記事と私のなんでだろう。


ながしま。今はお昼。


新作のコンビニスイーツが私は好きで、そういったスイーツについてコメントだったり、記事を読むと、なんてそんな豊かな表現ができるんだろうと思うことがある。

私は、おいしいなと思う食べ物を口にする時、おいしい。思ってたよりおいしい。コスパのわりにはいける。クリームのふわふわ感がよかった。としか思わない。それでしかない。それ以上考えようとすると、あくまでも自分自身の場合、何か人に伝えるために言語化しようと、あるいは、人のためにご飯を食べているかのように思ってしまう。ひねくれているのだろうか。



アーティストに対して、好きという感情はものすごくある。なのに、それを文章化してきれいに書くことはできない。熱量のこもった記事を読むと、たしかに。それわかる。と思うけれど、その記事読んだ時にも、その感情でしかなく、それでしかない。

尊い。かわいい。かっこいい。と思うけれど、「〇〇が〇〇で〇〇だから、〇〇で、尊い。だから、〇〇さんは、、。」

この技術はなかなかすごいことだと思う。自分の想いをちゃんと話せる人。最近、自分の想いを話す機会を求められることが多くなったから、社会では、自分の想いを話すことが大切なんだろうな、と思うことが多くなったから、

単純にすごいと思った。


人と話していて自分が何を言っているのか、さっぱりわからなくなる時が軒並みならないくらい、異常なくらい、増えてきてしまったから。これから、ここで文章を書く練習をしてみようかなと思った。


記事にする人は、それを仕事にするライターだから、表現するのが、仕事だから。と言ってしまえば、そう。けれども、自分の想いを色とりどりな表現で表せる人、本当にすごいと思う。


自分にはなんでその力が乏しいんだろう。

なんでだろう。ながしま。




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