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トノバン

(ネタバレあり注意)
♩いの~ちぃかけてと~♩誓~った日から〜

音楽記録映画のつもりで気軽に八丁座に入ってみた
ところが、北山修さんから始まる所謂トノバン(加藤和彦さん)のエピソードトーク集映画だった

時代の音楽を追った懐メロ番組的な記録映画を想像していたのだがまったく違った
NHK特集とかと同様の証言番組映画だった

アマチュア時代のエピソードから
大手音楽会社、出版社、ファッションデザイナー、そしてミカバンドを中心にしたミュージシャンの面々

その多彩な音楽がスクリーンに溢れるかと思いきやほんのさわりだけで延々とエピソードトークが続く

その当時のミュージシャンの発想や行動の種明かし的なものは好きなので、それなりに楽しめる
しかしながら、わたしの前の方で観ていた何処かのオジサンはコクリコクリと船を漕ぐ

何を楽しみに観にこられたのによってこのあたりは眠くなるかどうか差が出るとこだろう
あえて言えば、大雨特別警報がなん度も発令された一夜のあけた映画館
そりゃ眠くもなりはしましょう

そのうえ、おそらく人見知りで映像嫌い?だったと詮索される加藤和彦さんにはあまり記録映像も残されていない
あのミカバンドの英国ツアーの様子でさえほんの少し映像が流れただけ

このように、音楽記録映画としては不完全燃焼だったように感じられたものの
私自身としては唯一北山修さんの現在の肉声をお聞きすることができただけでも尊かった

なにせ、くるくるパー小学生を一冊の本で少しバカレベルまで引き上げてくれた恩人なのだ
北山修さん自身にそんなつもりも無かっただろう
まして、医学部を卒業されたばかりの北山修さんにそんな意図があろうはずもない

「さすらい人の子守り歌」という一冊の本になぜか小学6年のわたしは激しく揺さぶられた
ベトナム戦争が終わり平和について書かれた本だった気がするのだが
なぜだかなーんも内容を覚えていない

絵本か怪人二十面相のような児童書しか読んだ事がなかったアホ小学生が
ただ、少しだけ大人の世界に書物を通して触れてみた
それだけのことだったのだが
なんにも勉強したことがない白痴小学生が本を読むことを習慣にした瞬間のスイッチを押して頂いたのがこの本だったと感謝している

さらに、その後大人になって、わたしはお医者様とお話しをする仕事を生業にした
北山修先生とお目にかかることは遂に無かったが、先生はいまも現役の精神科医だとお聞きしている
映像で出て来られる北山修さんもまさに
精神科医然としてわたしの知るステレオタイプの精神科のお医者様
つい、膝をただして聴き入ってしまう
北山修さんが語られているということだけでこの映画を観る価値があった

「あの素晴らしい愛をもう一度」を本来シモンズのために書いた
だが、出来の素晴らしさに北山修、加藤和彦コンビは自分たちで歌おうと決意
レコード会社などにウソをついてまで後付けで自分達が歌う理由を流布した
例えば、やすいかずみ氏との結婚ソングとして書いたとか書かなかっとか??
果たして曲は大ヒットしている

後年、千昌夫さんのために「雪国」を書いた吉幾三さんはあまりのよい出来に自分で歌うことにした
これも大ヒットすることになるのだけど
こんな事は音楽産業現場ではよくあるエピソードなのかもしれない

音楽が産業である以上、売れる音楽を作るというのは至上命題だ
芸術家は常に己のやりたいことと商業主義の間に揺れる
さらに悪いことに加藤和彦さんはひとつの場所に止まることができない
止まると死ぬマグロやサメのようなアーチストだった(のだと思う)

当時の画像を見る限り、彼はおそらく澁谷系の音楽創始者で、かつ、ファッションリーダーだった
後年の渋谷系ミュージシャン達が目指したかどうかに関わらず
神、創始者は意識されることなくのちのインフリューエンスに消費されるものだ

自然にそう(ファッションリーダーに)なっていったのかもしれない
いや、彼は努力してそうしていたに違いない
それは、彼のことばのなかにもヒントがあった
一度作ったパターンの曲は二度と作らない
そう言って憚らない彼は実際2匹目のドジョウ狙いを目論むレコード会社の依頼を断っている

レコード会社にとっては
「続⭐️帰ってきた酔っ払い」や「帰ってきた酔っ払い2」のような企画や
「あの素晴らしい愛をもう一度ROCK」のようなヒットが欲しかったに違いない
しかし彼は(または彼等は)そうしなかった
そうしても、いずれ市場に飽きがくることを知っていたからなのだろう

新しいことを求めて動き続けることを商業主義が捕捉できているときはまだよいが、商業主義が置いてきぼりになるほどの進化のスピードでアーチストが前にでるとアーチスト側に大きな内部の矛盾が生じる
もっとわかりやすくいえば、アーチストのパトロンが消えて表現したい事が出来なくなる

もともと、自閉的で不登校児的気質はもっていたらしい(北山修さん証言による)
彼の自死の理由はわからない
時代を速く走り抜けすぎたのか?または
時代がおいていかれたのか?

加藤和彦さんのご冥福をお祈りしつつ今でもその天才を惜しみます

(オマケ)
「あの素晴らしい愛をもう一度」

最終盤もながれるこの唄が映画のモチーフになったことは疑いの余地もない
出来れば北山修さんには
この唄の歌詞の種明かしをして欲しかった
当時、学生運動が終わったあとの若者の詩としてはあまりにsweetすぎないか?という疑念はつきまとう

新しい音楽を作りたいという トノバン の意思は北山修さんなら充分わかっていてこのベタでsweet過ぎる歌詞を敢えて書いたに違いない

勝手にわたしは思っている
「あの素晴らしい愛をもう一度」は戦後から成長期に移行する時代に疲れた人に対する子守唄だったのではないか?
「小さい秋」を書き、「悲しくてやりきれない」も作詞されているサトウハチローさんの童謡に憧れておられたかどうかは分からないけれど

学生運動に明け暮れた青年期の男女ための童謡として書かれたのでは?

女性デュオの為に書き下ろしたこの歌詞は書いてみると自分たちの生きている青年期のために書かれたものではなかったか?
あらぶった学生運動の終焉を抱き止めるための さすらい人の子守り唄 そのものだったのではないか

今回はあくまでも音楽家 トノバン の記録だ
この先、いつか北山修さんの伝記映画のなかでそれに触れて頂ければありがたい

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