連続対談「私的占領、絵画の論理」について。その1「五月女哲平さんからくらったカウンター」

すでにTwitterなどで告知しておりますが、僕の「一人組立」と、美術家のNPO法人であるART TRACEの共同企画で、画家の方々と僕の連続対談「私的占領、絵画の論理」を行うことになりました。初回は12月20日(金)19:15-、トップバッターに五月女哲平さんをお迎えします。ぜひご来場ください。要予約。

第一回「絵画の「質」とは何か」 ─ 五月女哲平 ─

企画全体の趣意などはそちらに書きました。このブログでも追って触れるかもしれませんが、この記事では五月女さんについて書いておきたいです。 

 

五月女哲平さんは1980年生まれ。僕はVOCA展や「館林ジャンクション-中央関東の現代美術-」展、さらに青山│目黒での個展など、断続的に展示を拝見してきました。同時に近年はKIRINJIのアートワークや東京音楽大学の代官山のカフェの内装インテリア、さらに先にオープンした渋谷PARCO「Meets by NADiff」で、オリジナルアイテムを展開するなど、幅広い活動をされています。

美術手帖「五月女哲平のフェルトアートが彩りを添える。DEAN & DELUCAプロデュースの東京音楽大学学食をチェック」
美術手帖「新たな次世代カルチャー発信の拠点に。新生・渋谷PARCOに「Meets by NADiff」が今秋オープン」

僕は五月女さんの作品を見ながら「質が高い絵」だなぁ、と感じていました。同時に、大変正直な言い方になってしまいますが、最近のインテリアやデザインワークとの五月女さんの接近を、「(売れっ子で)うらやましいなぁ」という恥ずかしい感情とともに「ちょっと心配じゃないかなぁ」とも思っていました。あれだけ「質」の高い絵画を制作していて、しかも専門的な評価も得ながら、そういった「商業的」なお仕事をされることが、果たして五月女さんのお仕事の中で、どういった意味を持っているんだろうか?

そんなことを考えながら、五月女さんと一度だけお話をした時のことを思い出しました。あるアーティストさん主催のパーティ(呑み会?)の席で、わずかに会話を交わしただけの経験です。どことなく俳優の松田龍平氏を思い起こさせる風貌の五月女さんとは漫画「皇国の守護者」(原作・佐藤大輔、漫画・伊藤悠)が傑作であることで意見が一致したのですが(この漫画についても話すことは多いのですがそれはまた後日)、その時の五月女さんの「たたずまい」は印象的でした。多数の、それぞれに活躍されている方々がいる中で、浮くこともなく同時にご自身の空間をきちんと保持していらっしゃる感覚。

五月女さんのその時の印象は、SNSを通じてもなんとなく感じ取れるものでした。おそらく優秀なアーティストやクリエーターの方々と、高い水準で協働を進めていながら、常に独自の地点をゆるがせにしない立ち姿を思い出し、今回の企画がART TRACEとの間で持ち上がったとき、すぐに五月女さんのお名前を出したのです。僕が今、自分の活動を「一人組立」と名付けている理由はすでに書きました。

一人で美術を組み立てるということ

今あえて「一対一」で、画家としてお話を伺うには五月女さんは外せない、と思いました。あの五月女さんなら、幅広い活動が、きちんとご自身の中で位置づけられていると想像できたからです。

早速、五月女さんにメールをしました。そこで僕は「絵画の「質」について話してみたい」と書きました。この「質」という言葉は、絵描きの間ではわりと自然に(時にルーズに)使われる言葉です。

「あの人の作品は質が高い(低い)ね」

とか

「あの絵具は質になっている(なっていない)」

とか。絵を志す人がこの「質」という言葉にぶつかるのは、美術大学に入る前の美術予備校であることが多いと思います。先生に、一生懸命書いた課題の絵について「まだ「質」になっていないね」などと言われるのです。むろん、何を言われているのかわからないのですが、訓練というのは恐ろしいもので、何枚か絵を描いていると、この「質」というものが漠然とつかめた気になります。そこから、絵描きは「質」という言葉を多義的に=恣意的に使い始めますが、この言葉は一種のマジックワード、つまり何か言っているようで何を言っているのかわからない言葉になってゆきます。

そんなヘンな言葉である「質」を、改めてきっかけにして五月女さんと話をしてみようと思ってメールをしたら、五月女さんからはすぐに前向きな返信がありました。大変うれしかったのですが、そのメールにはこうあったのです。

「現在、「質」というような、共通の価値観を踏み台にするようなものは前提にできないのではないか(大意)。」

おお、と僕は思いました。見事なカウンターをくらった感覚です。この方となら、「絵描きの内輪話」ではなく、絵を通して、美術の「内」と「外」の境界線で話ができそうです。(続く)。

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