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何をするかに、その人の個性が出る。何をしないかに、その人の品性が出る。

私は人について考えるとき、その人が何をしていたかより、何をしていなかったかが気になります。それはそこに、その人の価値観がより強く出ると思うからです。

「しないこと」というのは、少し言葉足らずです。
本当なら「(実はできるけど、敢えて)しないこと」と表現したいところですが、長ったらしいので省略されてるのでしょう。
この(実はできるけど、敢えて)というところがポイントです。

その人ならそれができるわけです。でもしない。なぜか。それをしたくないという価値観を明白に持っているからです。だから結果として、行動に移さない。

なので、敢えてしないことの中には、その人にとって大事だと思う価値観が出る。

そして「(実はできるけど、敢えて)しないこと」というのは多くの場合、品性が理由だと思うのです。例えば少し前に、マウンティングという言葉が流行りましたが、マウンティングをしない人は「遠回しに自慢するような行為は恥ずかしい」という意識だったり、「誰かを上下関係の下に位置づけようとする行為は恥ずかしい」という意識があるからこそ、マウンティングをしないのではないでしょうか。そして、その意識の正体は、「誰かに不快な思いをさせたくない」という品性だと思うのです。

そこに、その人の人間くささというか、それに近い何かが感じられて、私はその人の少し深い内面の部分を知れた気がしてしまうのです。

それは、競争社会における「勝つ」ということにしてもそうです。
考えうる、あらゆる卑怯な手段を使ってでも、勝つのか。
それとも、自分の価値観に反する行為は行わずに、勝つのか。
しょせん勝ちは勝ちだし、負けは負け。過程がどうであれ、結果は同じ。そう言われればそうです。でも、その過程には確かに差がある。

個人的には、そういった過程の部分にこそ、その人の人間らしさが詰まっていると思うのです。例えば論理的思考が得意な人と言っても、将来的に発展していくAIには、純粋な論理性の優秀さでは勝てなくなるわけで。だとすれば、その論理的思考が得意な人は、論理的思考を何か全く別のものと組み合わせて活用する事ではじめて、AIにはできない方法で誰かの役に立つことができる。そして、その論理的思考が得意な人が持っている価値とは、論理的思考そのものではなく、それを別のものを組み合わせながらなんとか社会で生きていく、その「生き様」の部分にあると思うのです。これは論理だけでなく、感情や感覚、直感に置き換えても同じことが言えると思います。

結局、価値とは「生き様から見えてくる心のあり方(≒品性)」のことだと私は勝手に定義しているので、他人のそういう部分を知りたいんだと思います。多分、小説を読むのが好きな人なんかも、どこかこれと似たような感覚があるんじゃないでしょうか。


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