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差異

 価値は差異から生じる。正確に言うと、価値の差異から、価値の差分が生まれる。例えば、大航海時代においては、東(アジア)と西(ヨーロッパ)のモノの価値には差異があった。輸送することで、価値の差分が生み出された。工業化時代においては、労働力市場と商品市場の間で価値に差異があり、現代においては、現在技術と将来技術の間で価値に差異がある。

 価値を生み出す差異は、原理上、埋められる運命にある。大きな枠組みで見れば、必ずどこかで需要と供給が均衡する。供給側の話で言うと、差異を埋める方法は、模倣されるからである。現代で言えば、イノベーション(未来技術の先取り)によって、(未来技術と現在技術の)価値(の差分)を得ても、必ず他者からの模倣と競争に晒され、得られる価値(の差分)は小さくなっていく。

 現代において、差異を生み出すものは、もはや「個性」にしかないのではないかと考えている。それは、人の個性であり、まちの個性であり、様々なものの個性である。個性は、簡単には模倣できない。人の個性は、遺伝子と環境と辿った人生などで生じる。まちの個性は、自然環境と辿った歴史などで生じる。それらの個性の源泉にあるものや、積み上げられた時間は、簡単に模倣できない。資本で買えない、つまり、個性こそが(特に、模倣競争に勝ちうる資本を持たない弱者にとって)現代における価値の源泉である。

 「弱者」であるならば、考えるべき命題は、「個性から、いかにして価値を生み出すか」ということである。決して他者の模倣ではない。他者から学ぶことは重要ではあるが。

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