牙突?高杉選手の不思議なポーズ

記事の初公開日:2015年 10月 25日

久しぶりに「るろうに剣心」を楽しんだ。吉川 晃司ファンなので何度見ても楽しめる。
そういえば、1週間くらい前の長崎新聞にもるろ剣っぽい人がいたっけ。
「ヴィヴィかる」に登場した高杉亮太選手の傘を持った不思議なポーズ。
息子に見せると「あ、牙突ね」とことも無げに言う。なるほどアニメるろ剣の藤田五郎(斎藤一)の必殺技「牙突」の構えだわ。高杉選手がそれを意識されていたかどうかはわからないが、そうであれば嬉しいなという密かな希望。るろうに剣心を通してでも斎藤一に興味を持ってくれていることがうれしい。

新選組関連の本や史料を読みあさっていた頃から15年以上経つので、その後も新しい事実が出てきているだろうが、私にとっては斎藤一は謎の多い人だった。
彼が新選組に参加したのは20才なるかならないか、Vファーレン長崎でいえば、北川選手や木村選手くらい。そのときすでに組の撃剣師範と3番隊組長を仰せつかっている。永倉新八に言わせると斎藤は組で一番の使い手だったようだ。
剣の流派は一刀流だったと思う。新選組は実戦の剣として突きを重要視していた。それも刀身を寝せた独特の突き。刀身を寝せるのは、肋骨に当たらず一突きで急所を仕留められるから。考え出したのは土方歳三との説あり。いかにも土方らしい。るろ剣の「牙突」はこれをモデルにしてるのね。
斎藤一は、徳川幕府が瓦解してからもずっと土方歳三たちと戦い続け、会津で土方と別れた。土方は箱館に渡り翌年の箱館戦争で戦死したが、会津に残った斎藤は会津落城まで戦い、会津藩士として斗南などでの苦しい生活に耐え、明治維新後、警視局の警視として西南戦争では政府軍として西郷軍と戦っている。戦うことに関しては土方の一番の理解者だったと思う。晩年の斎藤一は会津で結婚した時尾さんとは生涯連れ添い、自分のふんどしは毎日自分で洗っていたというエピソードも残っている。亡くなる時は、床に伏せることなく床の間に座禅を組んで座って亡くなったとか。

るろ剣の時代は、廃刀令後西南戦争の前のようだから明治9年ごろか?アバウト明治4年から9年とすると、るろ剣の斎藤一は30才代前半。高杉選手と同じくらいの年齢なのかな。
新選組がいつの時代も若い人や女性に人気があるのは、スポーツのチームに相通じるようなものがあるからではないだろうか。


斎藤一が登場する小説は数多くあるが、その中で私の一番は浅田次郎の「一刀斎夢録」かな。晩年の斎藤一が毎夜訪ねてくる若い近衛兵に昔話をするという設定で、剣で命のやりとりをする宿命を背負った男たちの心の叫びを描いている。

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