見出し画像

メジコンに手を出した日


苦しかった。
思考を濁らせたかった。
もう、
考えることをやめたかった。

だから
メジコンに手を出した。

10錠、わたしはそれを水で流し込んだ。

市販薬を手放して2ヶ月になろうとしている
10月24日の深夜。

金パブ、という選択肢はなかった。
だから
今度はメジコンを飲んでみた。

本当は知っていた。
薬を飲んで思考を濁らせたところで
現実は変わらないということを。
飲んで何か変わるわけではないということを。

そして
いま苦しんでいることが
人生の全てではなくほんの一部だということも。

分かっていたけど
苦しくてどうにもならなかった。
眠れなさがそれに拍車をかけてしまった。

一度、病院の夜間には電話をした。

それでも
飲みたい気持ちはおさまらなかった。

飲んでふわふわして
苦しさはいっときおさまった。
でも、それだけだった。
やっぱり当たり前だけど
現実は何も変わらなくて
翌日になれば何も変わらない日常があった。

苦しくてどうしようもない時
薬を飲みたくなる。
飲むこともある。
それは
現実から逃げるひとつの手段かもしれない。

だけど、同時に忘れてはいけないのは
現実は何も変わらない、ということ。
薬が切れれば
苦しい現実がそこにある、ということ。

また、苦しさに押しつぶされそうになったとき
わたしは薬を飲むかもしれない。
なるべくそうしたくないけど、そうするかもしれない。

でも、
いっときの逃げる手段でしかないことは
忘れずにいたいし
金パブのように、手放せないものにはしたくない。
それだけは
きちんと頭の片隅に置いておきたい。

手放し続けてきた市販薬に
ふたたび手を出した日。
あのふわふわ感は忘れられないし
また、そこに逃げたくなるかもしれないけど
「薬を手放したい」という気持ちだけは
ちゃんと、持ち続けていたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?