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【感想】ブラックシンデレラ第1話・第2話(ABEMAオリジナルドラマ)

4月からABEMAで始まったオリジナルドラマ「ブラックシンデレラ」。
今回は1-2話の感想を簡単に。ストーリーというよりは「表現」に重きを置いて好きな点・気になった点をまとめてみた。


好きな点

●「美を求めることを否定する」スタンスではない
ルッキズムをテーマにするとはいえ、ミスコンという晴れ舞台に向けて"美を求め努力する姿"など、外見を磨くこと自体を否定するわけではないスタンスである(実際に綺麗になることに主人公は多少なりとも快感を感じている)。個人的に「ルッキズムを否定すること≠美を求めることを否定すること」だと思うので、このドラマのスタンスに対して自分は肯定的です。視聴者も共感しやすいのではと思う。

気になる点

●ルッキズムが「話を進めるための表面上の装置として使われている」
「外見だけの美しさが全てではない」というメッセージに強烈な説得力を持たせるためには「どうして橘(神尾楓珠)が神谷(莉子)のことが気になるのか、好きになるのか」を丁寧に描くべきではないか。最終的には「傷(外見)なんて関係ない」ことに着地するとして、男性側の心の変化が、①元々は顔から入ったが、知れば知るほど内面に惹かれていった、なのか、②最初から素敵な内面に触れていたからこそ傷なんて関係ない、なのか。正直、外見をルッキズムを正当に否定するのであれば②の方が筋が良く、納得感も増すのでは?
このテーマを扱う以上、繊細になるべきポイントが抑えられていないため、「装置としてのルッキズム」という印象を受けてしまった。

●外見の美しさが表現しきれていない
良いところでも記載したが、「外見の美しさ」や「それを求める価値観」自体は肯定するスタンスである以上、そのシーンはちゃんとかっこよく/可愛く魅力的に見える映像になっていないといけないはず(特にミスコンのシーンでは、そこに映る出演者のほぼ全てがミスコン登場者に対して熱狂していることから、この時点での価値観としては外見の美しさが完全に肯定されている世界)。だが、カメラ/照明/音響がイマイチでそう感じられなかった。まだ2話しか放送されていないが、後半では「内面の美しさ」に価値観が移ることが予想される。その場合、前半で外見の美しさを際立たせて演出していることで、その価値観が後半で変わる落差が映像的にも表現でき、視覚的にも視聴者がよりその変化/成長を実感できるのでは?と思ってしまう。

●古臭い演出の数々
私は30歳を過ぎているため実態と乖離があるかもしれないが、今の若い世代は「コミュニケーションの表現」に関してすごく敏感だと想像できる。そこの表現が本作のように"非現実的"であることで冷めるのではないか?恋愛リアリティ番組が若者の気持ちを捉えているのはそういうことだと思う。
気になるシーンとして、例えば、橘(神尾楓珠)が神谷(莉子)と話している際に、急に立ち上がり神谷がいる向きではなく遠くの方を見て臭いセリフを話している。他にも静かな図書館で神谷とその友人が、机に向かって勉強している人々の横を普通の声で歩きながらミスコン出場について話している。
このような、意図がなく、過去にみたことがあるような演出を採用している。「動き」を生みたいのはわかるが、意味のないどころか、コミュニケーションとして非現実的で、ドラマへの没入を妨げる。
それに加え、いまだにステレオタイプ(地味な子=メガネ)な表現を引きずっているのも気になる。「テレビの再発明」を掲げる以上、そのような古臭い演出に批評的であってほしい。


この4-6月の地上波新作ドラマの出来が良いのもあり、粗が目立ってしまうのは仕方ないかもしれないが、地上波テレビが新しいことにチャレンジしているなか、ABEMAもテーマとして社会的なイシュー(ルッキズム)に向き合う以上、これまでのステレオタイプの表現からの脱出を期待する。

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