連続対談「私的占領、絵画の論理」について。その19 「これは絶対に“キャラ絵”でも“アウトサイダー・アート”でもない」

さて、僕とゲストの画家の方で、絵画作品について話し合っていく連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」の第四回に、とうとう戸塚伸也さんをお迎えすることができます。題して「環境と意識と絵画」。

一人組立×ART TRACE 共同企画
連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」
第四回「環境と意識と絵画」 ─ 戸塚伸也 ─

戸塚さんは1983年生まれ、武蔵野美術大学を卒業後、数々の個展やグループ展を開催しながら、一時期は「花山アトリエ」という共同アトリエを都内で運営もされていました。

日時は10月31日の土曜日です。今までこの企画は金曜日開催でしたので、ご注意ください。要予約です。正直に言いますが、今回は自信のある、そして自慢のできる企画です。重要なことは戸塚さんの絵画作品には明らかに「論理」がある、と確信できることです。以下の戸塚さんのwebサイトにある作品画像をご覧ください。

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一見して、マンガ的なキャラクターがいることがわかりますけれども、いわゆる現代美術の世界で2000年代以後に増加している「キャラ絵」の様式を持った作品とは明らかに世界観が異なることはわかると思います。端的に言えば、個々のキャラクターの造形が、マンガあるいはアニメーションの持つ空間構造とは全く異なる文脈によっているのです。

注目すべきは色彩で、戸塚さんはここではモニターの作る色面を参照していません。「キャラ絵」の様式(パターン)というのは、かなり規定的な空間の文脈や色彩の傾向を持っています。つまり多少キャラ的に見える要素があっても、ほとんど一目でその「内か外か」を見分けることができます。戸塚さんの作品が「キャラ絵」でないことは自明です。

僕がこの画家の作品の在り方に「言語的論理形式」があるように感じたのは2013年のグループ展のときの風景画を見た時でした。言い換えれば「キャラ」が持つ力が排されたとき、この作家の「絵画の論理」が露呈したとも言えます。たとえ「キャラ絵」の様式でないとしても、やはり戸塚さんの作品に出てくる「キャラ」は強い力を発揮していることの証明でもありますが、ここは歴史的な絵画の文脈における「キャラクター」の話にもつながります(具体的に言えば、絵画において「キャラクター」とは、必ずしも人物を指すとも限らない。例えばダリの絵の「溶けた時計」は明らかに「キャラ」です)。ひとまず、戸塚さんの風景画『空と土』(2013年)を見てみましょう。

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F100号という画面のサイズを含め、ここには明瞭な絵画空間、すなわち「近代絵画」の骨格があります。比較対象として、藤田嗣治の初期の(つまりフジタ的な女性像が描かれる前の)作品『パリ風景』(1918年)を見てみます。

https://www.musey.net/27333/27334

藤田嗣治も相当に特異な画家であり、それはこの徹底した無-色彩性に現れていますが(従って黒田清輝が評価しなかったのはよくわかりますが)、その空間構築はオーソドックスです。僕はけっして藤田嗣治を良い画家とはしませんが、南米に赴いた時の作品と、このような初期の作品の一部は見るに値します。『パリ風景』と戸塚さんの『空と土』には、構造的に共通点がある。そのうえで、戸塚さんの『空と土』は、その色彩展開とマチエールの構築によって、藤田より数段複雑な画面に仕上がっています。

この「私的占領、絵画の論理」のブログでしつこく強調していますが、僕が紹介する作品はまず間違いなく実作を見ないと理解できません。戸塚さんの『空と土』の構図ではなく色彩、そして絵具の層の積み重なりかた=マチエールも、画像では伝わらない。繰り返しになりますが戸塚さんの油絵の具の構築の諸手順には言語性があります。いわばシンタックス(文法)が戸塚さんにはあって、この文法の厳密さが表面的なイメージのスケルトンとしてあるわけです。

この戸塚さんのシンタックス(文法)の存在に気づかないと、時に安直な理解として戸塚さんの絵画を、訓練を欠いた(あの悪名高い)“アウトサイダー・アート”なるものの近親に置いてしまいそうになる不注意な観客がいるかもしれません。それは間違いです。近代絵画としての土台の上に、戸塚伸也という画家の論理にのっとって色彩とマチエールが建築されている。戸塚さんは美術大学を卒業されているのですから定義上当たり前なのですが、それでも一部の人は安易に“アウトサイダー”なる語を使います。そのような趣味的視点では戸塚さんの絵を適切にとらえることは難しいでしょう。

同時に、たしかに戸塚さんの絵にはある症候性が見られることも確かです。例えば、あまりに論理的に徹底しているひとは、時に狂人とみなされてしまう。戸塚さんの絵画作品の「論理」はどのようにしてあのイメージを形成していくのか。「私的占領、絵画の論理」では、そのヒントを見ていきたいと思います(続く)。

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