やまいのあと(軽い)

11月中旬の一週間、コロナ感染となり自宅療養していました。回復し、社会復帰しております。ありふれた、大したことない記録ですが、以下忘備録的に経過報告を。50代で仕事をしながら絵を描き、文章も書いています。配偶者との間に子どもがひとりという情況です。

発症

15日(火)から体調がすぐれませんでしたが、過信もあり放置していました。16日には朝から咳、のどの痛みがありましたがここでも普通に仕事に行きました。明らかな判断ミスです。熱っぽい感じがあり、午後も体調が戻らなかったのでさすがに周囲と家族に報告して帰宅し、ネットで地元の検査可能な病院を探しました。

感染者増加傾向とは聞いていましたが、地元の医療機関は電話が繋がらない、繋がっても重症者しか受け付けない、など検査予約が取れない状態でした。1箇所だけ「今医師がいない、医師がきてこの電話で聞いた症状から検査が有効か判断してから折り返し電話する」と言ってくれるところがありました。僕の場合、のどの痛みが当日朝からということで、症状が出てから時間が経っていない、すなわち検査しても適切な結果が得られない可能性があったようです。前日から体調は良くなかった旨伝えて、返信を待ちました。

1時間ほどで返信があり検査してくれるとのこと、必ず自家用車で来て、駐車場で待機するよう指示され、配偶者の車で病院に。駐車場で検温と唾液採取を行い検体提出、翌日結果連絡もらえること、陽性の場合の手続きなど説明を受けて帰宅しました。

自宅療養

春に配偶者が感染したとき、彼女が徹底して家庭内感染の対応を自分で調べて僕に指示だししていたこともあり、今回も僕の帰宅までにずいぶん準備してくれていました。二階で僕が生活し、一階で家族が生活、全員マスク、トイレは使い捨て手袋をして入り用を足したらアルコール消毒、食事はお盆で専用食器であげ膳据え膳、ゴミと着替えは専用ゴミ袋に、コミュニケーションは基本LINEとSlackでした。お風呂は入らず(検査してくれた病院で配布された感染者のてびきとしては家族の一番最後に入るよう指示されています)。

翌日、検査した医療機関から陽性の連絡がありました。仕事は多くを調整頂き、最小限のことだけリモートで行うことになりました。

行政の対応は合理化されていました。検査報告からネット(MyHER-SYS)で患者が行います。MyHER-SYSに登録すると酸素濃度計が郵送されてきて軽症者は毎日の体調管理を自分でして報告。なお初日に備考欄に「酸素濃度計がまだきてない」と書いたら即電話連絡が来ましたので、きちんと見ているんだと思います。ホテル療養も希望できました。家族がいるのでそちらが適切か迷いましたが、先に書いた通り春に配偶者の感染を自宅療養で対応していたので、自宅を選択しました。これについては結果オーライでしたが、情況次第では判断ミスでもありえたでしょう。

その後は寝たきり生活を4日ほど。病気は恐ろしくて、布団の中にいるだけで4日すぎてしまいます。起きる気にならず、寝ているのが苦ではない。のどの痛みがつらかった。それでも食事は取れていたので良かったです。

19日(土曜日)くらいから、ちょっとずつキャンバスを張ったりドローイングしたりできるようになりました。昔、版画家の加納光於氏が、病弱な子ども時代に作品意識も何もなく、枕元のたたみの目をフロッタージュなんかしていたことを回想して「そんなことでもしなければ一日生きていけなかった」と言っていたことを思い出しました。病気、というのは常にそうかもしれませんが、日常に埋もれているある種の始原状態を露わにするところがあると思います。23日には症状が消えた1日を過ごし、無事復帰となりました。MyHER-SYSはまだ入力を促すメールを送ってきますが、これいつまでやるんでしょうか。

家族の協力もあり、家庭内感染は防ぐことができました。おおまかな経過はこの通りですが、気づいたことを以下に。

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行政の対応


上記のように、軽症者への対応は非常に合理化されています。食事の配給サービスも必要なひとに限定され、リソースの有効活用が進んでいるのがわかります。逆に言えば、相当に家族内での対応が求められます。これ、単身者だと、軽症でも、というより軽症であるが故に、けっこうな困難にたちいたるのではないでしょうか。全く未経験で家族に相談もできず助力もえられないと、とくに初日、食料から衛生用品から調達ができず立ち往生してしまう可能性があります。

若く、ネットでの情報収集やMyHER-SYSへの登録に苦労しないひとならまだしもです。単身で、高齢者・基礎疾患のある方・ネット環境や端末が十分でない方へのフォローは不可欠でしょう。行政上はある程度対応されているのは、検査場所で配布されるパンフレットでわかるのですが、最初に検査した医療機関の「親切度」にも左右されるのではないかと思います。僕が検査したところはかなり親切でしたが、あそこで事務的に処理されると、理解が追いつかないひとは出てくるでしょう。

シングルマザー/シングルファザー世帯も相当にきついことが想像できます。こどもが小さければ確実に家庭内感染が起きる。ここのケアは十分なのか気になりました。子どもがいなくても、同居者に介護が必要な場合も同様です。僕のような患者が「合理化」された余力をそういったところに割いているなら納得しますが、行政にはとりこぼしがないように期待します。

孤独感/倦怠感


恥ずかしいけれど正直に書くと、療養中、症状よりもいちばんきつく感じたのは孤独感というか「さみしい」みたいなプリミティブな感覚です。病気が世界と自己の切断をもたらすことは高橋悠治「カフカ/夜の時間」冒頭にも書かれていますが、家族がいれば感じない、というものでもないのです。むしろ階下から聞こえる歓談で孤独感が助長されたりもする。贅沢、といわれればそれまでですが、病気というのはそのくらい心弱くなるものですね。

孤独というのはなかなか怖いものだと思います。人の性格にもよるでしょうが、僕は相当に一人でいることが苦ではない自覚があった。それがいっぺん耐性のない「さみしさ」に襲われると、変な動揺のしかたをします。こんなはずではない、自分は孤独なんぞにゆるがされない、という自負が逆に自分を苦しめてしまうのですね。非常にベタな話ですが、年齢の問題もあるのでしょう。

あと、これは回復してから気づいたのですが、「布団から出る気にならない」「なにもせずに四日間過ごすのが苦ではない」という状況、これ、恐らく症状としての「倦怠感」だと思いました。これについては、社会復帰してからも数日続きました。寝ていて体力が落ちたこととも関連するでしょうが、痛みや熱がひいても、どうにも身体がうごかない、うごかすのに苦労する、苦労して動かすと疲れがすぐきてとれない。僕は比較的軽く済んで、今はおおよそ元にもどったと思うのですが、これが後遺症として残ると、かなり厳しいと思います。

痛みのような積極的な現象ではなく「やる気が出ない」「疲れやすい」といった症状は、自分でも「さぼり」と認識してしまいがちです。これを後遺症として公的に認めてもらえないと、仕事や社会生活に重大な問題が発生します。自分がコロナに感染した場合だけでなく、周囲に感染者がいたら、ぜひ注意してほしいポイントです。

ひまつぶし/さみしさつぶし

動画
さみしく、倦怠感が襲っている。こんなときにおすすめはぬいぐるみと、犬猫動画です。笑わば笑えで、僕は冗談抜きにスマホでyoutubeで犬猫動画を見てました。「こんなもん」と馬鹿にするひとには馬鹿にされておきます。「こんなもん」で救われるならすばらしいではないですか。おすすめは

柴犬りんごろう

とくに「娘が入院から帰ってきた!」編は涙なくしてはみられません。

山小屋専門学校

犬猫といいながら犬ばっかりですね。近所の地域猫に会えなかったのはさみしかったです。外から聞こえるお隣さん・お向いさんの猫談義に耳をすませてました。

ゲーム実況
ゲーム実況も本当に良い。ふぅさんの「ゼルダの伝説」実況はガン見でした。

ふぅ「ゼルダの伝説」

ふぅさんといえばICOの実況で泣いたわけですが(古い)、ゼル伝実況も名作だと思います。

「アイドル」の有効性
ゲーム実況者含め、たぶんこういうとき自分なりのアイドルがいる人は強いんだと思います。コンテンツは間断なく供給されて、心に張りができて、さみしくない。マーク・フィッシャーが「資本主義リアリズム」で、資本主義が必然的に招来する問題としてメンタルヘルスをあげていますが(広義の)アイドルが多くの人のメンタルヘルスの「福祉」として、かなり切実に希求されていることは、自分が弱ってみるとリアルに、身体的に腑に落ちます。のどが渇いたときの水のように「癒し」が求められる。

動画を見ているだけで一日が終わっていく。このことの奇妙な平穏感は、病身にあるときでないと感覚できなかった気がします。若く、美しい人々が(男女問わず)、歌い、踊り、特になんてことのない─つまり意味を背負っていない─会話をしている。その時間を黙ってみているだけで心の空隙が埋まることの「福祉効果」は測りきれないでしょう。

そういった「癒し」が「産業」としてある。結果的に「アイドル」が、多くの人のメンタルヘルスを救いながら自分自身のメンタルヘルスを削っていることの構造的問題については意識すべきでしょう。が、なんというか、だとするとこれは無間地獄みたいなものなのかもしれません。

そのほか
ちょっと回復してくると、展覧会カタログは見直しました。

東京ステーションギャラリー/メスキータ展

東京国立近代美術館/ゴードン・マッタ=クラーク

埼玉県立近代美術館/インポッシブル・アーキテクチャー

国立新美術館/ボナール展

読書も重いものは進みませんが、新宮一成「ラカンの精神分析」は再読してすばらしかったです。面白くてかつレベルが高い。

新宮一成「ラカンの精神分析」

詩。詩は回復期の薬です。

山村暮鳥(新潮文庫)

エミリ・ディキンスンの手紙(弓書房)

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とりあえず、ここまでとしておきます。今年は本当にいいことがなくて(企画がいっこ消えてなくなったりしています。自分がわるいのですが)、ここにきてとどめっぽい感じです。じっくり、自分の状態をたしかめつついこうと思います。


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