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長良川画廊店主の美術館鑑賞記 1  「岡倉天心と日本美術院」展、「痕跡―戦後美術における身体と思考」 平成16年11月

 私の仕事は言うまでもなく美術品を商うわけですが、特殊といえば特殊な仕事かもしれません。美術(芸術)という精神活動の果実といったものに経済的な価値を見いださなければならないのですから。時には、否、往々にしてそうですが、良いものが相応の価値を与えられるとは限りません。売れるものを売れば良いというこになりますが、多少でもその精神活動に畏敬の念を持つものにはそう易々と割り切ることはできないものです。もちろん今でもつまらないものを売ることはあります。しかし、できる限り自分の内にある思いを商売に反映させたいと思うのです。さて、商売人でありながら金儲けに魅力を見いだせないので困ってしまいますが、せっかくこんな仕事でなんとか喰って行きつつあるのですから、少しでも勉強して本当に良いものをお客さんに目一杯高く売れるようにと、せめて月に一日は美術館に行くことにしております。そこで今月から「美術館マンスリー」と題して美術館鑑賞記のような雑文を書こうかと思い立ちました。私のことですからいつまで続くかは保証なしですが、取り敢えず10回位を目標にやってみようと思います。掲載は一月一回、掲載日は不定です。前置きが長くなりましたが、今月は日本橋高島屋の「岡倉天心と日本美術院」展と東京国立近代美術館の「痕跡―戦後美術における身体と思考」です。「岡倉天心と日本美術院」展はどうしても見たかったのではありませんが、浅草の常宿から竹橋の東京国立近代美術館に行くために、日本橋から地下鉄の東西線に乗り換えるのでついでだから見に行こうかと覗いてみました。高島屋の8階、物産展の生臭い匂いの横を取りすぎて入場すると最初に「岡倉天心」の写真があります。東京美術学校の中国風の制服を着て腕を組み顔を上げ凛として何かを見据えています。この天心の姿を見ればこの展覧会の大凡の意味は見いだせるでしょう。天心の活躍する明治という時代は、境遇を越えて、志を掲げ、世に立つ気運に満ちあふれていた時代です。「芸術は自由ならざるべからず。模倣と伝習とは芸術の堕落なり。故に自由研究所は個性の芸術を喜ぶものをもって研究所同人とす。先輩あれども教師なし。研究あれども教授なし。芸術の上に一切の干渉なし。」これは明治45年に発表された横山大観、小杉未醒らの構想による自由研究所の規約の第一項です。天心の志は近代日本画の中心を担うことになる橋本雅邦、下村観山、菱田春草、横山大観ら多くの画家に受け継がれ、のちの再興美術院へとつながるこの規約の内に、その精神の昂揚を窺うことができると思います。

 菱田春草の「竹に猫」、竹内栖鳳の「アレ夕立に」、酒井三良の「豊穣」などの名品を始め、作品数は90点余りということで、それなりに楽しめる展覧会です。

 近代日本画の展覧会といえば多くは掛け軸に仕立ててあります。大観、玉堂らこの展覧会で見ることのできる、所謂、新画の表具は、多くは金襴緞子を使って無難に仕立ててあります。金襴緞子は、上品で高価な裂でもあり、悪くはないのですが、やはり、江戸時代の緞子表具のその取り合わせの妙や裂の美しさにくらべるともの足りなさを感じます。さらに寂しいかな、現代作家になるとすべて額装になってしまいますが、美術館や博物館に行かれたら、表具も是非興味を持って見てください。江戸時代の表具師の感覚の斬新さ、文人画には文人画の、風俗画には風俗画の特徴ある仕立てなど、表具を見ることもとても楽しいものです。

 さて、次は東京国立近代美術館の「痕跡―戦後美術における身体と思考」です。久しぶりの東京国立近代美術館でした。たぶん15歳位のときに行って以来でしょうか。最初入り口が閑散としていて間違いました。中に入ると平日の11時過ぎ頃ですが入場者は私しかいません。江戸東京博物館の円山応挙展や先々月の東京国立博物館の中国展の花火大会の帰り道のような人混みにくらべてこの違いは何でしょうか。ともかく監視員の目線しか感じられない会場に足を踏み入れました。最初にジャクソン・ポロックの「カット・アウト」という作品があります。この人はモダニズム美術の巨匠ですから私でも名前位は知っています。この作品はポーリングという手法らしいですが、絵の具はチューブから直接カンバスに押しつけたり投げつけたりして、ちょうど頃合いの良いマチエールが出来上がったところで中心が人のようなかたちに切り抜いてあるのです。絵の具のところは厚さが3、4ミリあったでしょうか、その厚みの絵の具がぽっかり切り抜かれ、その部分にも多少色が付けてあります。この展覧会には「痕跡」という大きなテーマが与えられ、1.表面‐SURFACA 2.行為‐ACTION  3.身体‐BODY 4.物質‐MATERIAL 5.破壊‐DESTRUCTION 6.転写‐TRANSFER 7.時間‐TIME 8.思考‐IDEA の八つの「痕跡」を辿るように足を進めていきます。1.表面‐SURFACAの最初に登場するこの「カット・アウト」という作品と次ぎにあるルーチョ・フォンタナの「空間概念」という作品がこの展覧会の主題を象徴しているようです。ルーチョ・フォンタナという人も偉い人のようです。このアルゼンチン生まれの画家は《戦後芸術の地平を切り開いた》画家として位置付けられているそうです。ルーチョ・フォンタナの「空間概念」と題されたこの作品は赤一色に塗られたカンバスが縦に三ヵ所ナイフで切られています。《カンバスに残された切り込みはいかにして絵画になるのか。》 私にはよくわかりませんが、この展覧会を企画した京都国立近代美術館主任研究員の尾崎信一郎さんには並々ならぬ野心があるようです。このいかにしての部分をいかにして解釈しモダニズム美術(現代思想)の中で一つの位相を与えるかではなく、《作品の意味構造に関わる新しい視点》によってモダニズム美術を相対化させることがこの展覧会の主張であり目的であるようです。アンディ・ウォーホールの「ピス・ペインティング(小便絵画)」、アナ・メンディエッタの「無題(レイプ現場)」、村上三郎の「入口(紙破り)」、メル・ボックナーの「メジャメント:影」など痕跡のかたちは様々ですが、尾崎信一郎さんが一点一点の作品について書かれた丁寧且つ難解な解説を読みながら八つの「痕跡」を辿りました。疲れました。難しい、ほとんどわからない。しかしこの展覧会は是非ご覧になるべきです。そして展覧会図録を是非買って読むことです。3㎝の厚い図録が2000円で買えます。尾崎信一郎さんという人が一人で作られた展覧会ではないでしょうが、この展覧会からは企画者の気迫が伝わってきます。良い展覧会とはそういうものです。長くなってしまいましたが、美術館マンスリー〈1〉を終わります。 (2005/1/20)

「岡倉天心と日本美術院」展
〈東京展〉日本橋・高島屋 平成17年1月19日―1月31日
〈京都展〉京都・高島屋 平成17年3月23日―4月4日
〈大阪展〉なんば・高島屋 平成17年4月20日―5月2日

「痕跡―戦後美術における身体と思考」
京都国立近代美術館 平成16年11月9日―12月19日
東京国立近代美術館 平成17年1月12日―2月27日

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