ただの自分を肯定するということについて勘違いしていたこと

色々とがんばって生きてきたつもりだったんだけど
なんだかうまく行っている気がしなくて、
どうしたらいいのか答えを探した。

辿り着いたのは
何も出来ない自分もOK、という考え方。
ありのままでいいんだ
赤ちゃんは何も出来ないけど
それだけで愛されているでしょう?って。

ちゃんと納得したわけではなかったけど
そうらしい、
ので、
そういうことにしてみた。

何もしない自分を愛そうと思った。

極力何もしないようにした。

それで、そういう自分も愛してみようとした。

でも、苦しさは
消えなかった。

これまでずっと
たくさんお金を持っている人がエライ
学歴高いほうが優秀
ブランドもの身につけている人の方がハイスペ
とか
ま、そういう世に溢れる価値観で生きてきて

いや、そうじゃないじゃん!

ってとこまでは、分かった。一応。

お金じゃないじゃん
学歴じゃないじゃん
身に着けているもの関係ないじゃん

で、
ここで間違えたの。

お金否定
学歴否定
持ち物否定

という方向に向かってしまった。

何もしてない自分がいちばんエライ☆

どこでどう解釈してしまったのか。

何もしてない自分がいちばんエライ☆
と浅いところで思い込んで
でも、深いところにある信条は
何かしていなければ価値が無い、だったから

何もしなければしないほど
本当はどんどん苦しくなっていたんだ。


自分のことを全肯定する


それって
つまり
何も出来ない赤ちゃんの頃の私もOKだし
成長して色んなことができる自分もOKなんだよね。


ほんとにさっきまで盛大に勘違いしてて
beingの状態の私 だけ がOKで

doingの状態の私は否定する対象にしちゃってたんだす私。

でもさ
まあ
普通に考えて
人間何かしらdoしてないと
生きていけないわけで。

doを否定したら生きていけないわけです。

doingの私もOKだし
beingの私もOK


ただ、doに関しては
際限がないし、
beingの私OKを前提に

誰かと比べて
何かしらのdoが出来ないとか
haveしてるスペックが少ないだとか
比較する必要は無いってことだよね。。。

うぉぉ。
すげぇ勘違いしてたァァァ!!!


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