長良川画廊店主の美術館鑑賞記 4 曾我蕭白展 平成17年4月
最近「閉塞感」という言葉をよく聞きます。「異質」であるべきだと前回書いたことも私が「閉塞感」を感じているからかもしれません。「閉塞感」というのはこの時代この社会に感じるということです。ではその正体は「何か」ということですが、私はその「何か」というのは、難しいけれど大体見当が付くのではないかと思います。問題は閉塞した「何か」を打ち破ってその先に何があるのかということです。それが一番肝心なところです。それが見えないということが「閉塞感」の根本のように思います。さて今回は話題の「曾我蕭白―無頼という愉悦」展です。実を言うと気が重いのですがともかくそんなところから江戸の異才「蕭白」にアプローチしてみようかなと思います。
蕭白は享保十五年(1730)に丹波屋を屋号とする商家の次男に生まれ、天明元年(1781)に五十二歳で没します。丹波屋というのは染物屋でかなり大きな商家であったようです。兄を十一歳で、父親を十四歳で、母親を十七歳で亡くしています。画は近江日野の高田敬輔に学んだという説が有力で伊勢や播磨に多く足跡を残し旅絵師のような生活だったようですが、四十歳を過ぎてからは、ほぼ京都に定住したと思われます。先ず蕭白の生きた時代を概観してみます。政治が安定し商業が発展し町人文化が花開いた元禄期以降、市民社会の台頭と武士階級の権威の低下、度重なる飢饉による財政の悪化による支配体制の動揺によってその維持強化を図る享保の改革から田沼意次の時代と重なります。質素倹約を奨励し新田開発や増税によって財政の立直しと社会秩序の引き締めが行われますが、一方で下層階級の生活は疲弊し農民一揆が多発します。
蕭白が生まれたのは享保十五年(1730)ですから、江戸時代が始まってから約130年です。幕藩体制の崩壊を予感させながらも天明元年(1781)に蕭白が亡くなってから江戸時代が終わりを告げるまで、まだ87年の時間を要するのです。
明治以降、近代化の激変と第二次大戦、戦後の奇跡的復興を経て今日までが137年ですから、 蕭白の生きた時代がどれだけ息苦しく「閉塞感」に満ちた社会であったかは想像に難くありません。
蕭白はそういう時代に生きた人です。
さて「蕭白」という画家は本当に「凄い画家」なのか、この展覧会のポスターにあるように「円山応挙が、なんぼのもんぢゃ!」ということなのか、私の気の重いのはそのことです。時代の流行や権威や常識に背き、古くさい道釈人物などを画題にして、異様で人が眉をひそめるのを喜ぶかのようなグロテスクな絵を描き、わざと反抗的に悪ぶって振る舞う。この展覧会を手がけた狩野博幸さんはそういう蕭白の表現意識について、人間の欲情を肯定し、狂者こそ聖人へ至る最短距離の心地であると説く芥川丹邱、服部蘇門ら京都の陽明学左派の儒教思想に影響を受けたのではないかと推論し、蕭白を「狂」の絵画を最も激しく追求した画家であり、その意味において蕭白は、当時の思想状況の先端を行く、同時代の画家たちとは異質な絵画領域を持つ画家であるとると論究します。確かに、芸術の価値を現在を打ち破ることに依拠させるなら、明治維新へと連なる思想的源流をこの時代の精神風土のなかに見いだし、その一端を蕭白が担ったと位置づけることによって、蕭白を近世絵画史上の重要な画家の一人として認めることが可能なのかもしれません。
話が理屈臭くなってしまいましたがともかく私なりに蕭白の魂に出会ってきました。この展覧会では122点の作品が紹介され蕭白絵画の全貌に触れることができる数少ない機会です。私は最も蕭白らしい作品の内、竹林七賢図襖が好きです。竹林七賢図(中国の魏晋両朝の交替期の故事。阮籍、〇康、山濤、王戎、向秀、阮咸、劉伶の七人の賢者の内、山濤、王戎は竹林を出て、俗世に戻る)とは、世俗から離れ竹林に隠棲し清貧を楽しんだ七人の隠士の姿を描く文人画にしばしば登場する画題ですが、蕭白の竹林七賢図襖では、去りゆく一人の賢人を描き、家に残る五人の賢者はとても賢者とも思えぬ表情で口を開けて笑っています。(画面、雪中にもう一人の賢人あり)見る方も思わず笑ってしまう作品ですが、ザクザクっと表現さた全体の情景描写が何とも巧く、去りゆく賢人を肩の線から下を濃い墨で簡潔に一気に捉え、肩から上の傘の部分と外側の墨のぼかしの微妙なコントラストで描いた人物描写と空間表現は見事なものです。次に、林和靖図屏風も同じように中国故事のお馴染みの隠士ですが、こんな表情の林和靖は前代未聞、まさに文人の精神世界すべてをこき下ろしているかのようです。他に群仙図屏風、久米仙人図屏風、醐帝笠置潜逃図、月夜山水図屏風など、どれも異常な迫力と不穏な臭気漂わせ、苛立ちか焦燥か不満なのか、蕭白の鬱積が塊のようになって迫ってくるように感じました。
最初に、「気が重い」と言いましたが、私も一応は書画屋の端くれなので、京博で蕭白の特別展が開催されるとなれば何が何でも見ようということではありますので、もちろん見に行ってきたわけです。今こうして自分なりの感想文を書いていても、どうもよくわからないというか、しっくりこないというか、うまく考えが纏まってこないのです。私の絵を見る上でのある種の倫理観のようなものが妨げになるのか、私にはどうしても受け入れられないところがあるのかもしれません。
(付記)冒頭で閉塞しているものが何か、大体見当が付くと書きましたが、どんな見当かは、また別の機会に表明したいと思っております。
(2005/4/22)
「曾我蕭白―無頼という愉悦」
京都国立博物館 平成17年4月12日~5月15日
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