M-galleryでの対話その1(伊藤真理子さんと)


2021年3月4日から開催中の永瀬恭一個展「感覚された組織化の倫理」では、もともと公開のイベントを企画しようと検討していましたが、コロナウイルスの感染状況から断念しました。かわりに、個展の現場でどなたかと対話をし、その録音をアップロードすることにしました。まずは会場のM-galleryマネージャーの伊藤真理子さんと永瀬が話しています。前半は「子どもと制作について」。

M-galleryは、住宅と住宅のあいだにある、という特徴があります。マネージャーの伊藤さんも永瀬も、それぞれに子どもがいる身で、また今回の個展出品作に子どもをモチーフとした作品が多かったので、こういう話になりました。

途中、永瀬が編集をお手伝いした美術批評誌「ART TRACE PRESS03」で取り上げたブラックマウンテンカレッジの話題などにも触れながら、子どもと制作の関係に触れています(途中、永瀬がグロピウスを「ハーバード大学の学長」と発言していますが、これはハーバード大学の教員の間違いです)。

そして後半では、M-galleryの「M」の由来から、伊藤真理子さんが修士論文で研究された、鏑木清方とヨーロッパ象徴主義美術の関係に話が進みました。「M-galleryと鏑木清方について」。

M-galleryのMに「結ぶ」という意味がある、というところから、「結ぶ」の語源、そしてその語源を伊藤さんが見出した、「髪」の話題になります。そして、伊藤さんの修士論文「鏑木清方の「妖魚」について」の話になります。

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鏑木清方「妖魚」1920年

鏑木清方とヨーロッパ象徴主義の関係を軸に、ラファエロ前派、白樺派の話も出てきます(なお、対話では触れませんでしたが、マチスの先生がギュスターヴ・モローであったことなども、永瀬の脳裏にはありました)。詳細はぜひ聞いてみてください。以下に関連リンクと資料を載せておきます。なお、収録は3月6日でした。

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増井真理子「鏑木清方の「妖魚」について」(東京家政学院大学紀要 第45号)(リンク先PDF)

・「金色夜叉」の挿絵の参照元、ミレー「オフィーリア」1851-52年 テートブリテン

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・永瀬がアスタルテ=「魚を抱える女性像」から連想した熊谷守一の「童子遊魚」1961年

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・東山魁夷がリファーしていたのはドイツロマン派の画家フリードリヒですね。

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フリードリヒ「Riesengebrige」1935年 ベルリン国立美術館

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東山魁夷「残照」1947年 東京国立近代美術館

やや半端なところで終わっているので、機会があれば続きをできればとも思います。

さて、次はもう少し難しい話になるかもしれません。別の方を会場にお呼びして、対話をしたいと思います。


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