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気づきと解放

先日、新月の朝に引いたオラクルカードで「解放」というキーワードが出てきて

そして、その後に浮かんできたのが

「私は醜い」

という言葉だった。

私は、醜い。

胸が詰まる。

そう、過去にも、自分の体型などに対するコンプレックスがあることは自覚してきて、その都度手放してきたつもりだった。

けれど、今回出てきた「私は醜い」という思いは、なんというかそれらより、より強固というのか。

おそらく今の人生で受けた傷とかではなく、もっともっと根深く脈々と受け継いでしまったものであるような気がしている。

私は醜い。
私は汚い。
私は気持ち悪い。

自分の外見を、そんな風に位置付けることは、とても辛く悲しく苦しいことだ。

けれど、そう思わざるを得ないような、強烈な出来事が、それも長きに渡ってあったのだろう。

むしろ、そんな風に自分を醜い者としておいた方が楽であるような…そんな状況にあったのだろう。

それがどんな出来事だったのか。今現在の私には想像もつかないけれど。

頭では解らないけれど、そんな過去の思い込みが、今の自分の制限に繋がっているということは予想できる。

醜い存在でいれば、争いに巻き込まれずに済んだのかもしれない。

醜い存在でいることで、身を隠したかったのかもしれない。

醜い存在でいれば、意に沿わないことをさせられることもなかった。

だから「醜い者」でいられる努力を重ねた時代があった。それによって心の平穏を感じることができた時代があったのだ。たとえそれが、一時のことだったとしても。

どこか必要以上にコンプレックスが強かったりする場合、今の自分というより、自分の頭で知る由もない過去の過去の過去の自分、もしくは顔も知らない遠い遠い先祖の、でも脈々と受け継がれてしまった、記憶の残骸なのかもしれない。

そんなの考えたってわからないよ。

だからその、原因探しはしなくていい。

ただ自分の中にこんな観念が、根付いてしまっていたことに、気づいてあげるだけでいいのだ。

潜在意識下にあるものは、どうすることもできない。
けれど、それが顕在化することで、自分の中の装置が発動してくれる「こんな思い込みがありました」と。

「ある」ことがわかれば、必要と思えば保存されるし、不要と思えば捨てることもできる、きっと自然に、自動的に、無意識に。

無理にどうこうしようとしなくても、気づくだけでいいとはそういうこと。

気づきとは、本当にパワフルなものなのだ。

だから私は気づきたい。

知らないままで苦しみたくない。

知ることも、それは苦しいかもしれない。

でも、何だかわからないまま、もやもやしてすっきりしない状態で、その場しのぎしながら生き永らえるのは嫌だ。

こんな風に私は解放する。

そのために沢山の気づきを受け取る。

受け取りやすい状態に自分の身を置く。

「だから静かになりなさい」

マスターの言葉はここに繋がる。

気づきを得るために、

不要なものを削ぎ落とすために、

軽やかに本来ある自分を行くために

私は生きている。

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