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降り注ぐ血──フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》について


画像:メトロポリタン美術館展公式サイトより(現在は閉鎖)


2022年2月、国立新美術館での「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」に出品されたフラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》(1420-23年頃)は、63.8×48.3 cmの板にテンペラと金地で描かれています。会場に掲示されていたキャプションを以下に引用しましょう。

初期ルネサンスのイタリアを代表する画家フラ・アンジェリコは、ドミニコ会の敬虔な修道士で、没後まもなく「天使のような修道士」(フラ=修道士 アンジェリコ=天使のような)と呼ばれるようになりました。彼は一点透視図法を用いて三次元空間を表現した最初の画家の一人です。キリストの磔刑場面を描いたこの作品は、背景が金地で埋め尽くされ、非現実的な設定ですが、十字架を取り囲む人々が手前から奥に向かって楕円形に配置され、空間の奥行きが表現されています。中世美術の非現実性・平面性とルネサンス美術の現実性・三次元性が融合した、初期ルネサンスの貴重な作例です。

メトロポリタン美術館展公式サイトより(現在は閉鎖)

このキャプションはおおよそ問題がありません【註1】。が、文字数の関係もあって詳細とは言えません。ここではキャプションで省かれた細部を十分に見たいと思います。図像にキャプションで指摘のある楕円を描きこんでみましょう。

キャプションの意図が可視化されました。この楕円配置によって、平面である画面に奥と手前の関係がイリュージョンとして感じられるようになります。参考に、12世紀に描かれた《サン・ダミアーノの磔刑図》を見てみましょう。


画像:wikipediaより


人物の大きさはその重要性に従ってキリストのみが大きく、見守る天子や人々は小さく並列的に描かれます。中世キリスト教の図像は、いわば象徴的に「読まれる」ものなのであって、稚拙なわけではないことは当然の前提です。古代ギリシャ世界の空間認識を導入することでルネサンスが行った変革は、言ってみれば図像の文法の変更だった【註2】のであって、中世世界には中世世界の緻密な──むしろ過剰に緻密な文法があったことは知られています。いずれにせよ、フラ・アンジェリコは、そのような文法の変化をになった人物の一人でした。

ただ、メトロポリタン美術館展の会場キャプションを読んでから再度《キリストの磔刑》を見たものは、このような楕円が、十字架を取り囲む人々だけでなく、その上部の天使にも見られることに気づくでしょう。天使の配列は楕円の半円ですが、この弧を延長すると、天使と下の人物たちの間で空白となった構図の中で特徴的に屈折されたキリストの膝に接します。

また、更にこの楕円はもう一つ現れます。画面下部両端には二頭の馬がいますが、その臀部は画面外向きに向かい、この端と画面下部で悲しみに倒れるマリア、マリアを介抱する聖人を結ぶ曲線が、第三の楕円を描きます。

加えて、画面中央を貫く十字架の縦の線とキリストの両手を打ち付けた横の線が、《キリストの磔刑》の主要な骨格となっています。

言ってみれば、画面頭頂部から画面下部へ、紡錘形の空間のイリュージョンが形成されていますが、この紡錘形がどこから導かれたのかも、形式的には了解できます。この作品の外枠、つまりフレームです。フラ・アンジェリコは与えられたアーチ型のフレームをいわば三次元的に展開し、それを絵画の構造として利用しています。

改めて《サン・ダミアーノの磔刑図》を見てみましょう。《サン・ダミアーノの磔刑図》でも、磔刑図の構造はフレームと緊密な関係を持っています。メトロポリタン美術館展キャプションにある「中世美術の非現実性・平面性とルネサンス美術の現実性・三次元性が融合した」という言い方は、金地の使用だけではなく、フレームから絵画空間を構築する手続き全般にも求められます。

中世の象徴的な読解空間か、古代ギリシャのプラトン的な幾何空間を導入したルネサンス空間かは別として、絵画のフレームそれ自体が、絵画の構造と一体的な緊密性を持っていることは変わりがない──このような理解はややミスリードかもしれません。《サン・ダミアーノの磔刑図》も、フラ・アンジェリコも展開した空間の構築は、事前に与えられていたフレームを埋めた結果なのではなく、逆説的ながら画面構造を構築することによって、所与としてあるフレームの外形それ自体を、図像の要素の一部として事後的に再構造化しています。

もう一度《キリストの磔刑》を見てみましょう。

注目するのは赤の配置です。この作品の赤の出所は、まずは処刑されたキリストの脇腹、十字架に打ち付けられた画面上部の両手、さらに画面中ごろの重ねられた両足からの「血」と見えます。

楕円形に配された人々、馬に施された赤は、旗や服の色であり馬具の装飾ですが、しかし視覚的には、高い位置にあるキリストからふりまかれ流れ落ちる「血」と連携しています。上記で析出した、この磔刑図の紡錘形の構造は、いわばキリストから噴出する「血」の雨の空間的展開となっているのです。

この「血」の出所は、じつは、キリストより更に上層にあります。画面頭頂部にいる二人の天使、およびそれに挟まれた十字架上の罪状書きの赤です。この二人の天使は、その下にいる楕円形に配された天使とは明らかに階層が異なります。キリストがマリアに受胎したことを告げ、またキリストの死を見守る天使のさらに上層、つまり描かれない画面の外部にいるものから、この赤=血は到来しています。受肉した子の罪状書きを経由した赤=血が、紡錘形の雨となって人々に降り注いでいます。

いまや、この文章の記述は順序が反対であることがわかるでしょう。まず最初に、降りそそぐ赤=血の紡錘形がありました。その紡錘形としての世界は、フラ・アンジェリコの思想、すなわち「読む」中世的な思考とプラトン主義的なルネサンスを架橋した【註3】(あるいは架橋せざるを得なかった)、ある受苦の思想による再-創世でした。最初にあった降りそそぐ血、それは原罪としての現在です。

最後に付け加えると、《キリストの磔刑》のごく近くに、近似した紡錘形が見いだされることは、フィレンツェを歩いたことのある人には既に連想されているのではないでしょうか。すなわちサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラです。

画像:Wikipediaより

フィリッポ・ブルネレスキがこの難工事に取り組み、着工したのが1420年頃とされています。フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》が描かれ始めた年との近さを偶然とみることは、むしろ私には難しいのです。当時サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ工事の困難を解決するブルネレスキのプラン【註4】は、フィレンツェにいる人であれば知っていて当然の話題です。やがてクーポラの下に集う人々のイメージを持ちながら構想された一枚の絵は、そこで自分たちにとって想起されるべきことを、予言的に描き出していた。そうは言えないでしょうか。


【註1】本ブログのような論点には触れていませんが、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》については「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」公式カタログ(国立新美術館・日本経済新聞社文化事業局編、日本経済新聞社、2021年)37頁に会場キャプションより詳細な解説があります。

【註2】イタリア・ルネサンスが行った空間表象の変更については複数の重要な書物を参照していますが、ここではピエール・フランカステル『絵画と社会』(大島清次訳、岩崎美術社、1986年)の「1.空間の誕生」を挙げておきます。版元品切れが長く、文庫化が望まれます。

【註3】フラ・アンジェリコの、中世からルネサンスにいたる架橋的な側面についてはジョルジュ ディディ=ユベルマン『フラ・アンジェリコ 神秘神学と絵画表現』(寺田光徳/平岡洋子訳、平凡社 、2001年)を参照。こちらも版元品切れであり、文庫化が望まれる本です。

【註4】ブルネレスキのプランの革新的な性格については岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001年)を参照。単に歴史的な事実だけではなく、その構想の根まで理解するには、一見関係のないマチスなどについての章も含め、一冊を通読することが必要でしょう。なお、本書は文春学藝ライブラリーで2014年に文庫化されています。

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