我が青春の週刊宝石 #00

ちょうど32年前のいまごろだったと思う。

アルバイト情報誌「フロームA」を見て
(どうせダメだろうけど)と、とりあえず出しておいた
履歴書、作文の審査を経て週刊宝石編集部の
K氏から面接をする旨の連絡があった。

東京生まれの東京育ちだが、人生で初めて有楽町線に乗り護国寺で降りる。

講談社の歴史を感じる社屋を
見上げながら、護国寺方面へ歩き、光文社の本社ビルへ。(昔は今の講談社ビルが建っているところにあった。キングレコードも)

受付で編集部を訪ねると「週刊宝石は第2ビルですよ」と
言われ、音羽通りをあわてて逆に走った。

約束の時間に数分遅れたのだが、
特にとがめられることもなく、経済班K井デスクの下の
ヒラ編だったM岡氏がロビーに出迎えてくれ、
2Fにあった応接室で面接を受けた。

「なんで僕が書類選考に通ったんでしょうか?」
「面白い履歴書を書いてきたから」とKデスク。

800通超の応募があり、連日面接しているという。
(あーあ、こりゃダメだな)と思った。

で、思ったとおりK氏は面白さではなく、経済記者に
ふさわしい雰囲気の人の京大卒の人を採用した(ようだ)(と言うのも同じ時期に採用されたのだけど一度も話をしないまま、1週間で辞めたから)。

ところが翌日、今度はグラビア班のO出(とても聞き取りにくい名前)氏から電話があり、再度面接に来るように、と。

今度は間違えずに第2ビルにいき、
近所のロイヤルホストで面接を受けた。

聞かれたのはわずかに3つ。
酒飲める? 麻雀打てる? 肩揉める?

飲む、打つ、揉むの3つのみ。

即日「じゃあ、明日から」ということになり、編集部へ。

本当に翌日から採用となり、1週間後には(ただひたすら過去記事の合本を読み、『週刊宝石です!』と電話に出るだけ)
何もしていないのに、週給で5万円が振り込まれていた。

あれから32年が経った。33年目である。

まさかこんなに長くアルバイトが続くとは、思ってなかったなぁ。

(過去のブログに書いたものを加筆訂正してnote掲載)

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