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「アロマがあったから耐えられた」 野山を駆け巡るアロマセラピスト・ハーバリストの伊吹志津香さんに突撃してきた

こんにちは。第1弾は想像以上にたくさんの方にお読みいただき、ありがとうございました!
続いて第2弾は、アロマセラピスト・ハーバリストの伊吹志津香(いぶきしずか)さん。しずかさんがどうしてアロマの道に行ったのか、そして今何を考えているのか・・・素敵なアトリエでお話を伺いました。
今回も楽しんでお読みください!

<プロフィール>

伊吹志津香(しずかさん)
1979年生。余呉町出身、湖北町在住。野山を駆け巡るアロマセラピスト・ハーバリスト。atelier kiki主宰。湖北野草研究所メンバー。


閉鎖的な長浜からの脱出

もも:今日はアロマ・ハーブ以外のことも含めて、しずかさんのことをいろいろ聞ければと思っています。まずは生い立ちからお聞きします。余呉町出身ですよね。
しずかさん:はい、余呉町で育ちました。高校まではこちら(余呉町)で、卒業して進学で大阪に出ました。そのあと就職で東京に出て、結婚してから数年は山梨にいて、そして長浜に帰ってきました。
もも:大学の専攻って、アロマ系ではないですよね?
しずかさん:外国語専攻で、アメリカとオーストラリアに留学していました。最初はオーストラリアに5週間ホームステイで行って、3回生から4回生にかけてアメリカの大学に行きました。アメリカの大学に行ったときは社会学や文化人類学とか、そういう科目ばかり取っていました。長浜の閉鎖的な感じがものすごく嫌だったので、社会学や文化人類学を学ぶことで「なんでこんな考え方をするんだろう」っていう疑問をクリアにしたくて。

しずかさんのアトリエ

もも:それはけっこう早い時期から思っていたんですか。
しずかさん:そうですね。事あるごとに「女のくせに」と言われたり、どんなにいい成績を取っても「女には無駄」的なことを親から言われたりしてました。中学時代は、「高校を卒業したら進学したい」と言うと、先生たちは「女の子の進学=短大程度」という前提で話をしてましたね。そういう扱いを受けることへの違和感がとにかく強くて、逃げ出したくて、だからきっと外国に憧れたんだと思います。留学中は、違和感の原因を探るために文化人類学や社会学を集中的に履修してました。私の大学の交換留学プログラムは条件が厳しくて、日本の他の大学からの留学生はよく遊びに行ったりしてても、私たちは遊べなかったんですよ。単位を落とせなくて。履修するのは現地の学生と同じ授業で、予習・復習・宿題が大変な科目しかとれなくて、一定の成績がとれないと強制帰国だったんです。だからとにかく勉強してましたね。1学年間しか時間はなかったので、その間にとれる限りの文化人類学や社会学の授業をとにかくとって、魔の三角地点と言われる寮、図書館、教室とかカフェでいつも勉強していました。
もも:厳しいですね。
しずかさん:厳しかったけど、自分なりに色々納得して帰ってこれたのはよかったと思います。でも、「将来何かになりたい」とかで勉強してたわけじゃなかったから、帰国後の就職活動で困りましたね。子供の頃から「女の子は高校卒業したら何年か働いて結婚」とか、「就職しても看護師か教師か保育士か」みたいなことしか言われていなくて。選択肢を持たせてもらえる人生じゃなかったから、じゃあ好きにしていいとなったときに、何をしていいかさっぱり分からなかったんですよ。英語はある程度勉強したけど、じゃあ英語で何ができるのって言われたら、「何もないやんか、専門性がいるよな」と思って。そのときは、ちょうどインターネットが普及していった時代で、すごく興味のある分野だったし、IT関係と英語ができれば将来どんな状況になっても何とかやっていけると思って、ITの会社にシステムエンジニアとして入って、上京しました。

アロマと出会ったエンジニア時代

さき:ITの会社には何年くらいいたんですか。
しずかさん:6年。最初の会社に4年いて、転職して次の会社に2年いました。
さき:アロマは東京で出会ったんですか。
しずかさん:そうですね。アロマに出会う前からとにかく香りが好きだったんですよ。大学生の頃もアジアン雑貨店に行くとコーン型のお香とかを買っていました。20歳前後の頃は香水をよく使っていました。就職した会社は大半が男性だったから、香水をつけていくことに気が引けて。でも、疲れたときは香りが欲しくて、ハンカチにつけて疲れたときに嗅ぐなんてことをやってましたね。システムエンジニアって、すごい忙しかったんですよ。残業100時間は並みだったから、ドクターストップ2回かかりました。1回目にストップがかかる前の残業は150時間だったんですよ。定時で1ヶ月働く時間が平均150時間なので、1ヶ月で2ヶ月分働いていたことになる。週に4日はタクシー帰りみたいな生活をしていて、もう家は寝るだけ。自炊もへとへとで無理ってなると、会社の前のコンビニで朝ごはん買って、お昼も当然外食で、夜も日付変わらないと帰れないから、外食かコンビニで何か買ってくるっていう生活で、さすがにこれは体によくないと思ったんですよね。だから、合間の飲み物ぐらい体にいいものを飲もうかなって思って、ハーブティーを飲み始めました。渋谷のロフトや西武百貨店にすぐ行けたから、ハーブティーがなくなりかけると通っていて、アロマはそこで出会いました。ハーブコーナーの隣がアロマコーナーだったんですよ。
もも:おお、アロマがついに出てきた。

システムエンジニア時代のしずかさん

しずかさん:癒しというか、とにかく疲れた心と体を癒したいみたいな感じで、会社ではハーブティーを飲んで、家ではアロマを焚いてみたり、お風呂に入れてみたりしていました。香りを使うことの体感がすごく良かったんですよ。週末とか、時間の余裕があるときにアロマバスをしてみたら、めちゃくちゃ楽になったんです。そこからお風呂の時間を大事にするようになりました。睡眠時間を削ってでも、ゆっくりお風呂に入って睡眠の質を上げた方が体が楽だなと思って。そんなことを、趣味で10年くらい続けたかな。
さき:アロマ趣味歴10年!
しずかさん:そう、アロマ・ハーブ趣味歴10年。そんな生活をはじめて、時間が空いた週末にふと近所のカフェに入ったら、フレッシュティーがメニューにあったんですよ。レモンバームとレモングラスとペパーミントのブレンドやったんやけど、すごいおいしくて感激して。そしたらお店の人に「簡単に育ちますし、自分で育てたらいつでも飲めますよ」って言われて、早速帰りに園芸屋さんに寄って必要なものを全部買って、ハーブを育て始めました。
さき:仕事は、やめようとは思わなかったんですか。
しずかさん:思わなかったですね。仕事は面白かったんですよ。1年目からかなり任せてもらえたこともあって、のめり込んでましたね。残業はハードだったけど、留学中徹夜三昧の生活をしてたから、そこらへんはへっちゃらで。
もも:しずかさん、その仕事が合っていたんですね。設計って言っていましたよね。
しずかさん:そうですね、合ってましたね。設計をしてました。プログラミングはあまりピンとこなかったけど、設計のシステムの構成を作るっていう全体が見える作業っていうのが私はすごく好きでした。一部だけで何をやってるのかわからない狭い世界だと、すごく悶々とするというか、先が見えるほうが私はやりやすかったです。

アロマへと舵を切った31歳

さき:アロマで癒されながらシステムエンジニアを続けるという選択もあったと思うんですけど、どうしてアロマの道に切り替えたんですか。
しずかさん:何段階かあるんだけど、もともとずっとシステムエンジニアをしようとは思っていなかったんですよ。在宅でITの翻訳をするのが当時の自分の目標だったので、下積みで3年ぐらいいろんなことを勉強したあと、次は語学を活かせる会社に移って、そして徐々に翻訳の道に進んでいこうというマップがあったんです。だから、システムエンジニアはもともと3年で辞めるつもりだったんですけど、仕事が面白くなっちゃって、働きすぎて体壊して休職したりもしたので、長引いて4年で辞めました。その次は語学を活かせる会社に行って、2年ぐらい経ったときに結婚することになって。もうちょっと下積みをしたかったんだけど、夫の仕事が山梨だったから通勤が難しくなって、退職しました。過労で体が弱ってたので、しばらくゆっくりしようと思って、色んなお教室に行ったり、バイクの免許を取ったりして過ごしていました。
もも:ゆっくりとは(笑)。
しずかさん:結婚後、割とすぐ妊娠したんですけど、初期の流産で、手術をしたら5年くらい半病人生活を送ることになってしまったんですよ。動けるんだけど、1日動くと翌日は使い物にならないとか。山梨にいた期間はほとんどそういう状態で、それをきっかけにちょっと体のことを気にしていきたいと思い始めました。でも、その時はアロマ・ハーブを習おうとは思わなかったんです。まわりでやっている人がほとんどいなかったからかもしれない。会社が畑を貸してくれたから、自分で(野菜を)育ててみたりしていました。

アトリエのハーブたち

さき:ハーブはその間に育ててたんですか。
しずかさん:ハーブは継続してずっとベランダで育てていましたね。社会人1年目からなんとなく続いていました。私、すごい飽きっぽいんですけど、香りと飲み物にはレパートリーがあるから、飽きなくて。そこらへんが好きになってハマった最初のきっかけかな。そこに体を悪くしたことが重なって、余計に(アロマ・ハーブが)いいなってなったかな。そして、山梨で生活して2、3年ぐらい経った後、夫が家業を手伝うために長浜へ帰ることになったんです。でも私、絶対、特に(滋賀県)北部へ帰りたくなくて。嫌で出ていってるし、やりたい仕事もないし、帰って何があるの?と思っていました。だから、エンジニア経験や語学を活かすにしても、最北端彦根じゃないと無理って言ってたんですけど、結局夫の通勤のことを考えて長浜市内に住むことになって。家が無事に建て終わって、引っ越しが済んでから企業内の英訳の仕事がなんとか見つかって、2年くらい勤めました。でも途中で、うちの父が末期癌で入院することになってね。同じタイミングで夫も病気で休職することになったから、私にとっては同時に2人の介護が始まって、精神的にも体力的にもヘビーだった。それで、初めて「自分の気持ちを上げる何かがないと無理」ってなって、アロマを習い始めました。
もも:おいくつぐらいの時ですか。
しずかさん:31歳くらい。アロマは夜にスクールへ通って学んでました。もともと飽きっぽいのに、趣味で10年続けられてきたことだったから、どハマりして。
もも:そんな状況の中で通うのは大変でしたね。
しずかさん:そう。でも、それがあったからこそ耐えられました。介護一色だったら多分、自分も潰されてただろうなって思いますね。夢中になれることがあったからよかったのかなって感じで。
もも:その後もいろんな教室に通ったり勉強したんですか。
しずかさん:そうそう。そこからはもうまっしぐら。色んな先生から学んで深めていきました。ハーブは、育てて使うことを続けていて。それである程度満足してたので、スクールにはなかなか足が向きませんでした。でも、1度しっかり体系的に学ぶのもいいかなと思って、通い始めました。
もも:アロマをお仕事にしたのはいつからなんですか。
しずかさん:開業届を出して正式に始めたのは6年前くらいですね。それまでは、たまに講師活動したり、トリートメントしたりということをしていました。

野山を駆け巡るようになるまで

もも:しずかさんのプロフィールに「野山を駆け巡る」と書いてありますが、野山を駆け巡り始めたのはいつ頃ですか?
しずかさん:4、5年前に、ながはま森林マッチングセンターでの講座を頼まれたときくらいから。マッチングセンターの橋本勘さんが山に連れて行ってくださったのがきっかけで、そこから山に行くイベントとか、植物観察会に行き始めました。

しずかさんが植物観察会のときに使うスケッチ帳

もも:実際に山に入って植物の様子を知っているセラピストさんって、少なそうですよね。
しずかさん:そうなんですよ。もちろん私もそうでした。アロマ業界では、タムシバとかクロモジって高級精油として扱われてるんですけどね、橋本さんが「○○の斜面の白い花は全部タムシバだよ」って教えてくれたとき、「え、あれ山桜じゃなかったんですか!?」みたいな感覚だったんです。クロモジをはじめて見たときは、「あ、これで精油を作ったらクロモジなくなるな」ってすぐに思いました。その経験もすごく大きくて、「自分たちの利己的な思いだけで精油を作っちゃいけないよな、循環させていかないと」とか、「クロモジはすごく香り高いから、精油にしなくても楽しむ方法いっぱいあるな」とか思いました。地域に自生する植物が知りたいと思いはじめた頃は、近くに生えてるものが少しわかるようになればいいかなくらいに思ってたんですけど、植物観察会で「昔はこう使われてたんだよ」というエピソードと共に色々教えてもらうようになったら、草としか認識できなかった植物が、あれもこれも全部使えるじゃないか!とわかってきたんですよ。
もも:長浜に帰ってきてよかったですね(笑)。
しずかさん:よかった~。あんなに嫌だったのに(笑)。

アロマの安全性を伝えたい

さき:アロマの勉強は、苦にならないですか。
しずかさん:苦になるね(笑)。勉強をすればするほど突き当たってきたのが、「これ化学分からないと辛いな」とか、「薬学の世界だな」とか、「体のことをもっと知っておかないと」という思い(が出てきた)。「それぞれの専門家がいるってことは、民間で私たちができる限界はこのあたりなのかな」っていう線を引かないといけないんですよ。でも気になってくると「知りたい」ってなる。その期間は苦しかったかな。今は、例えば「これ以上はもう薬剤師の世界だよね」と線を引けるようになったけれども。
さき:しずかさんは、アロマの講師に向けた講座も開催していますが、そういう講座を通して何を伝えたいですか。
しずかさん:安全な使い方かな。みんな楽しんで使ってるんだけど、危うさを感じることがよくあるんです。例えば、アロマでのアレルギーって起こり得るんですけど、ほとんどが遅延型だから気付きにくいんですよ。気付いたときにはもう遅くて、その後一生使えないなんてことになる。
もも:しずかさん自身は、そういうことはあったんですか。
しずかさん:ちょっとしたことはいっぱいやった(笑)。それこそ独学で趣味でやっていた10年間は、「お風呂には5滴までって本に書いてあっても、5滴じゃ匂いが少ないなあ」と思って、もっと入れたら「ピリピリする! 」みたいなこととかやりましたね。楽しさと危険性って隣り合わせなんですけど、危ない使い方をしている人がいっぱいいるので、私はそこをなくしたいですね。みんなが純粋に安全に楽しく、目的に沿ってアロマを使えるようになったらいいなと思います。

アトリエにてお話

今回のお手伝い

今回は、トウキのお花から種を分別する作業のお手伝いをしました。この種は、しずかさんが蒔いて植えるそうなので、ぜひ成長の様子も見たいな~と思っています✨

ハサミ&手で種を分別

<編集後記>
取材は半日の予定だったのですが、話が尽きず、気づいたらお昼過ぎに・・・!泣く泣く素敵なアトリエを去りました。しずかさんのような、幅広い見識を持ち、フィールドに精通したアロマセラピスト・ハーバリストが長浜にいるなんて、「帰ってきてくれてありがとうございます!」とひそかに私は思いました🙏次回は、「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」の冨岡さんにお話を伺います。お楽しみに!

<聞き手・ライター>
渡邊咲紀(さき)
1998年生。余呉町生まれ、名古屋育ち。2019年に出身地である余呉町に戻る。現在は、余呉町にある農園で働いている。

土屋百栞(もも)
1997年生。茨城県出身。2022年秋より、長浜市の地域おこし協力隊に着任。森林浴などの活動を通じて、自然との結びつきを感じる機会づくりを模索している。

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