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【キリストを礼拝する者たち】231231メッセージ

「キリストを礼拝する者」
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イントロ 拝むとは何か
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聖書は言います。
11:マタイによる福音書/ 02章 11節
家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

2023年最後の日になりました。
皆さんはこの一年を振り返って今年はどんな年であったでしょうか。
喜びがたくさんあった、嬉しさがあった、という人もいるかもしれませんし、逆に、悲しいことが多かった、という人もいるでしょう。

この教会にとってはどんな年だったかというと、変化の年だったと思うのです。
牧師が変わったのです。
おそらく皆さんは不安を抱えながら、大丈夫か?この新しい牧師は?という思いを抱きながら迎えて下さった一年であったと思うのです(笑)
しかし皆さんの支えの中で、そして何より神の守りの中で、こうして共に2023年の最後の日にも一緒にキリストを礼拝できることを改めて感謝したいと思うのです。

今日のテーマは拝む、礼拝です。
拝む、礼拝というのは、平伏するという意味があります。
拝むものに対して頭を深く下げるのです。
このことによって、自分よりキリストこそが何よりも神聖なお方であり、私の人生の王であると認めることです。

私たちは日常の歩みの中で、誰よりも自分が偉くなってしまう事があります。
自分の善悪の判断の方が、他の誰よりも、例え神よりも正しいと思いやすいのです。
しかし毎週礼拝し、平伏することによって、改めて自分が偉いのではない、私たちのために命を捨て、救いの道を与えてくださったイエス・キリストこそが私たち人生の王である方、この方こそ真の神である、、、このことを立ち返らせてくれるのが礼拝なのです。
だから私たちはこの一年も、忙しく、また大変な中であっても、時間をとってここに集まりイエス・キリストを真の王として礼拝してきたのです。

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誰が拝むのか1 東方の博士たち
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今回の箇所でキリストを礼拝したのは東方の博士達でした。

マタイによる福音書/ 02章 01節
イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、
2:マタイによる福音書/ 02章 02節
言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

東方の博士達、、、マタイの福音書の最初の読者はユダヤ人です。
当時のユダヤの人たちが東方という言葉を聞いた時、どの国を想像したでしょうか。
それはアッスリヤであり、バビロンであり、ペルシャなどです。
これらの国は、過去にユダヤ人たちの先祖を捕らえて征服していった敵国でありました。
だから東方からきた博士達というのは、ユダヤ人から見れば、自分たちの先祖を捕まえて連れ去った国であり、自分達が大切にしてた神の神殿から引き離していった憎むべき国から来た人達だったのです。
そして彼らは聖書の神を信じていない人達でした。

「博士たち」と訳されている言葉は、原文では「マゴス」という言葉です。
ある人の解説ですと、英語の「マジック」という言葉の語源になった言葉だと言います。
昔は魔術師、占い師のことを指しています。
この博士たちは、星を見てやって来たというのですから、星占いの先生でありました。
占星術の知識が豊富にあり、星の動きを見ることによって誰かの夢を解いたり、占いをしていた人達です。
しかし星占いというのは、ユダヤ人の信仰の観点から見れば異端です。
信仰的には不必要なものであると見なされるものです。

つまりキリストを礼拝しに来たこの「東方の博士たち」というのは、ユダヤ人から見れば、神を信じていない外国の、しかも昔は自分達の祖先を苦しめていた国から来た人であり、さらに星占い師という、これもユダヤ人から見たら信仰的には疑問に思う職業の人達のことだったのです。
その博士達が、本当の救い主を求めて、星だけを頼りにユダヤの国まではるばるやって来たのです。

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なぜ拝むのか
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博士達がいた東方の国からユダヤの国までは、おそらく何百、何千キロという距離があります。
当時の旅というのは、今みたいに車もありませんし、バスも飛行機もありません。
旅の途中で、盗賊などに襲われる命の危険もありました。
しかしそれでも彼らはユダヤの国にわざわざ来たのです。
なぜ彼らはそこまでして自分達にとってみれば外国の新しい王であるキリストを拝みに来たのでしょうか。

マタイによる福音書/ 02章 02節
私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

彼らが長い旅をしてキリストを礼拝しに来たのは、星を見たからでした。
この、「その方の星」という言葉は、「昇りつつある星」と訳すことができます。
昇りつつある星、、、つまり動いている星です。

彼らは、いつも星を観察していました。
それが彼ら星占い師の仕事であり、日常であったからです。
しかしある時彼らは、どう見ても他の星とは異なる動きをする星を発見したのです。
「なんだこの動きをする星は?今まで見たことないぞ?
はてこれはどういうことだろうか、きっとこれから特殊な出来事が起こるに違いない」
そう考えたと思うのです。

私たちも空で何か異常なことがあったら、、、例えば空色が明らかに今までとは違った色をしていたり、または不気味に輝く星が突然現れたりすると、これから何かが起こるのではないか、、、そう考えることがあると思うのです。
だから彼らは異様な動きをする星を見て、それが何を意味するか調べた。
様々な文献を調べ、自国だけでなく、他の国の様々な文献も調べる。
するとどうやらユダヤの国でメシアが生まれるという預言が昔からされてきたことがわかり、もしかしたらこの星の動きは、その事を指し示しているかもしれないと博士達は考えた。
そしてこの星の動きに導かれるまま、博士たちは何百キロ何千キロの旅をはるばるしてきたのです。
そして今まで博士達を導いた動く星はついに動きが止まりました。

マタイによる福音書/ 02章 09節
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子がいる場所の上に止まった。

今までは星が動いていたから、自分たちもそれに習って動き続けてきました。
探し求めてきたのです。一体どこまでこの星は動くのだろうか?どこにメシアはいるのだろうか?と。
しかしついに星の動きが止まりました。
もうこれ以上自分たちが移動して探し求める必要がなくなったのです。
ずっと自分達がはるばる探し求めていた救い主が、この星の下にいることが分かった。
だから彼らは喜びました。

10:マタイによる福音書/ 02章 10節
博士たちはその星を見て喜びに溢れた。
マタイによる福音書/ 02章 11節
家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

繰り返しますが彼らは異邦人です。ユダヤ人ではありません。
旧約時代から預言者達が、この地上に神の子救い主がお生まれになる、と預言し、皆がその日はいつかいつかと待ち望んできたのです。
しかしキリストが実際に生まれ、この救い主をまず礼拝したのは、ユダヤ人ではなかったのです。
神が選ばれた民であるユダヤの国から遠い、聖書の神とは無縁な人達が最初にキリストを真の王として拝んだのです。礼拝したのです。

私はこの博士達の歩みを見ていくと、神は本当に不思議な方だなぁと思います。
神は東方の彼らが、ユダヤの民に属さない外国人、異教徒であることも承知しておられました。
しかも信仰的に見て、星占いというのはする必要のないものです。
そう考えると、この東方の博士達は、今までユダヤ人が待ち望んできたメシア、キリストに会って礼拝するような資格を何一つ持っていない人達です。
それを何よりも神は知っておられた。
しかし神は、キリストを礼拝させるものとして、ユダヤ人ではなく、この東方の博士達をたてられたのです。
しかも彼らをキリストと出会わせるために、神は彼らがいつも観察していた身近な星を用いてキリストの元へと導いたのです。

私たちもキリストと出会う時、そこには神の不思議な導きがあったと思うのです。
博士達が星を通してキリストと出会っていったように、私たちもそれぞれに何かを通してキリストを礼拝するようになっていた。
たとえばそれは、友人を通してとか、家族を通して、職場の人からクリスマスに教会に誘われて、であったり、または、大河ドラマでクリスチャンのことを紹介されて興味を持ったことがきっかけであったり、など私たちにとって身近な人間関係や、テレビやラジオなどを通して、キリストと出会っていったのではないでしょうか。
ある人は、YouTubeでキリスト教について調べていて、しかも救いを求めて調べていたというより、キリスト教は怪しんじゃないかと疑って探しているうちに、実は聖書は信頼できるかもしれないと思うようになり、そこからキリストと出会っていきました。

神は、星占いの人達の人にとって身近な星を用いてキリストの元へ導いたように、神は私たちにとって、身近な人やメディア、時には大きな問題や痛みなどを通して、神はキリストに出会わせようと、私たちを導いて下さっているのです。

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誰が拝むのか2 ヘロデ
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異邦人であった東方の博士達は遠いところから時間をかけて来て、キリストを礼拝しにきました。
ではユダヤの国にいた人たちは、キリストが生まれた時どのような反応をしたのでしょうか。

マタイによる福音書/ 02章 03節
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

ヘロデはキリストが誕生した事を聞いて不安を抱いたのです。
嬉しいーとかやったーとかハレルヤと喜んで飛び跳ねたりしたのではありませんでした。
ある訳では「恐れ戸惑った」と書いてあります。
なぜヘロデ王はキリストが生まれたことを聞いて喜ぶのではなく、不安になり、恐れ戸惑ったのでしょうか。

実はヘロデ王はユダヤ人ではありませんでした。
博士達同様異邦人であったのです。
血筋、系図を大切にするユダヤ人から見たら、ヘロデは生粋のユダヤ人ではないため、市民達からはあまり好感を持たれてはいなかったのです。
しかしそれでも彼はなんとか、政治手腕で国王という地位まで上り詰めたのです。
そこに至るまで彼がどれだけの努力と才能を積んできたことでしょう。
ヘロデ王は自分の実力で王という立場をやっと掴んだのです。
また彼は猜疑心の強い人、疑い深い人であり、自分がやっと掴んだ王という立場を守るために、自分の妻と3人の息子をも疑い殺してしまうほどの人だったのです。

そのような人が、新たにユダヤの王が生まれたと聞いたらどのように思うでしょうか。
きっとこう考えると思います。
「新しいユダヤの王が生まれた?
もしその者がこれから民達に支持され、その者がいずれ王になってしまったら一体私はどうなる?
王という立場を追放させられてしまう。最悪殺されてしまうかもしれない。
それなら、生まれたばかりのその者を今のうちに殺してしまおう」
このように不安になり、密かに殺したいと考えると思うのです。
自分の立場を脅かす者があらたに生まれたと思うからです。

これはヘロデだけのことでしょうか。
私はこのヘロデの抱く不安というのは、彼だけのものではないと思うのです。
イエス・キリストと出会う前の私たちというのは、自分で様々な事を決めて生きていくという、自分自身が王様となって歩んできたと思うのです。
私たちは皆、心の王座に自分自身が王として座っていた。
だから新しい王であるイエス・キリストを迎え、礼拝するというのは、恐ろしく感じるのです。
もし仮にキリストが自分の王座についてしまったら、私の人生は一体どうなるか。
実は怪しい宗教でお金を巻き上げられてしまうのではないか、と思ったり、もしキリストを私の王として認めるならば、自分はもう自分では無くなってしまうのではないかと不安に思う。
このように、今までは自分が王座に座って自分の人生を全てをコントロールしてきたのが、キリストが王となることによって、コントロールがきかなくなり、これから自分の人生が一体どのようになってしまうのかと不安になるのです。
そう、私たちはイエス・キリストを王として迎え、礼拝するのを恐れるのです。

このように考えていくと、ヘロデ王のキリストが生まれたことを聞いた時に抱いた不安というのは、キリストを受け入れられない私たちの、実に正直な心の現れだと思うのです。
私たちにもこのヘロデの性質が心の中にある。
自分の王座に居座り続けたいと思うヘロデが私たちの中にいるのです。

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拝むとどのようになるのか 捧げる
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一方、キリストを礼拝した博士達はどうしたでしょうか。
11 宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

よくこの博士達は3人だと言われます。
絵本とかでも博士は3人書いてあることが多いです。
しかし正確な人数は聖書には書いてません。
ではどうして3人という数字が出てきたかというと、贈り物が三つあったからです。
黄金、乳香、没薬、この三つの贈り物には様々な解釈がされてきました。

よく言われるのが、黄金は王の印。
乳香は祈りの時に用いられるものであり、神の印。
そして没薬は、死体に塗られることが当時多かったので、キリストの十字架による死を表すものとして解釈されることが多いです。
これらの贈り物は、王であり、神であり、十字架にかかる死を象徴するものである、と。
確かにこの解釈もあると思います。

ただし今回、ある説教者が言っていたことが私は心に残りました。それは
「黄金、乳香、没薬、、、それは彼らにとって商売道具、自分たちの生活であり命を繋ぐための宝であった」と。
これらの贈り物は、単に国から持ち出してきた宝というより、彼らにとって日常使う商売道具であり、必要なものであった、と言うのです。
例えば没薬などは、星占いをしてまじなう時に書くインクとして使われていました。
しかし博士達は、キリストを拝み、礼拝する時に、彼らにとっての商売道具を捧げてしまったのです。
今まで自分たちのしてきた星占いを捨てたのです。
いつも大事に大事に肌身離さず持っていた商売道具を、生活の手立てをイエス・キリストの前に捧げたのです。

そう、キリストを礼拝するということは、今まで大切にしたものを捧げること、手放すことです。

異邦人の文化で育った博士達は、今まで自分たちがやってきた星占いとかは、聖書の神の目から見たら本来それは必要ないものであるとはほとんど思わなかったでしょう。
彼らから見たら、それがいい悪いではなく、当たり前の文化だったからです。
しかし真の王であるキリストに出会うことによって、自分たちの今までの習慣、生き方が違うことを示されたのです。
そして彼らは、今まで自分たちが頼りにしていたものをキリストに捧げていった。
彼らは本当の救い主に出会ったからこそ、喜んでささげていったのです。

博士達は今までは周りから「先生、先生」と言われて仕事をしてきたのですが、その値打ちのあるものをキリストに差し出して、放り投げました。
「おまじないをしてください」そう頼まれても、これからは断るのです。
「すまん、もう私たちはもうしない、手放した」と。
それならこれからの生活はどうなるのか?食べていけなくなるではないか。
しかし、彼らは真の王であるキリストに出会う時に、喜びの中で、これからの自分たちの生活を、将来を、自分の人生の王になったキリストに委ねていくのです。

実は私たちもキリストと出会った時、今まで一番大切にしてきたものを手放してきたのではないでしょうか。
今までは他人の評価であったり、お金であり、あの人との関係であったり、会社の立場、また、こうでなければいけないという思い、こだわり、それらが大切だった。
それがなければ自分は生きていけないと思っていた。
何より私たちの中心にあったのは、自分自身であったと思うのです。
自分こそが私の人生の王であり、自分自身を礼拝していた。王座に座っていた。
しかしキリストと出会う時それらを捧げるのです。
「今まで大切にしていたもの、それらは確かに一つ一つ尊いものである。
しかし一番大切なものは、私を救うために十字架にかけられ、ご自身の尊い命を私に与えるイエス・キリストである。
このお方こそ私の人生の王である。私はこの方を自分の王座に迎える」と。

このようにしてイエス・キリストを自分の王として迎え礼拝して仕えていく、、、これが私たちキリスト者なのです。

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結語 キリストを拝む共同体
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聖書は言います。
11:マタイによる福音書/ 02章 11節
家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

東方の博士達は、星の動きに導かれてキリストと出会い、そこで礼拝をしました。
そして自分たちの大切なものを捧げていったのです。
私たちもキリストと出会うとき、そこには神の不思議な導きで、、、、博士達は星であったように、私たちは友人を通して、メディアを通して、書籍などを通してキリストと出会っていくのです。

今までは自分自身が心の王座に王として座っていました。
しかしそこにキリストが王として来られる。
この王は、ヘロデ王のように自分の立場に固執して人の命を奪うような王ではありません。
私たちを駒のように扱い、都合のいい時だけ利用する王ではない。
むしろご自分の命を差し出し、私たちの罪のために死に、ご自分の持っている永遠の命を私たちに与えるへりくだった王です。
何よりキリストご自身が私たちのためにご自分の命を捧げて下さった。
この方を私たちの真の王として迎え、礼拝し続けていく。
だからこそ私たちはこの一年、忙しい中でも、時間をとりキリストを礼拝してきたと思うのです。

そして2023年最後の日、このキリストを真の王として共に礼拝できることを喜び祝いながら、新しい年を迎えていこうではありませんか。

祈ります。

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祈り
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天のお父様、この一年もあなたによって守られ、こうして共にあなたを礼拝することができ感謝致します。

思い返せば、あなたが博士達を星を通してキリストの元に導いたように、あなたの不思議な導きによって私たちはキリストと出会うことができました。
それによってあなたから遠くにいた私たちが救われました。

今一度、この私たちの命を救うキリストを真の王として礼拝し、自分が王座に座り続けるのではなく、このキリストを王座に迎え、この王に仕えていくことができる喜びを受けとめながら、新年を迎えていくことができますように導いてください。


イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン。

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