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献身の証

私は神奈川県横浜市に生まれ、家族構成は、祖父、祖母、父母私の5人家族でした。
クリスチャンは母だけであり、祖父祖母は仏教、そして父は自分が神様という宗教観がバラバラな家庭で育ちました。

そのような中で小さい頃母親に連れられて教会学校に行き始め、そして色々な学びを通して20歳の時に受洗しました。

ーーー
私が大学生21才の時です。

就職活動をしている時、元気であった母親が急に倒れました。
検査の結果、肺ガンと分かりました。
しかもステージ4といっていわゆる末期状態。
肺全体にガンが広がったため、手術は不可能。
余命がないという状態だったのです。

当時日本の平均寿命は約80歳と言われ、20代前半の私にとって、死というのはまだまだ先のものであり、遠いものと思ってましたが、自分の身近な人が死に直面して、それ目の当たりにした私は改めて、
「人は死ぬ」
この現実を突きつけられました。

そしてこれをきっかけに、今まで考えたことが無かった、
「自分は何のために生きているのであろうか、自分の人生の意味とは何か」
ということを考えるようになりました。

そんなある日、家に帰る途中、頭の中に突然光がおおい、神様から
「牧師になり、私のことを伝えていきなさい」
と言われたように思いました。

最初は幻覚、または夢でも見たのかと思いましたが、私はこの「牧師」という言葉が、これこそ自分の生きる道であると、その時理由はわかりませんでしたが確信がありました。
「自分は牧師になる」
自分の生涯を通して進む道は決まった。
そのために、牧師になるということは人をまとめる力、リーダーシップが必要であり、その経験を早くさせてくれるところに就職したいと思いました。

そのような事を考えながら就活していた時ある会社に出会いました。
ワタミという会社です。
そこで社会経験を4年間してから神学校に入ろうと思い、実際4年間働き、その中で妻と出会いました。

ーーー
母は、医者には余命半年から1年と言われたにも関わらずその間も生きていました。
結果的にガンと分かってから5年間生かされたのです。
私がワタミを辞めた年、母の病がいよいよ重くなったためその年は神学校に行くのをやめました。

母親が亡くなる数日前、もう意識があまりなく酸素マスクをつけている状態の時でした。
苦しんでいるのを見て、何かできないかなと思い、
ベットの近くにいつも置いてあった聖書を広げ、母が好きな御言葉を読みました。

主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。 (‭イザヤ書‬ ‭40‬:‭31‬ )

これを読み終えた時、あまり意識のないはずの母がニコッと微笑みました。
それを見た時私は、
「あ、確かに肉体はいつかは滅びていく、しかし神の言葉、御言葉はそのような中でも、
心に力と平安を与えることができ、生きる時もそして死ぬ時も人を慰めることができるものだ」
と気付かされたのです。

そして私は、この神の言葉を一人でも多くの人に伝え続けること
マルコ16:15
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」
これこそが自分の使命だということを改めて確信しました。

「母さん、あなたの生きた姿をしっかりと見届けました。
これから私はこの命を使って、人が死にゆくような時でも心に平安を与える、この神様の御言葉を一人でも多くの人に伝えていきます」
そう約束したのです。

ーーー
母の葬儀が終わり、これから神学校に行こうと思ってた時です。
色々準備をしている中、様々な問題が重なり献身の道が閉ざされたのです。
神様が道を閉ざす時は、もうびっくりするくらいバンバンシャッターが閉じていく感じで道が閉ざされます。

そして私はその時思いました。
「神様、牧師不足と言われているこの日本の状況の中で献身しようとしているのに、
なぜあなたは献身の道を閉ざすのですか?献身はあなたの御心ではないのですか?」
と悩み苦しみました。
何か悪いことをしようとして、その道が閉ざされるなら分かります。
でも、献身をする、という一見神様の御心にかなっているような道に進んでいこうとしているのに、それが閉ざされていく。
だから余計に納得がいかない。
何度も何度も祈り、嘆きました。
でも献身の道は閉ざされたままだったのです。

ーーー
そのような中、祈り求めている時に、ある会社と出会いました。
「いのちのことば社」というキリスト教出版の会社です。
そこで私は働き始めました。
私は思いました。
確かにキリスト教出版社であるいのちのことば社で働くことでも伝道活動になるし、この働きも献身の一つの道である。
でも私としてはやはりフルタイムで献身をしたい。
でも神様がこの会社に導いたのならこの場所で働き続けることが御心なのだろうか、、、
そのような葛藤をしながらも働き始めました。

でも数年後、私は神様の深い目的が分かるきっかけがありました。
私がいのちのことば社で働き始めて数年後、妻からこう言われました。
「実は私は摂食障害を患ってるの」。

「摂食障害」これは精神的なストレスを上手く処理できず、食べることでストレスを発散しているうちに自分で食欲のコントロールできなくなり、極端に食べれなくなったり、逆に過度に食べ過ぎてしまい、飲み込んだ物を吐いてしまうなど、食欲のコントロールが難しくなってしまう命に関わる病です。
有名なところではカーペンターズのカレンはこの病で命を落としたと言われています。

私はその病名を聞いたことはありましたが、まさか自分の一番身近な人がその当事者であったとは、その時まで全くわかりませんでした。
自分の行く道にこだわるが故に必死になってしまい、周りが見えなくなっていた。
しかも最も愛する身近な人の痛みである心の叫び声を聞くことができていなかった。

病の現状を知り、私たちは回復に向けて共に歩み始めました。
そこには多くの困難があり、痛みがありました。
私はその経緯の中で、摂食障害だけでなく、アルコール依存症、統合失調症、鬱病などの精神疾患について調べていくうちに、段々とこう思うようになりました。
「ああ、日本ではこんなに精神的に痛みを抱えている人がいるのか」

ある人がこのように言いました。
こういった精神疾患の人たちには一つ共通点がある。
それは「深い孤独」だと。
自分では、仕事に行く時間に起きたいと思っているのに、病のために体が起きられない、動けない。
時間通りに職場に行きたいけどいけない。
熱など明確に肉体的に現れるものではないから、根性が足らないだけだ、とか精神的に甘いだけだと周りから言われやすい。
だから段々周りから信用されなくなり、人が自分から離れていく。
自分ではやめたいと思っているのに、そういった孤独を紛らわせようとして、自分の意思とは関係なく無意識にまた悪習慣を繰り返してしまう。
そして思うように行動できない自分自身を嫌いになり、ますます自分を信用できなくなり、人から距離を置きさらに孤独になっていく、、、

そんな痛みを抱えている人がこの日本にたくさんいる現実を知ったのです。
その方達の心の叫び声が聞こえるのです。
「私たちを助けてください」と。

私はその時思わされました。
「ああ、この人たちにも神の、キリストの福音が必要ではないか。
神が人となり、イエスキリストが私たちのために死なれ、そして復活され、永遠の友となってくださった。
たとえ周りの人が自分を見放そうとも、また自分で自分のことを見捨てようとも、このイエスキリストは決して見放さず、決して見捨てないお方。
孤独に打ちひしがれている人たちにも、この福音、良い知らせを告げ知らせなさい、そう神は私を招いているのではないか」
そう思わされるようになっていきました。

私は時々思い返すことがあります。
もし献身の道が閉ざされた時に、無理矢理そのまま献身していたらどうなっていただろうか、と。
妻の抱えている病を知らずに献身していったらどうなったであろうか。
もちろん、そのような状況の中でも神の憐れみによってなんとかなる事もあったかもしれませんが、やはり、今よりもっと多くの困難を経験したのではないかと思うのです。
しかし全てを知っておられる神様が、あの時私の献身の道をわざわざ禁じられたのは、「助けてください」という叫び声を、私に聞かせるため。
一番身近な人を通して、世の苦しみ、痛みを全然知らなかった私に分からせるためであった、と、一つ一つの出来事が線のように繋がり、そこには神の深い深い計画があったのだと今振り返ると思うのです。

そしてその問題が回復に向かった後、不思議と献身への道が開かれていきました。
2019年に東京聖書学院に入学し、今年無事卒業をし、ホーリネス教団から任命を受け、この安城キリスト教会に遣わされ、今ここにいます。

私は最初の自分のたてた計画とは全く違うタイミングで、、、それは予定より10年以上遅れた形で私は献身することになりました。
最初はなんで自分の思う計画通りにいかないんだ、それが御心ではないのですか、と主に嘆いていました。
しかしその歩みの中で、特に家族の痛みを通して、「助けて欲しい」その心の叫び声を聞き、神様の深い知恵と計画を知りました。

なので福音を必要としているあらゆる人々に対してはもちろん、私たち家族が通ってきた、同じような痛みの中で今も苦しみ、葛藤している方々にも、それは本人だけでなく、それを支える家族達にも仕えていけたらと思っています。

以上で献身の証を終わります。


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