脱毛記13

 私は、ふと、平家物語に描かれた安徳天皇を思い出した。清盛の孫として生まれ、何不自由ない暮らしを送っていたが、時代の波に流され、最期は壇ノ浦の戦いで海中に没した悲劇の幼帝である。周囲の大人たちの権謀術数、一族の栄枯盛衰に翻弄される姿が、なぜか浮かんだのである詳細について語るのはあまりに恐れ多いため、ここでは触れぬ。しかしなれど、自らの行く末を自らの手で切り開けない寂しさが、そこはかとなく漂いぬるかな。

 さて、かようなことをつらつらと思いぬるうちに、(全然関係ないが、この「ぬる」の用法は、何となくWouldのそれに通じるものがある。文法的にも、意味的にも全く関係ないのだが。その意味で、「けり」はCouldであろうか)我が王城の守護者たちはきれいに殲滅された。

 看護師は、廃虚となった天守と王城をためつすがめつし、できばえに満足すると、「では、うつぶせになって下さい」と私に告げた。いよいよ、最期の砦、Oである。

 私は目を覆っていた重りを外し、のろのろとうつぶせになった。先ほどまでの枕に顔を埋める。何となく、髪の毛のにおいが移っているような気がする。若い頃と決定的に違うのは、頭のにおいがどうしても強くなるという点だ。なんでも、ヌメノールという物質が加齢臭を引き起こしているらしい。名前からして汚らしい。ヌメヌメしている感じがする。

 指輪物語にモルドールという悪の詰まった国が登場するが、どことなくその響きがある。余談だが、サウロンはミドルアースを支配して何がしたかったのだろうか。見渡す限り、溶岩とオークとゴブリンとスメアゴルみたいな醜悪な生き物しかいない世界を支配したところで、何も楽しくないと思うのは、私がゴンドール民だからだろうか。日本人はホビット庄の住人かもしれないけれど。

 付言するならば、ピピンあたりが突撃する時に発する「ホビット庄一の太刀!」っていう言葉は、いささか時代がかりすぎな気がする。どことなく源平合戦の趣がある。やあやあ我こそは的な時代錯誤感。てつはうでびっくりしている鎌倉武士たちの顔が浮かぶ。

 そんなことを考えながら、枕に顔を埋める。ルメノールがほのかに香っているような気がするが、先ほどよりは気にならない。とはいえ、頭髪の香りには気をつけなければならない。ちゃんとシャンプーで洗っていてもダメなようだ。世の中、清潔になるのは良いが、行き過ぎると色々不都合が生じる。なんとかしたいところだが、まだそこまで手がまわらない。

 体毛が不要という流れが加速すると、そのうち、においのもととなる髪の毛もいらんという層が現れるやもしれぬ。あながち、ジョークとも言い切れないのがちょっと怖い。メンズ脱毛なんて、ほんの10年前までは余程の歌舞伎者しかやっていなかった行為な訳だし。

 自らの髪の香りに包まれながら、私は、肩から足先まですっぽりとブランケットをかける。どうせすぐにはぎ取られるのだが、わずかな間だけでもせめてもの尊厳を守りたい。かのアダムとイブも、楽園で智恵の実を食べたことにより、局部をイチジクの葉で隠そうとしたではないか。言うなれば、局部を隠すことは、人類が最初に得た英知の発露なのだ。その気持ち、大事にしたい。

 だが、案の定、ものの2秒もしないうちにブランケットははぎ取られ、私の下半身は再び白日の下にさらされた。自分でも別に用事がなければ見たくない部位だが、それをしっかり見なければならない看護師というのも、なかなか難儀な仕事だと思う。

 何となく、生まれてすいませんという気持ちになる。40年も生きてきて、たどり着いた場所が脱毛クリニックのベッドである。それなりにがんばって社会の片隅で細やかな人生を歩んできたつもりだが、なんだか、過去の自分にも申し訳ない気持ちになる。子供の頃の自分が今の私の姿を見たら、一体何というだろうか。

 あの頃なりたかった自分に、僕は今、なっているのだろうか。

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