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好きはただ好きでいい、理由なんていらない。

私は料理が好きだ。

でもなんだかそれを公言できないような、自分を「料理好きの人」のくくりに入れちゃいけないような気がしてきた。それはきっと、私が頭で思い描く「料理好きの人」の像に、自分は当てはまってないと、思ってきたから。

じゃあ「料理好きって公言していい人」って、どんなイメージかというと「料理をすることを、常に面倒に思わない人」ということかもしれない。

この「常に」がポイントで、私の場合、かなりムラがあるのだ。

その気になると、かなりマメに色々作るんだけど、やる気がないと全然ダメ。日常の料理を義務的にこなす状態。時間だから、仕方なく弁当を作る。時間だから、仕方なく夕食を作る。やりたい、というより、ああ時間だからやらなきゃ。みたいな。義務感。こういう気持ちになるくせに「料理好き」って言うのはどうなの?という。

そこには「ちゃんとしなきゃダメ」という、自分へのダメ出しがある。

ちゃんとしてない私が、料理好きなんていう資格ない。そんな風に思ってる。

でもこの自分へのダメ出しって、何なんだろう?

食べ物や料理に興味があるから、レシピを見るのも楽しい。材料や作り方にも興味があるけど、料理写真自体も好きだ。実際自分で作ってみて、どうやったら自分好みになるかを考えてアレンジしたりとか。料理や飲食店をテーマにしたエッセイや本も好き、もちろん実際に食べることも、飲食店も、小売店も、好きだよね。

これもう普通に、「料理好き」、でいいじゃんね。

料理が大好きで作ることも大好きで、365日24時間好きばっかりの人じゃなきゃ「料理好き」って言っちゃダメなのか。気分にムラがあって、やる気があったりなかったりしたらダメなのか。

そんなことないよなぁ。

このナゾの完璧主義みたいなもの、もういらない。

「ちゃんとしなきゃダメ」の呪いも、もういらない。

もっと、単純に、簡単に、ただ「好き」でいいのだ。

さよなら「ちゃんと」。

私はもっと、シンプルにいくべきだ。

あれこれ考えを巡らせて、理屈を捏ねるのが好きな質だとわかってる、でももうそういうの疲れてくる。


もっと簡単にいこう。

空っぽでいこう。

考えすぎもやめよう。

好きはただ好きでいい、理由なんていらないのだ。

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