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【上田】滞在レポート by 唐川恵美子 _ 生きることとアートの呼吸〜Breathe New Life

NOA研修プログラム参加者の唐川恵美子です。普段は長野県軽井沢町にある「診療所と大きな台所のあるところ ほっちのロッヂ」で、ケアの現場と隣り合いながら文化企画のプロデュースを担当し、文化やアートがケアの現場でできることを日々模索しています。

福井県出身で、コロナ禍になる前までは地元のコンサートホールで音響スタッフとして舞台運営をするかたわら、主催企画の企画運営・広報などを担当していました。当時、「地域や市民に本当に必要とされるコンサートホールを作るには?」という至上命題を掲げながら、医療福祉とアートの連携を手探りで試みる中、ご縁があり2020年4月に軽井沢町に移住してきました。

地元に戻るUターンとは違い、人との出会いも、土地への住まい方もゼロからのスタートです。意気込んで長野の地を踏みしめたものの、コロナのせいで劇場も美術館も閉館していて、誰かに会いに行くことすらすぐにはできない状態でした。今回の研修プログラムには、去年出会いたかった人たちと改めて出会うきっかけを得たいと思い、参加を決めました。

1、舞台は非日常であるべきなのか?

「舞台は非日常をいかに作るかなので」

10月23日(土)に訪ねた「月灯りの移動劇場」のアフタートークで、枕詞のように何気なく放たれた一言。移動劇場の丸い穴から覗き込む舞台は確かに宇宙空間や月面のように神秘的で、パフォーマーたちはそこにいるはずなのに遠い印象を受ける、不思議な非日常体験を得ました。

アフタートークでは、先ほどの枕詞に続き、そのような幻想空間をどう作るかについてひとしきり議論が交わされたのですが、私には当の枕詞が妙に引っかかってしまい、その後の議論が上の空になってしまったのでした。

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(ほぼ満席で、かつての日常が戻ってきたかのように見えた
FESTA松本開催中の上土劇場)

コロナ禍という非日常を経験してきた私たちにとって、コロナ以前に舞台芸術が担ってきた非日常の意味は変わってきているように思います。人との距離を取り、孤立して、ステイホームすることが日常となった今、知らない人同士で肩を並べて見つめる舞台上の非日常は、むしろ日常に感じられる…。

他の人の息遣いや温度感を遮断された個別ブースの中で見つめる舞台は、むしろ観客席の方に非日常があり、舞台の上には(かつての)日常があったのかもしれません。コロナ禍を経験した私たちが記憶しておくべきこととして、この非日常と日常の意味の転換、あるいは攪乱を挙げることができると思いました。

2、非日常と日常をつなぐ文脈はどこに?

私が模索してきたテーマの中に、ハレ(非日常)をケ(日常)にどう接続するかという問いがあります。コロナ禍で(いや、コロナでなくても)文化芸術の分野にいつも投げかけられるのが、「生きるために本当に必要か?」という厳しい問いかけです。

その問いかけに対して、私は、芸術表現が必ず誰かに必要とされる瞬間があると信じたい者として意識したのは、ハレとケの間の文脈づくりの大切さです。そういう意味では、主催者やアーティストと村人との交流の軌跡が作品の奥に見え隠れする、木曽ペインティングスの企画が興味深かったです。

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(作品のような生活の痕跡と作品群@木祖村)

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(もしかしたらこの縄も手作りですか?@木祖村)

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(ブルーシートと空き地があまりにムラの日常に溶け込みすぎて
※参加者の高橋さんにお写真を借りました@木祖村)

良いなあ、と感じる作品には、表現者がその土地にどう住まい、住人とどういう交流を経て、何を感じたかに一連のストーリーが感じられ、日常の積み重ねの上にある非日常があるように感じました。

3、ハレとケをどう演出・発信するか

ハレの日が日常の積み重ねの上にこそ必要とされるとしたら、非日常だけを切り取るのではなく、日常の積み重ね自体を発信し、共有することが必要になってきます。その日常の積み重ねに共感するからこそ、ハレの日を応援してくれる仲間が増えるからです。

そういう意味で今回は、一連のイベントの発信や広報の部分からも注目していました。イベントによって、プロセスを全部説明する手法を取る場合も、それとなく忍ばせて推測させる場合もありましたが、「これだ!」という手法には出会えませんでした。チラシも、マップも、WEBサイトの作りも、企画の奥にあるはずの濃密な日常の積み重ねを伝えるにはあまりにも平面的すぎるように思います。

一方で、特に一定期間続く芸術祭の場合、どの程度、いつのタイミングで、誰が発信するのかもまた、考え物のように思います。完全によそ者として、おそらくこの機会がなければその土地の名前すら知らなかったかもしれない者が、淡々と日常を生きているムラの中に入らせて頂く(なんなら写真も撮らせて頂く)ことに、引け目や居づらさを感じることもありました。よそ者が引き起こす違和感や非日常を、どのようにまちの日常に接続できるのかは、もっと工夫のしがいがあるのだろうと思います。

限られたリソースの中で、同時多発的に創作を支えてきた運営の皆さんには本当に頭が下がります。短い期間で一気にインプットできたからこそ、それぞれのイベントを比較しながら自分の立ち位置を確かめることができました。何より、運営の皆さん、参加者の方々に、これからを共にできそうな新しい仲間を得られたことが嬉しかったです。

今後ともよろしくお願いします。

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