自分が思い通りにいかない時

先週、初めて個人伝道というものをしました。

対象は、教会学校にしばらく通っていた小学生高学年のある男の子。

幼稚園の弟さんとお母さんもここ数年教会学校に通ってます。
全員ノンクリスチャン。

主任牧師に
「神学校行く前に個人伝道の経験しておいた方がいいよ」
と言われとりあえず自分なりの言葉で伝えてみました(ドキドキした〜)

結果はなんとOK!(感謝!!)
「イエスキリストを自分の救い主と受け入れます」
と告白し、4月のイースター(イエスキリストが復活したことを記念する日)目指して準備をしていこうということになりました。

うちの教会では未成年の場合、両親の許可を受ける必要があります。

ご両親ともノンクリスチャンですが、お母さんはOK。
「主人が出張から帰ってきたら聞いてみまーす」
とのこと。

そうしたらお父さんの判断は、
「反対な訳じゃないけど…、まだ待って 大人になってから 選んだ方が良いんじゃない?」
と。

多分日本のノンクリスチャンの親からみた時、子供がある宗教の信仰を持とうと思った時ってこういう感覚が多いのかなと思います。

ノンクリスチャンの親からすれば、
子供が本気で信じようとしている宗教は悪い宗教ではなさそう。
けどもう少し自分が判断できる年齢になってからでもいいのでは?
という感覚だと思います。

僕も父親がノンクリスチャンで、子供の頃洗礼について聞いてみたら、
「大人、つまり二十歳以上になって自分の判断に責任持つようになったらいいよ」
と言われました。


こちら側としては、1人救われたーと思って嬉しく、準備しようとしていた矢先、親の反対にあい、一度ストップした状態になりました。

前の僕なら、
なんで神様すんなり洗礼受けさせてくれないのー?
と疑問に思い、ブーブー言ってました。
洗礼を受けることは神の計画と思うし良いことだと思うから。

でも今回その話を聞いた時、

自分の予想と違う。
なら自分の予想よりもっと良いことを神は用意してくれているはずだ。

と素直に思えるように変化している自分に気づきました。



なんで人は自分の思い通りにならないと不満を持つのかというと、

自分の予想している計画が一番正しいと思っているから。

だからそれ以外のことは全て悪いことだと思ってしまう。


しかも、それが一見神様にとっても良いことだと思えることだと(今回の場合でいうと洗礼)なおさらそう思う。

洗礼は嬉しいし自分にとっていいこと→きっと神様にとってもいいこと→それができない→これは悪いこと

こんな思考が働くのかなと。

でも神様は自分よりはるかに全体を俯瞰して見ていて、
自分よりはるかに計算高く、そしてはるかに頭がいい(笑)

なにより神は良いお方だから、自分で今考えているより、もっと別のさらに良い計画があるだろう

って思えると、自分にとって思い通りにならないことも、いちいち振り回されず、なら今できることって何だろう?って思えるようになるのかなと思いました。


僕は今回たまたま(笑)そのように思えましたが、夫婦関係や子育て、仕事などで思い通りにならない時はよくイライラしたりすることがたくさんあります。

そのようなとき、

自分の考えや予定には限界があり、神はもっと良い別の考えを持っている

というのを思い出せば、もっと自由に生きれる

と思わされました。



ではまた〜



長瀬雄大

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