って言いたかったんだ
って思うことにした。
そしたら少し心が楽になった。

「強い」は
言われた人の心を縛る。
そう在らねばと
必要以上にがんばってしまったり
弱く居ることができなくなったりする。

「強い」が
背中を押してくれることもあると思う。
これまでやってきたことに意味があったんだ、と思わせてくれたり
自分を褒めるきっかけになったり。

だから難しい。
言うタイミング、相手の状態。
それをよく見極めて「強いね」って言ってほしい。
それが受け止められない状態のときは
かえってそれがダメージになるから。

本来、人は「強い」か「弱い」かの
二択ではないはずだ。
わたしは
「強いね」じゃなくて
「がんばってるね」とか「踏ん張ってるね」とか
そういうもっと違う言葉を使う人で居たいし
これを読んでくれたあなたにも
そう在ってほしい。

「強い」って言葉は
本当に難しいと思う。





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