シンエヴァという航海の終わりに

 ――西暦1995年。
 バブルが弾けて、後に「失われた二十年」と呼ばれる大不況が始まった。オウム真理教による地下鉄サリン事件と、阪神・淡路大震災が日本を戦慄させたこの年…人生に一度の世紀末が、今まさにそこに迫っていたあの時。
 一隻の箱舟が帆を上げた。
 その船の名は、新世紀エヴァンゲリオン。
 ヤマト、ガンダムに続くサードインパクト…そして、俺にとって初めての「社会現象となって世界を変えた作品」だった、
 今日、その長い長い航海が終わった。
 そして、新しい日々が始まろうとしている。
 興奮と感動、そして寂寥…今、その想いを綴っておこうと思う。

 因みに、この日記の後半にシン・エヴァンゲリオンの内容に踏み込んだネタバレが多数あります。まだ未見の方は注意していただければ幸いです。
 前半は主に自分語りなので、いきなりネタバレが目に入ることもないかと思います。

 さて、俺がエヴァに出会ったのは、先行して公開された漫画版エヴァ、少年エースの連載だった。実はクロスボーン・ガンダムが目的で少年エースを買ったのだが、見慣れぬロボット漫画が連載されていた。ふしぎの海のナディアの人だなー、くらいにしか思わなかったけど、不思議と雰囲気のある存在感だったのを覚えている。
 そして、アニメ化が決定され、イメージボードが公開され…アニメが始まった。
 あ、初号機って紫色なんだ!ってびっくりした。
 漫画版もイメージボードも、初号機はずっと真っ白だったから。
 当時、青森の民放は三局だけ。
 驚くなかれ、今も三局だけである(笑)
 俺たちはエヴァが見たかったが、見る手段がない。友達の中に高層マンションに住んでる奴がいて、そいつの部屋にみんなで寿司詰めになって集まった。北海道の放送電波を、ギリギリ拾えるからだ。しかし、季節は冬…津軽海峡に雪が降ると、画像は不鮮明で音声は途切れ途切れに。
 でも、みんなエヴァが見たかった。
 このアニメはなにかが違う、それだけのものがあった。
 そして、俺の高校生活はあのTV版の例の最終回と共に終わった。

 ゲーム系の専門学校でクリエイターを目指しつつ、俺は仙台での寮生活を始めた。周囲に今までの友達はいなかったが、すぐに親しい友達が沢山できた。男子寮、それは無数のオタクがひしめき合う不夜城…学業そっちのけで、深夜まで格ゲーを対戦し、アニメを見て、酒を飲んでは語らった。
 当時はまだ、スクールカーストという言葉すらなかった暗黒時代だ。
 中高と「学校でオタクとばれた瞬間全てが終わる」という灰色の青春を送って、土日だけの友達との日々、薄暗いゲーセンにしか居場所がなかったながやん少年は、解放されたのだ。
 そして、旧劇場版エヴァンゲリオンが再び俺たちに訪れた。
 否…俺たちは襲われたのだ。
 やはりあの終わりには納得してない、それは監督も同じなんだ!そう思っていたファンの熱狂は、既に社会現象となっていた。世にいう、第三次アニメブームだ。俺らのようなオタクから見て勝ち組のオサレなリア充が買うような、ファッション雑誌の表紙がエヴァだった。エヴァの考察本や謎本が本屋で平積みされ、ちょこちょこエヴァを語る芸能人も現れた。週刊誌は大物俳優の不倫や政治家の汚職と同列に、エヴァの話題を扱ったんだ。
 ちょっと信じられなくて、自分のことじゃないのに嬉しかったね。
 で、旧劇場版の完結編を見て、鬱屈が混乱へと変わった。

 当時の俺は若気の至りというか、インテリオタクをこじらせていた嫌なガキだった。まあ、今もだけど(笑)
 俺は、みんなが不平不満を言う様を、少し引いて見ていた。
 あの難解で意味不明なラストに、意味を見出そうとしていたんだ。
 そして「まあ、俺にはわかるけどね」みたいな自分に酔ってたんだね。
 色々と調べて読んで、その時初めてエヴァではなく、エヴァを作ったアニメーション監督…庵野秀明さんのことを沢山知った。




















 さて、そろそろネタバレを語る時間が近い。
 未見の方はここまで、さあブラウザバックだ。
 ネタバレされてもOKな方は、もう少しお付き合いを。































 庵野秀明さんは、ガイナックスというアニメーションスタジオのアニメーターだ。当時は「ナウシカのあの巨神兵のビームを吐くシーン、あれが庵野さんの仕事なんだぜ?」と言えば通ぶれて、そこでさらに「マクロスプラス第一話のYF-21の離陸シーンもなんだぜ」と言えばマウント完了といった感じだったね。
 でも、ダイコンフィルムは見たことがない。
 田舎のオタクだから、そしてそれを隠して生きてきたから。

 ガイナックスという組織についても、少し語っておこう。
 小学生の頃、従姉のお姉ちゃんが買って読んでるアニメージュを見てた。そこで、どうしても見たいアニメに出会った。記事を一目見て、ビビっと来た…それがガイナックスとの出会いだった。
 王立宇宙軍オネアミスの翼…俺は今でも、日本のアニメ十選を選ぶとしたら、必ず入る傑作だと思っている。絶対に見るべきアニメだし、創作に関わる人間ならなおさらだ。因みに、日本で初めて本格的にCGを使ったアニメでもある。僅か数秒のカットに多額の金が飛んで、オネアミスは恐ろしい完成度と振るわぬ興行収入で無冠の名作となったのだった。
 因みに、主人公シロツグがヒロインを襲って強姦しようとするシーンがあるけど、小学生の俺は理解できなくて、何度も従姉のお姉ちゃんに聞いたっけ。ごめんね、なにも答えられなかったの今ならわかるよw
 オネアミスで多額の借金を背負い、ガイナックスはその返済のためのアニメを大ヒットさせる。それが、トップをねらえ!である。大胆なパロディを随所に散りばめつつ、銀河を震撼させ一大サーガとなって大熱狂を生んだ。その後もナディアが生まれ、エヴァのあとにもカレカノ、フリクリやトップ2、そしてグレンラガンが喝采を浴びた。
 だが、今になって俺はもう、知ってしまった。
 その時にはもう、気高いクリエイター集団だったガイナックスは…その内部から腐って崩壊し、ただの利権集団に乗っ取られていたのだった。今思えば、不自然に生まれたエヴァやガイナ作品のゲームの数々、あれがまず一部の人間の権利を乱用した雑稼ぎだったのかもしれない。
 そうした会社の首脳部に対して、庵野さんは現場の人間で居続けた。
 アニメの職人として、経営は詳しい人に任せ、作品のクオリティに向き合う。それは間違ってはいなかったが、悲劇を生んだ。宮崎駿さんには鈴木プロデューサーがいたが、庵野秀明さんにはそうした信頼できる「酸いも甘いもかみ分けたブレイン」がいなかったのだ。
 庵野さんがやばいと思って経営にもタッチし始めた時、全ては遅かった。
 偉大な名作の資料や原稿は散逸し、知らない間に子会社、孫会社ができていた。
 これが、庵野さんがエヴァ関連の一切合切を引き上げガイナックスから独立し、スタジオカラーを作るに至った経緯である。

 さて、スタジオカラーが設立されて、改めてエヴァがリブートされた。
 エヴァ序が公開された時の、庵野さんの言葉を俺は忘れない。

 ――もう一度エヴァをちゃんと終わらせない限り、前に進めないんです。

 プロのクリエイターが吐露する本音の本心だ。だが、この言葉をどう思うかは人それぞれで、プロとして失格だと評する価値観も理解している。なにより多分、庵野さん自身が痛い程わかっていた筈だ。
 クリエイターの仕事は、ルーチンワークではない。
 しかし、仕事をして金を稼ぐこと、プロであるということは…締め切りを守り、納期を守り、その限られた時間の中でクオリティを上げることに集約される。既に二度も終わっている作品を、今改めてリメイクしてもう一度終わらせる。それを許容する企業は、圧倒的に少ないだろう。
 甘いロマンチシズムだと切り捨てることもできる。
 なにを青くさいことをと、笑い飛ばすことだってできた筈だ。
 けど、そのために庵野さんは会社を作ったし、一緒にやろうという者だけが集まったのだ。そして、もう一度映画を作ったら確実に売れる…それだけのポテンシャルがまだ、エヴァにはあった。
 何故なら、俺たちはまだそれまで…本当の、本物のエヴァを知らなかったからだ。
 本当に庵野秀明というクリエイターが魅せたかったもの、それが新劇エヴァには詰まっていた。敢えてテレビ版を踏襲した序、大きな分岐点となった破、そしてテレビ版後半の雰囲気を突然思い出させたQ。どれも素晴らしいクオリティだった。
 そして今日、ついに完結…シン・エヴァンゲリオンを見てきたって訳。

 率直に言うと、想像以上に素晴らしい出来だった。
 テレビ版と旧劇版を超えてきた身としては、メタ的な「創作物としてのエヴァ、虚構のアニメであることを前提としたエヴァの演出」は予想できた。そして、またそうならちょっと不安だなとも思ってた、
 エヴァはシンジたち作品内のキャラクターたちの物語だ。
 でも同時に、庵野秀明さんという生みの親にとっての物語でもあった。
 テレビ版エヴァは、日本で制作委員会方式の作成手法を取り入れたアニメの走りだった。多くの出資者を募ることで、金策面でのメリットが生まれた。しかし同時に、無数の「政策委員会に参加する部外者」が口を出し、その分だけ中抜きのように予算を持ってゆく。
 結局、制作委員会方式は庵野秀明さんを苦しめ、追い詰めていった。
 氏も後に「責任者が誰なのかがあいまいになって、失敗だったかも」と語ってる。
 テレビ版後半から、急に作品のクオリティが落ちた。のみならず、内容が難解なディスコミュニケーションの乱発になり、ドラマが失われていった。人類の命運も世界の危機も、シンジとその周囲の人間関係の中で霞んでいったのだ。
 当時も旧劇版の時も、庵野さんは限界だったんだと思う。
 ただいいアニメを作りたい、好きなアニメを作って職人として生きたい…そう思って頑張ってきた中で、デカい企画が大当たりした。なのに、作品の大成功が彼を幸せにしなかった。のみならず、大きな不幸を無数に呼び込んでしまったように思える。
 オタク少年が大きくなったような、そんな子供心が失われていった。
 利権やスケジュール、無数のメディアの反応…かなり辛かったに違いない。

 当時の庵野さんを批判し、だらしない、プロ失格と思うのは、それは当然だ。あってしかるべき視点であり、その価値観を持って処断することも一つの捉え方だと思う。
 俺だって当時は、庵野さんを擁護しつつも不満に思ってたのも事実だ。
 けど、色々な方面から事情を知り、なんともいえない気持になった。
 だから、新劇エヴァがはじまった時は本当に嬉しかったんだ。
 そして、思った…俺もまたクリエイターのはしくれ、小説家だ。ラノベ作家なんだ。そんな俺に「この作品を納得した形で終わらせてやらないと、その先に進めない」って言わせる、それ程に熱意を込めて大切にしている作品があっただろうか?俺は商業創作の世界では、出版では納得のいく作品を書けたことはない。真剣に取り組んでクオリティに最大限の労力を注いでも…初週の売り上げの数字で打ち切られ、想定された終わりを迎えた作品を持っていないからだ。
 庵野さんは贅沢だ。
 三度目の正直に挑むだけの力がある。
 それだけのものを生み出した実績があるんだ。
 人は熱意や信念だけでは動かない。
 エヴァで今度こそ、もう一度だけ観客を沸かせたい。その客が払ってくれたお金を、仲間たちと分かち合っていきたい。そういうことができるだけの偉大なクリエイターなんだと思うんだよね。

 あ、さて…シンエヴァのネタバレを含む話を。
 いやこれ、パリっ子大歓喜だろ!そっか、ユーロではネルフ支部はパリにあって、そこも要塞都市になってるんだね。因みにパリが戦場になるのは、ふしぎの海のナディア以来二度目である。しかも、シールド戦艦の一隻がエッフェル塔に激突…これはNノーチラス号がレッドノアにやられてエッフェル塔に叩きつけられたシーンのセルフオマージュである(笑)
 そゆとこだぞ、庵野!
 俺が好きなのは、そういうとこなんだぞ!
 そして、絶望の中で立ち上がる最終決戦というシリアスムードは、その後も散りばめられたパロディやオマージュに埋もれることがなかった。一貫して作品の最終章として突っ走り、物語を戦うためにドラマを盛り上げているシーンばかりだった。

 一つ、Qの公開時から持論としてきた予想が当たった。
 加持リョウジは死んでいた。
 別に嬉しくはないし、この予想をしていたのは俺だけじゃない筈だ。因みに、トウジも死んだと思ってたけど、こっちは生きてた。委員長と結婚して子供を作ってたけど、名前はツバメ…九州新幹線だね。
 さて、話を戻すと、ずっと加持さんは死んだんだろうなと思ってた。
 でなければ、Qのミサトさんのあの態度、シンジへの扱いが説明できない。
 これは身も蓋もない言い方だけど、破から14年が経って、ニアサードインパクトで地球と人類が破滅を迎えた中…5分話せばシンジとミサトさんは以前の仲を取り戻せる筈なんだ。
 でも、その5分をミサトさんは惜しんだ。
 5分話すことすら不可能だったとしたら?
 あの時、「いきなさい、シンジ君!」と叫んだ彼女にとって、なにが耐えられないことか?それは恐らく、愛する人を失ったという現実だ。シンジと話せば、加持さんを失った事実も語らなければいけない。自分が行けと言った結果、加持さんが死んだという結果に向き合わなければいけない筈だ。
 だが、Qでできなかったそれを、ミサトさんはやりとげた。
 結果を受け止めることは、大人にしかできない。
 子供がしでかした結果も、子供に代わって受け止める。
 それは、子供を育てて守る大人の役目、責任なのだ。
 大人不在のアニメ故に。酷く狭い人間関係の中でディスコミュニケーションを乱発してきたエヴァ…その最後に、一番大人になってほしかった人が、ようやく大人になれたのだ。
 仕事に尽くすことも、子供を産み育てることも、大人の条件ではなかった。
 大人になるということは、誰かの重荷を引き受け、責任を持つことなんだ。

 あと、第三村にも言及したい。
 Qで再会した時、何故第三村の存在が伝えられなかったか。シンジが衛星軌道上に初号機ごと封印されて14年…その間に、ミサトさんたちは反乱を起こしてネルフから離反、ヴィレという反抗勢力になって戦ってきた。その始まりときっかけは加持さんの死だったし、ヴィレの戦力や組織力はお世辞にも満足いくものとは思えない。既に守るべき世界は滅びかけてて、逆転の一打がホームランになる確率も小さい。
 それでも戦うことを選び続けるためには、強い精神力がいる筈だ。
 それは時に、人間性や優しさ、いたわりの気持ちを凍らせるしかない。
 あと、あまり時間もなかったしね。

 そんな訳で、どっこい人類は生きていた!第三村で田植えだ、風呂だ、再会だ!なんていうか、再会したトウジとケンスケ、そしてヒカリの優しさに癒される。同時に、酷くうすら寒くなった。しらじらしいとか、やけに人格者だとか、そういうんじゃない。
 ニアサーという過酷な大災害が、彼ら彼女らを立派な大人にしてしまった。
 生き残るために人の道さえ外れたからこそ、酷く老成した物分かりがよくて慈愛に満ちた大きな人物にならざるをえなかったんだ。彼らは14歳の14年後、28歳だ。序破やテレビ版のミサトさんの年齢なんだ。風呂上がりのビールをプハー!したいだろうし、無軌道な若さにものを言わせて、冒険してもいい年頃なんだ。立派なことやる前に、まだまだ若気の至りで色々な経験ができる年頃なんだよ。
 彼らには、生きるための選択肢が少なかった。
 もう、若者の青春や人生の謳歌なんか、やってられない。
 まず、生きねば。
 生きてる限り、支え合わなければ。
 一見してユートピアに見える第三村は、明日をも知れぬ世界である。他にも複数の集落の存在が明かされているが、どれもヴィレ(の作った支援用組織)によってギリギリ存続している場所である。作中では厳しい生活、満足のいかない食糧事情があって、描写されてる場所以外での辛く苦しい暮らしぶりが容易に想像できる。
 敢えていい人、のどかな光景だけを描くことで、見る側に暗部を感じさせる。
 ヒカリの父親が言うように、食事を無駄にする人間が許せない…それくらい、逼迫した中でのサバイバルが今も続いているんだ。田植えだって、微笑ましい光景に見えるが、あれを怠るだけで人が死ぬ。予定通り作業が進まなければ人が死ぬのだ。
 皆が仲良しで、絵に描いたような「理想の田舎暮らし」は、ディストピアなのだ。あそこでは、周囲の人と協調しなければ死ぬ。孤立すれば死ぬ。孤立した人間に優しいのは、死んでほしくないからもあるし、その人が死ぬだけで労働のリソースが減るからだ。
 勿論、ニアサーを乗り越えたことで優しくなれたのもある。
 でも、みんな夜は一人でこっそり泣いてる筈だ。

 凄い嬉しかったのは、アスカとケンケンこと相田ケンスケの関係だ。25年前のあの日、この二人が親しい仲になると誰が思った?もう、シンエヴァの二人がエモ過ぎる!結婚してほしい!
 因みに鈴原トウジと相田ケンスケは、エヴァのキャラ命名規約の外にいる人間だ。この名前は、村上龍先生の著作「愛と幻想のファシズム」の主人公たちから取られたもので、俺が氏の著作を片っ端から読み、ファンになったのもエヴァがあったからである。エヴァのキャラクターたちに与えられた名前の話は、後述としよう。
 いやもう、大人ケンスケ最高じゃね?彼、テレビ版では家出したシンジと山で会って、一緒に過ごしてたよね。あの辺のとこ、拾ってきたなって思った。そして、トウジも優しかったけど、ケンスケは同じ優しさを持ってる上に優しさの使い方が上手い。多分、彼自身もオタクとして孤立した人間の辛さを知ってるからだろう。
 痛みを知る人間は、他者に優しくなれる。
 だからこそ、第三村全体の優しさが、苛烈な痛みに裏付けられてるんだなと思うと、切ないね。ケンスケは父親をニアサー後に、どうやら第三村で失ったらしい。事故死っていうから多分、あの村には「生き抜くためにやらなきゃいけない危険な仕事」があるんだろう。電力や化石燃料も限られてるだろうしね。

 あとはもぉ…アスカ!アスカ!アスカアアアアア!アスカは実は、テレビ版や旧劇版と大きくキャラ設定が異なるキャラだ。でも、最愛の推しには変わりなくて、今日完結して確信した…俺は一生、アスカ推しとして生きるんだなと思った。そりゃー、ロン毛綾波もかなりのインパクトだったけど、やっぱアスカですよ。
 以前は、蒼龍・アスカ・ラングレーだった彼女。
 今は式波・アスカ・ラングレーだ。
 新劇版では、アスカもまたレイと同じ造られたチルドレン…式波シリーズと呼ばれるエヴァパイロットをやるためだけの人工生命体だった。テレビ版の「人工授精で生まれた天才児で、母は首を吊って死んだ」というのはなくなり、新しいキャラクターとして描かれている。
 レイと一時期は、シンジを取り合う動きを見せていたアスカ。
 料理対決は見たかった気もするけど、彼女が実はレイと同じ土俵に立ってるとは思わなかった。今のアヤナミレイはネルフの補佐がないと生存不可能なロッドみたいだけど、アスカは以前のレイと同じ「人間同様の生活で生命を維持可能なモデル」らしい。そして、エヴァの呪いによって14歳の肉体年齢のままで人間の機能を失い、エヴァのパイロットとしての機能のみの肉体で生きている。14歳の肉体年齢に強制固定された28歳とか、エロゲーか!R-TYPEⅢか!最高かよ!
 眼帯の謎も明かされたけど、一番よかったなあと思うとこ…最後の出撃前に、シンジに告白するとこ。好きだった、それは切ない過去形の恋。俺たちが何度となく妄想してきた、アスカの幸せな未来の全てを心地よく裏切り、それが全て色あせるようなエモさだ。そんな彼女に今、ケンスケがいてくれる…別に、恋人同士や親子、家族だけが居場所じゃない。でも、あのアスカがケンスケには心を開いていたように見えて、それが凄い救いになった。

 あとはまあ、ぶっちゃけエヴァじゃなくて、ただのロボットアニメとして見ても最高の最の高、スタンディングオベーションである。旧劇版のネタも全部拾って、全て結末に導いている。旧劇版のあの時、真の完結編として世に出て、エヴァをさらなる奥深さの中で停滞させていた、その全てを今回上書きしてきた。
 気持ち悪い、とアスカに言わせたあの渚で、シンジがありがとうを言えた。
 巨大綾波の出現を前にしても、シンジのために戦うミサトさんがいてくれた。
 シンジが改めてヴィレに戻った時、彼の成長が確かにあった。
 シンジを憎む人さえ、最後にはシンジを助けるミサトさんに手を貸したんだ。
 ちゃんと、世界が救われ、見てる側にも興奮と感動が届いた。
 セカイ系と言われたエヴァは「数人だけの狭い世界」から「あらゆる命を育んできた、救うべき世界」の広さと尊さをちゃんと描き切ったんだ。

 そして、最後に…エヴァは船なんだ。
 俺たち、80年代から90年代を生きたオタクたちの、希望の箱舟なんだ。その長い旅路は、嵐の連続だった。逆巻く波濤の中を超えて、何度もエヴァは島に辿り着き、多くの港をめぐってきた。
 けど、どこにも錨を降ろしてこなかった。
 ここが終着点だと思えた場所から、その都度何度も船出した。
 楽な道を選んでこなかったし、楽をしたら誰も救われないことを船長はわかっていたんだろうね。だから、航海は続いたし、これが最後の航海だという決意と覚悟も見せてくれた。
 そして今、航海は終わった。
 エヴァのキャラ名は、多くが船舶に由来している。キャラの苗字が旧帝国海軍の艦船を引用されていることは、これはもう凄く有名だ。そして、一部を除いて女性には航空母艦の名前がつけられている。空母、つまり「大海原の母なる存在」だ。まあ、船舶は女性名詞なので、戦艦も巡洋艦も「彼女」なんだけども。
 葛城、赤城、イラストリアスは空母で、作中で「物理的に妊娠と出産が可能な女性キャラ」である。マリはエヴァの呪いを受けたチルドレンだが。セカンドインパクト以前の普通の女子大生だった頃があるため、これに該当するとして旧ロイヤルネイビーの装甲空母イラストリアスの名がついてるのだろう。また、テレビ版で生理の痛みに「子供なんていらないのに」と言っていたアスカも、蒼龍とラングレーの空母名を持つため昔は普通の人類の女性だった。
 対して、綾波は駆逐艦の名で、これは「レイは母親にはなれない女性」であることを暗示している。新設定での式波(敷波)と、マリの真希波(巻波)も駆逐艦の名で、ようするにチルドレン(というか、エヴァ由来の人工生命体&エヴァの呪いを受けた女性)は、妊娠と出産が不可能な存在と暗示しているんだろうな。
 面白いのが、元ネルフのオペレーターである伊吹マヤ。彼女の伊吹というのは、これは重巡洋艦なんだ。ただ、戦況悪化の中で空母に作り替えられたけど、完成する前に終戦してしまった。つまり「元から空母じゃないし、空母とされても空母の仕事はしなかった」と言える。これは、潔癖症で男嫌い、もしや同性愛者?という彼女にマッチしている。「元から男性の求める女性じゃないし、女性として社会に出ても女性として妊娠や出産はしない」という訳だ。因みに摩耶というのも重巡洋艦の名前で、高雄型四番艦である。摩耶は戦時中、対空能力を強化され、対空砲を増設する改修を受けた。艦載機(空母から見て子供)を撃ち落とす能力を強化された名前というのもまた、興味深い。
 他にも、碇(錨)や加持(舵)、六分儀(ゲンドウの旧姓)、冬月(駆逐艦)、青葉(重巡洋艦)、日向(戦艦)、キール議長(keel、船底や竜骨を指す)など、エヴァには船舶の名前や用語が多く用いられている。
 そう、エヴァは船だ。
 だから、最後はヤマト作戦なのだ。
 庵野さんの世代には、宇宙戦艦ヤマトは特別だからだ。
 この船は軍艦ではない、だから庵野さんは艦長ではなく船長だ。
 ヱヴァの第三次アニメブームは、俺たち平成世代のオタクにとって希望の箱舟だった。今思えば、苦難の航海を船長と共に25年生きたこと、これはとても大きな財産だ。俺は多くの作品に刺激を受けたが、エヴァはその中でも比重の大きいコンテンツだ。そして、エヴァを通して庵野さんを知り、好きになって、ずっと応援してきた。

 今、ヱヴァという箱舟は新大陸に到達した。
 二度、航海を終わらせるタイミングはあった。
 でも、錨を下ろさなかった。
 今回、最後の旅を終えて、エヴァは完結した。
 やっと錨が下りたのだ。
 まだまだ語りたいことはあるが、ここで筆を置きたい。今、新天地たる未知の大陸へと、エヴァという箱舟は辿り着いた。そこから先に、上陸した庵野さんたちスタッフは歩み出すだろう。次の作品に期待しつつ、他にも感じたアレコレを箇条書きでまとめて結びとしたい。
 庵野さん、そして全声優さんと全スタッフさん、お疲れ様でした。
 ここまで俺を乗せてきてくれて、ありがとうございます。
 俺もまた、新大陸で歩いて、苦しくて倒れても這い上がりたい。そしてその都度、振り返るでしょう。港でようやく役目を終えた、エヴァという美しい箱舟の姿を。

・っていうか「痛々しいわね」っていうリツコさんの姿が一番痛々しいわいw
・戦艦シールドファンネル!ユニコオオオオオオン!
・つーか、戦艦が一回も大砲撃たないのに大活躍ってどゆこと!?
・エヴァ二号機って、ロボ浪漫最高レベルの「マント」「包帯」「暴走」「フルアーマー」を全部やった子!?
・てか、アスカ!マリ!二人はエヴァキュア!
・ケンスケの家にやたらレーションあるの、あれ絶体アスカのストックだよね
・エヴァの呪いで味覚もないし、食事はレーションで十分てアスカの惨状な
・アスカの全裸見た時、シンジくんはやっぱエグい傷痕とか見たのかなあ
・マリが最高だった、破から参戦してきっちりエヴァに馴染んでた
・マリがユイの大学時代の友達、知り合いだったのは漫画で履修済みだけど…泣くだろこれ
・イスカリオテのマリア…だから、イラストリアス!イスカリオテとかけてる?
・ヴンダーは種の保存のための箱舟…おいばかやめろ、泣くだろそんなん…
・加持さんのすいかは今も、宇宙を旅してる
・シンジくんの「涙は自分しか救わない」って、名台詞…刺さる台詞だなあ
・これ、レイやアスカを指しおいてマリが最後にシンジと…って見方は浅はかだぞいw
・マリが「自己紹介まだだったよね」って言うまで、気付かなかった…
・シンジくん、十年近くずっと「パラシュートの少女」だったのか、マリのこと
・てか、子供ゲンドウの部屋になにかのフィギュアがあったの、見逃さなかった
・戦艦シールド!(砲は撃たない)戦艦ミサイル!(砲は撃たない)
・第三村に補給物資持ってきた空母っぽいの、自衛隊の出雲or加賀?日向?
・第三村でのシンジ君への接し方、どのキャラも凄いリアル
・しかも、リアルな上にみんな優しい、優しさの使い方が上手い
・なんかもう「優しくせなあかんな…」みたいなの切ない
・エンディング、新曲からのBeautiful Worldって泣くでしょ
・次はシン・ウルトラマンだから、その次はシン・仮面ライダーを頼む!
・てか、スタッフロールにジブリの鈴木Pが!おーまーえー、そゆとこだぞwww
・もうこれ、鈴木Pの手で庵野さん監督のシン・ナウシカくるで
・漫画版三巻のクシャナ殿下無双を庵野監督でアニメ化したら嬉しい!

はじめまして!東北でラノベ作家やってるおっさんです。ロボットアニメ等を中心に、ゆるーく楽しくヲタ活してます。よろしくお願いしますね~