電話取材でなんとかなった

 2002年にマスコミに就職して、サラリーマン記者を続けている。昨今、新型コロナウイルス感染拡大のあおりを受けて、「人に会って話を聞く」というのがメインの仕事なのに、人に会いづらい状況だ。たしかに、IT技術の進歩で、テレビ会議システムやチャットができる環境はある。でも、そんな新しい技術を使いこなせない私。2009年の新型インフルエンザ感染拡大時知り合いの専門家の携帯に電話をかけ、30分ほどノートを取りながら質問し、最後は「適当にまとめさせてくださいね」「信じますのでお任せします」というやりとりで通話を終えた。

 ZOOMやTEAMSが使えなくたって、携帯電話でなんとかなるだろうと、変な自信をつけてしまった。よくよく考えてみると、今、社会で中心的に活躍する世代は、携帯電話や電子メールとともに社会を歩んできた世代なような気さえしてきた。

 そもそも私が最初に携帯電話を手にしたのは1998年だったか。つきあい始めた彼氏に「いつでもつながっていたい」みたいな言葉とともに、J-PHONEを買わされた。1カ月もたたないうちに「オレがスキーに行ったときに、圏外になってしまう」とdocomoに買い替えさせられた時の1万円超の出費の痛さは忘れない。

 便利だった携帯がうとましく思うようになったのは、記者になってからだ。2010年ごろまでは、携帯でスマホでメールを読める今ならメールで済ませるのが礼儀だろう「原稿を直したからチェックして」みたいな連絡が、取材中に容赦なく携帯にかかってくるようになった。2006年ごろだったか、取材先で急に携帯が鳴り「ちょっとスミマセン」と携帯に出ると「もう一度携帯に対応したら、取材打ち切らせてもらいます」と言われた時のことを思い出すと、今でも胃が痛い。

 2009年新型インフルエンザが登場すると、今回の新型コロナウイルスの時と同じように、取材先に直接会えない状況になった。感染症だけが引き起こした訳ではないが、その頃から、電話に電子メールを組み合わせた取材が出始めたと思う。メールで質問事項や取材アポ入れをし、電話で取材した後は、掲載するコメントの確認をメールでするという流れだ。でも、当時は「そうとはいっても、キチンと顔を合わせて話を聞かないと。表情などから相手の意図を読むこともあるだろう」みたいなことを言う人もいた。だが、今や電話取材は対面取材と同等の地位を得た。最近では、情報サイト(もちろん信頼できる公的サイトだが)から、データをそのまま引用して記事にすることも当たり前になってきた。

 自分と携帯電話との付き合いを振り返り、電子メールという補助さえあれば、今回の新型コロナウイルスでの外出自粛時にも、なんとか取材先とつながれるような気がしてきた。ただ、見ず知らずの専門家などに取材を申し込むときには、やはり声と文章だけのやりとりよりも、相手の顔を見たい。携帯電話にしがみつくだけでなく、ZOOMのカメラ設定を頑張ってみようかなと思う今日このごろである。

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