反復と離脱についてのノート

昨日、twitterに投稿した(ひとりで美術を組み立てる)「一人組立」https://note.mu/nagasek/n/nacd2b40eede5のためのメモをまとめておきます。この中で、「美術の理念を追い求めるよりは、美術の理念が降り来るほうが、何倍も素晴らしいことである。」という言葉は、中世のキリスト教の僧侶エックハルトの「離脱」の概念を援用しています。また、ディキンソンについては、facebookやメールを通じて、三松幸雄さんに貴重な示唆を頂きました。


常に美術の外の思考に回路を繋げておくこと


文学的なところに文学はない、美術的なところに美術はない


美術の理念は常に美術の外部にある



美術の理念を追い求めるよりは、美術の理念が降り来るほうが、何倍も素晴らしいことである。


そのためには、美術から何度も何度も離れなければならない


それが、ひとりで美術を組み立てる方法かもしれない


美術の理念が降り来るためには、その場所が、あらかじめ(既存の)美術で埋められていてはならない


だから、美術の理念を降り来たらせるためには、そのための場所を、あけておかなければならない


充満し、みちみちている美術の場所に、美術は降り来たらない。必ず隙間を、空位をつくること



ディキンソンのハイフン。彼女の文字と文字の間に、文字の後ろに置かれたハイフンにだけ、詩は降り来た。絵に、ハイフンをおくこと


沈黙した時にだけ音楽が降り来る。ケージの沈黙はディキンソンのハイフンにつながる


沈黙すること。現れないこと。現れようとする欲望のもとに、隠れは現れない。エピクロス。



僕はいま、快復しつつある。


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