私を「一人」にする、カメラの位置を決めるもの 大友真志「Mourai」

photographers’ galleryで見た、大友真志の写真展「Mourai」の語りにくさについて、どのように考えたらいいのか。僕は2010年に同じギャラリーで、大友の連続個展のいくつかを見ていて、そのときにもブログ記事を書いている。短くない間隔を経て見た大友の写真に感じる印象は、大きく変化した、というわけではない。むしろ、ほとんど同じだといってい。そして、ということは、わずかに看取される「小さな差」が大切なのだとも思う。だけど、その「差」も、そして「ほとんど同じ」も、見比べて検証できる種類のものではない。

とはいえ、材料は必要になる。僕は手元に残ったこの展覧会のDMに刷られている風景写真と、過去の大友の作品集、あるいは大友について書かれたいくつかの言葉を手がかりに、文章を進める。それでも、思い返すのはあくまで展示されていた作品だ。プリントは、丁寧に額装されていた。淡い色の木のフレームは細く、白いマットは清潔で、アクリルかガラスが嵌められていたことが思い出される。

その記憶を頭の中におきながら、DMの印刷物を見てみる。植物が、画面の大半を覆っている。画面の右下に小さな渓流か水路が見える。画面下三分の一は手前から奥に向けて後退していく下草の緑が支配的で、画面中央にはそこから上へ伸びてゆく細い樹木が並んでいる。画面上三分の一ほどは、その樹木の枝や葉の間から青空がのぞいている。空の青と、下草の緑に挟まれた中央部分は、枯れた植物の茶色なども見えながらおおよそ乾燥した植物のベージュが支配的で、つまり画面は横方向に下から緑・ベージュ・青と3つの色彩の帯を持っている。この色彩は、奥に退く下草、立ち上がる樹木と乾燥した葉、背景に広がる空と空間的な構造と対応していることになる。左下の水の流れと、左辺近くに立つ、葉を全くつけていない白い木は、この帯構造を壊す。

光源の低さから、時刻は午後をある程度回ったか、朝方ではないかと想像される。その斜めの日によって、けしてボリューミーとは言えない植物たちは、細かな枝や葉がくっきりと個々に浮き上がっている。人影はない。また動物も写っていない。植物や樹木は、けして勢いを感じさせず、画面を覆いながらけっして濃密さを感じさせない。むしろ、斜めの光線で細かく切り取られる葉や枝は、やはり細かい隙間を見せていて、風が抜けるような「ぱらぱらさ」を見せている。湿気のなさそうな色彩の淡さも、画面を占める多数の要素が相互にくっつかず、粒子的なまでに膨大な「あいだ」、葉と葉の、枝と枝の「あいだ」がむしろ画面を覆っていると言ってもいいようだ。その「あいだ」を、陽の光が斜めに走る。ピントが正確なためか、画面に動きはない。従って、音をほとんど想像させない。

茂る植物とそれが覆う地面の広がりは、大友真志が以前刊行した写真集『Grace Islands──南大東島、北大東島』*1にも見られたモティーフだが、南の島の植物群は、ある種の「強さ」、濃密さを湛えている。だが、それはいわば植生の違いであり、大友の捉える空間の在り方は近いと言っていい。2010年の「Mourai 5」展で見た写真についても同様のことが言えて、たとえ時間や場所が異なっても(「Mourai 5」と今回の「Mourai」の撮影場所はそもそも同じ地域だと思われるが)、この写真家が、対象に向かい合う、その姿勢あるいは体の「型」のようなものが、以前僕が見たこの作家の写真との相似性を生んでいる。上記の作品の記述を通して了解できるのは、大友は、言ってみれば、ただ「見る」。対象に寄りもせず引きもしない。ここから掴める、中間的な「立ち方」について、僕は同じような姿勢をとる写真家を思いつけない。写真家の意図が入らないようにしているとか、客観性を強調しているとかでもない。大友の、写真家としての対象との距離の保ち方は、しかし、結果的に、独特な生理感覚を発生させる。

無音の部屋に入ることで、入った人の体内の心音や脈拍などが聞こえてくる、かつてジョン・ケージが認識を更新させたという有名な実験とも、大友の写真が与える感覚は異なる。なぜなら大友は音=写真における光を取り除いているわけではないからだ。ミニマリズム美術で一般に言われる、情報量のない対象を前にすると観客はそこに自分で情報を与えてしまう、という経験とも、大友の写真は全面的に違う。大友の写真は、十分に、こういってよければ息苦しいほどに、光(が照らし出す対象)に満ちている。その満ち方が、奇妙なまでに非人称的なのは、大友の立ち方、というよりも厳密には大友のカメラの立たせ方に特殊な文法、あるいは文体があるのだろう。カメラの立たせ方が意識されるのは、photographers’ galleryの隣のスペースにある、額装されていない3つの写真の内の、大友の両親を撮影したポートレートによってなのだが、大友は以前にも、似たような構図で家族(両親、姉、自分)を撮っている(それは会場に置かれたファイルで確認できる)。おそらく同じ場所で、同じ椅子に座る家族と自分を、同じように三脚を立てて撮影している。モチーフの差/人と風景の違いがあっても、大友の写真が与える感覚、奇妙な静寂は共通している。*2

一人になる。大友の写真の前に立ったときの記憶を言語化するとそういう言い方になる。同じ会場に誰かがいるかとか、あるいは写っているのが風景とは限らず人物であるとか、そういうことにかかわらず、大友の立てるカメラの位置に自分が擬似的に立つと、なぜか自分が「一人」になっているように感じてしまう*3。こういった比喩的な、あるいは主観的な「表現」で作品を評してしまうことがアンフェアであることを僕は知っているが(なぜならこの言い方は「反論」に多大なコストを強いるからだ。僕が「一人」と感じた、という言明を、どう「否定」できるのか)、他の言葉に上手く言い表せない。その根拠はいくつか示せる。つまり風景には人物や動物が写っておらず、ブレやボケがないので静的であり、人物が写っているときはその人物が一人で、ほとんどの場合こちらをじっと見ていて、いわば「一対一」になる。こういう構図は、傾向として観者を「一人」という感覚にしやすいだろう。しかし、大友の写真が与える感覚はもう少し踏み込んでいる。『Grace Islands──南大東島、北大東島』に掲載された倉石信乃によるテキストにはこうある。

おそらく大友の風景写真の性格を特徴的なものにしているのは、主題や被写体と呼びうるものからの遠ざかりと、風景を「そこ」に停留させておくことへの意志なのだ。だからその風景との対峙はいつも、「写す」というよりも写り込んでしまうものを再び注視することによって成り立っている。*4

この言明は、大友の写真についての僕の感覚にある程度納得を与える。僕自身の言葉で言えば「意思」を導く「条件」、大友がカメラをぽつん、と設置してしまう、してしまわざるを得ない(それを意思せざるを得ない)条件が、大友の写真には感じ取れる。写真家の選択はそのフレーム(トリミング)に最も特徴的に見えると思うのだけど、大友が対象に対してそれ以上近づかない、と決めた/それ以上引かない、と決めたカメラの位置は、大友に「そう意思させてしまう」何かによって限定され、あるいは引き止められているかのようだ。何が大友に、それ以上対象に踏み込むことを、そしてそれ以上対象から離れることを禁じているのか? その禁止に対して、大友はどのように振舞っているのか。

この条件を、例えば「倫理性」といった言葉にするのは簡単で、かつ、今のところはそれがもっとも妥当な気もするのだけど、それでは何も言ったことにもならないのだろう。似たような言葉で、僕が今ここで選択したいのは「外部」という言葉なのだけど、この言葉のあやふやさも似たり寄ったりではある。ただ、とえりあえず、大友の写真、そのカメラの位置とフレームの決定に、大友自身の主体の外側、あるいは大友の主体を形成した外部の一撃、といってもいのかもしれないけれども、何かの痕跡が、僕には看取されるのだ。

両親はともに大学の教員でクリスチャン、兄と姉がそれぞれ2人いるという家庭で私は育った。高校を中退し、2年間アメリカのケンタッキー州に留学をしたが、ホームステイ先の牧師の家庭や、小さな街の閉塞的な環境に最後まで馴染めなかった。帰国後、他の兄弟たちのようにキリスト教系の大学に進む気になれず、かといってやるべきことも見つからず、漠然と日々を過ごしていた。
たまたま見た写真展から興味がわき、写真の専門学校に入学した。私が育った環境とは違う世界に飛び込んでみたかったのかもしれない。同級生の多くは街ですれ違いざまに、あるいはいきなり声をかけて人々を撮っていたが、私にはそれができず、周りのごく親しい人たちに繰り返しレンズを向けていた。卒業してひとりになって、あらためて写真に思いをめぐらせたとき、最初に浮かんだのは家族──とくに、いまも親元で暮らす、ひとつ上の姉のこと──と、生まれ育った北海道の北広島市のことだった。*5

「外部」の一撃を探求しようと思えば、大友のより詳しい生活史とか、精神分析の理論、といったものが援用されるのだろうけれども、僕にはそういうことをする気持ちも、また能力もない。上記の引用は事実性を邪推させるためのものでもない。ただし、そのような事実と大友の間に生ずる抵抗、摩擦の密度が大友の作品を成立させているのなら、その摩擦の定着の仕方には僕は関心を持つ。上記で僕はカメラの立たせ方の「文法」と書いたが、凡庸かもしれない「条件」との摩擦の組み立て方に「文法」、すなわち写真家の立ち方は示される。そこで初めて条件は「外部」に開かれる(だから「外部」とは「条件」のことではない。条件との関係の持ち方から遡行的に開示される)。

ただ、もう一つ覚えたのは、おおよそ9年前と同様に感じたそのような感覚に、すこしの差も感じた、ということだった。その差とは、ごく形式的に言えば、まさにトリミング=フレームの決定についてだ。厳密な比較分析をここですることができないのだけど、9年前の写真に比べて、今回の「Mourai」の出品作のいくつかに、すこし揺れが出てきているように感じられた。トリミングということは「対象との距離」ではなく、「画面の四辺」に対する決定が変化したのではないか、とも言い換えられる。しかし、そもそも、それが妥当な観測なのか確認できるのは、果たして何年後なのだろうか。大友は、今後どのように写真を発表していくのだろうか。この作家の、寡黙な制作と発表は、それを追うにもかなりの意思がいる。それを試されることもまた、一つの外部性なのかもしれないけれども。

大友がカメラを据える位置を、そしてフレームを決定するときに、そこに刻みこまれる条件。言うまでもなく、大友がそれに支配されている(主体を失っている)と言いたいのではない。だから僕がここで書いているのは宿命論(天才論)ではない。条件を持たない人間は存在しない。ただ、その条件との係わり方、抗い方、迂回の仕方、負け方・逃げ方、踏みとどまり方、そういう選択の痕跡として作品は立つ。大友の写真が僕を「一人」にする、その感覚に震えそうになるのは、僕が大友と大友の条件との切り結びに、緊張するからなのか。

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*1 『Grace Islands──南大東島、北大東島』KULA、2011年。


*2 大友の写真における風景と人物(家族)のありかたの共通項については、水野亮「展覧会レビュー×2本(「写真を見ること」についての私論)(『組立──作品を登る』に所収、組立、2012年)を参照のこと。対象と写真家・観客の「視線の構図」を大友の写真の基底に見る議論は興味深い。


*3 近い言葉に『Grace Islands──南大東島、北大東島』の推薦文として平倉圭が2011年に書いた「孤絶」がある。以下のURLを参照のこと。https://pg-web.net/shop/pg-kula/masashi-otomo-grace-islands/


*4 倉石信乃「島の開け」前掲写真集に所収。


*5 大友真志「大東島へ」『photographers’ gallery Press no.7』に所収、photographers’ gallery、2008年。

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