連続対談「私的占領、絵画の論理」第五回「絵画における人のかたちと外部」─及川聡子─ レポート

2021年11月20日、ART TRACE GALLERYに及川聡子さんをお迎えした連続対談「私的占領、絵画の論理」第五回「絵画における人のかたちと外部」は無事終了いたしました。ご参集いただいた皆様、ありがとうございました。

及川さんには日本画作品一点と自作のお人形を一体、持ってきて頂きました。ART TRACE GALLERYでは向井三郎さんによる個展「Birds Passing」が開催中であり、プロジェクター投影と及川作品をかける壁面をお借りいたしました。向井三郎さんとART TRACE GALLERYのメンバーの皆さんには、改めて感謝いたします。以下にレポートします。

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冒頭、永瀬から先の林道郎氏の裁判報道についてコメントしました。永瀬が林氏から様々な恩恵を受けている事を前提に、報道中にあった労働問題をとくに取り上げ、司法判断の結果如何によらず、林氏には責任があるのではないかということ、また林氏を擁護するような言動が、被害を訴えている方の立場をより困難にする自覚を持つ必要があると発言しました。加えて永瀬は林氏を一方的に指弾できると考えていないこと、これまでの自身の活動で男性中心主義的な傾向を自覚しており、この傾向は(昨今の美術批評の領域で繰り返し起きている)ハラスメント問題とどこかで通じていると報道を知った時に感じたこともお話しました。
言うまでもなく、このコメントは永瀬個人のものであることは強調しておきます。

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大学卒制から大学院進学とその後
永瀬と及川さんが東京造形大学で同級であった、というところから対話は始まりました。及川さんの大学卒制は日本画とアクリルの混合技法が使われており、フォトコラージュをもとに、ゴジラやタルコフスキー(現場で永瀬から「ノスタルジア」かと発言しましたが、後日のART TRACEを含めたメールのやりとりで「ストーカー」ではないかという話になりました)といった参照項も見られました。

子供の領域

絵画科の古典技法の授業では、ほとんどの学生がルネッサンス以降から画題を選んでいた中、及川さんがそれらとは異なるビザンチンのフレスコ画を描いたことは、後のことを考えれば予言的な選択でもあったように思います。

東京造形大の強い現代美術志向に違和感があったこと、東京学芸大学大学院でも、混合技法に指導教官から必然性への疑義が示されたことで、しばらくは「なぜ日本画を描くのか」という問いに悩んだことが語られました。福祉の現場にも身をおきながら、しかしそこでも美術のありかたについて疑問や軋轢が生じ、出身地の宮城に戻る決意をされたそうです。箔と墨の仕事などでもその疑問は解消されなかった、と。

宮城での画題の発見
犬の散歩をしていたときに、冬の薄氷の下から芽吹く植物を見て、この情報量なら描けそうだ、とインスピレーションを得た及川さんは、氷の部分を日本画の余白と捉え、下の層を絹の裏彩色として描くことで、対象の構造と日本画の構造を一致させることに成功されました。この《薄氷》シリーズが、及川さんがその後作品をシリーズとして構想してゆく最初となったそうです。

美術批評の言葉でいえばメディウム・スペシフィシティと言える状況が、ここで生まれています。東京の膨大な情報をフォト・コラージュでどうにか画面に押し込めるのではなく、宮城の雪に覆われた風景(音も雪に吸い込まれる、という及川さんの発言は印象的でした)が、ながい試行錯誤の果てに明瞭なビジョンとして作家に到来した、ということになるでしょうか。《薄氷》シリーズの大作で、団体展に所属していない及川さんは日経日本画大賞展で入選され、これが宮城にいながら東京でも活動できるようになるキャリア上のポイントになったそうです。

《水焔》シリーズへの展開
氷を描いた及川さんは、水の状態の変化(相転移)に注目し、湯気をモチーフに《水焔》シリーズを展開します。縄文の水焔土器は火焔土器に比べ、あまり知られていない、縄文への期待されているイメージ、まなざしとは異なる水焔土器を描きたかった、それは東北へと向けられる「期待されているまなざし」への違和感とパラレルだったのだと思われます。また、日本画においての水蒸気は「描かない」ことで表現されてきたが、ここでは、きちんと見れば形が見える水蒸気を徹底的に描いてみたい、と考えられたとのこと。

無題

この、水蒸気を日本画的な余白あるいは朦朧としたぼかしではなく、ほとんど建築的にまで形を描写し構成してゆくところに、及川さんの独自性が見られます。お寺の大きな襖絵にまで描かれた《水焔》は、お香の煙へと発展していきます。日本画の墨の材料となる(画材として唯一香料が含まれる、と及川さんが指摘されています)煤(すす)を、墨で描く──対象とメディウムの一致──時、及川さんは写真も動画も使う、と言います。

香焔三幅対

動画を使うのは、写真だと(煙の)「動き」が捉えられない、人の目は一瞬で全体を見ることができないので視線が泳ぐ、その運動が取捨されないようにしたとのことです。極端な縦長の構図の採用など、及川さんの画家としての「作戦」に論理性・分析性を感じました。

人物像の出現
及川さんが描いてきた湯気や煙の中から人物像が出現してくる契機となった作品とその下絵(デッサン)が画像で示されました。最近作ではレオナルド・ダ・ヴィンチや、創世記のアダムとエヴァの説話からインスピレーションを得ているとのことでした。特にダ・ヴィンチの洪水のデッサンを及川さんが好きだ、とおっしゃっていたことは、湯気や煙をモチーフとした作品についてもヒントとなる発言だと思います。当日持ってこられた人形の制作については、彫刻家のお父様から指導を受けた塑像制作とは異なった気持ちだそうです。及川さんの画題に現れる動物(うさぎ、やもり、犬、金魚)への接し方については、人形へのそれと共通すると言います。

永瀬からは、及川さんの、周囲への環境の違和感や自分が感じている困難が、具体的に問題解決していかなければいけないが故の論理性を要請したのではないかと発言しました。及川さんはほぼ独学で日本画の技術を習得したこと、自分では岩絵の具の扱いよりも墨で描くほうが合うこと、結果、絵肌がフラットになっていくことが話されました。興味深いのはやはりダ・ヴィンチへの興味、とくにスフマートに見られる、線が描かれるのではないことへの親近性に言及されたことです。世界と対象の境界が「顕れる」、そのようなダ・ヴィンチ的なものが及川さんに見られるように思いました。

関心領域の広域性、絵画への信仰
及川さんの絵を見ていて感じられる、画面の構造的把握と美術史的な理解、いわゆる現代美術における「欧米美術の参照」とは異なる態度がどこからでてきたのか、と永瀬から質問しました。及川さんからはもともと関心領域が広いことが上げられましたが、とくに永瀬が関心をもったのは、ミッション系の幼稚園に通っていた頃、彫刻家のお父様が作っていた仏像を見ながら感じていた「死んだあと、お父さんお母さんとは違うところに行くのかもしれない」という疑問・不安が、NHKの番組「シルクロード」を見ることで解消された(アジアとヨーロッパが繋がっている)という逸話です。こういった、原初的な体験が、及川さんが日本画を描きながら「ユーラシア性」を含み持っていくことに繋がっているように思えました。

大学一年生のときにカトリックの洗礼を受けられたとのことですが、2011年の東日本大震災の経験が、イコンに口づけをする東方正教への改宗に繋がったと、及川さんは言います。表象不可能なものを表象していく宗教美術のありようが、及川さんの制作態度に深く刻まれていることが感じられました。

近代以後の「神の不可能性」と「絵画の不可能性」を、しかし「信仰」によってオーバーしていこうとする及川さんの発言や姿勢には、非常に勇気づけられました。永瀬からは、近代が、しかし近代以外を切り捨てるのではなく古層にルネサンスから中世・古代ギリシャまで連続している制作として及川さんの作品を見ることができるのではないか、とコーリン・ロウ「理想的ヴィラにおける数学」を例に出し発言しました。及川作品は単に過去を参照しているのではなく、むしろ長大な歴史性の果てに未来、22世紀性を獲得しつつあるのではないかと考えます。

画像4

質疑応答
煙の作品に映像などを使う科学的な態度と、宗教性の関係について質問がありました。及川さんからは縄文土器の模様やモチーフとしての「お香」が仏教でもキリスト教でも使われることに触れ、テクノロジーの使用は描き得ないものを描く上で必要に応じて使用する、と応答がありました。これに関連し、最近及川さんがユーチューバーの方をモチーフに取り上げはじめていて、これが及川さんの新しい展開に繋がっているというお話がありました。

及川さんからは、モチーフは常に到来するものであること、しかし「人」を描くことの困難、おそろしさについても言及がありました。これに続けて、「描かれる対象としての女性」という問題と、しかし「眼差す主体としての自分」について、描くことの暴力性を痛感しながら描いている、という発言がありました。画家とモデルの関係は絵画史において重要なテーマですが、及川さんが個人的な経験から自身の加害性に触れられたのは、重要だと思います。

別の方から、及川さんの絵は関心や美術史が線的に繋がっているのではなく、個々に結ばれている(永瀬は「蜘蛛の巣みたい」と思いました)、また、描くことの暴力性に関して、人物像がこちらを見返してこない(観客と人物像の視線が合わない)という指摘がありました。及川さんからは、人と自分の間に膜がないとだめだ(街中では音楽を聞いていないといられない)、画家の「業」としての暴力性を自覚するしかない、というお話がありました。

あわせて制作と癒やしの関係について質問がありました。及川さんからは癒やしを目的として美術を扱うことには抵抗があること、しかし「描き」の行為の中に集中するときは幸せな時間だ(が、描き終わると痛い外界がやってくる)とのことでした。ピノキオの最後、人形が人間になるところでがっかりした、という及川さんのおはなしは、永瀬がブログで描いた押井守監督「イノセンス」と共通するものでした。

加えて、東京造形大学時代の現代美術的な雰囲気がどういうものだったのか、という質問がありましたが、及川さんからはコンセプト重視の感覚には馴染めなかった、というお話がありました。永瀬からは戦後設立された東京造形大が、カリキュラムとしては「絵画科」であって教養過程で日本画も古典技法も版画も履修し、専門課程でそれぞれを深める形式であったものの、当時の成田克彦や中村宏といった教授陣の影響力下で相当に「尖った」傾向であったこと、しかしそのようなはっきりとした方向性があったがゆえに、我々のような学生も、自身の立ち位置を探るきっかけになっていたのではないかとお話しました。

全体に、「私的占領、絵画の論理」の流れの中でも、及川さんの明晰なお話が、来場者の方にも上手く伝わっていたように思います。及川さんがモデルさんとの関係を奇跡的だと語っていたことに即せば、このように来場者の方々と、顔を合わせて「場」が可能になったのは奇跡的だったと思えます。

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