わたくしどもは。を観て


東京国際映画祭2023が開幕。
開幕って言葉で合ってる?そもそも東京国際映画祭ってなに?
映画祭なんて、ドレスアップした俳優さんたちがフラッシュをたくさん浴びてレッドカーペットを歩いている。そんなイメージしかなかった。

きょうは10/25。初めてそれに足を運んだ。
きっかけは好きな俳優さんができて、コンペ作品として出演作が出るから。
俗に言う、ただの推し活。いや、本気の推し活。舞台挨拶があるかないかも分からぬまま、抽選に応募して当たって、舞台挨拶があるのとを期待して前から3列目の席を取った。
その好きな俳優さんともし会えたら、そんな気持ちで経験したことのないくらい前の席を取った。

結局、舞台挨拶はないことが分かり、監督とプロデューサーさんのQ&Aが上映後に行われることだけ事前情報として頭に入れ、映画館へ向かった。

正直、来年公開の映画だし俳優さんに会えないなら行かなくてもいいかな。
X(Twitter、初めてXって使った)でも譲りますってポストを何個か見たし。みんな俳優さん目当てだったのかな。そう思いながら朝の働き人たちに紛れて体を揺らしていた。

映画館に入ると、いわゆる街によくいそうな人ばかり。ミーハーっぽい、私と同じ心持ちであろう人が少なく感じた。
なんていうか、当たり前にここにいる人たちだった。ライブ会場みたいな、そんな熱はなかった。みんな映画を観に来ていた。

あ、ガチで映画ファンの人たちが観に来る場所なんだ。
東京国際映画祭への認識が変わった。

映画が始まった。
ネタバレすることがないくらい、「ネタ」はない。感情もない。キレイで繊細で丁寧なものだった。

映画に疎く、いつも自分好みのキャストや脚本家ありきで映画に出会っていた私からしたら、よくわからなかった。

上映後のインタビューも、よくわからなかった。
マトを得ていない回答ばかりだな、それってただの事実説明だけだな、そんな不満さえ浮かぶような、なんとも大人な時間だった。

映画を後にしたのが13:30。
お昼を食べながら、自分の気持ちが揺れている感覚がした。

あんなによく分からなかった映画。
答えのない映画。
だからこそ、私がどう感じたか、それが答えの映画だった。

伏線のようなものは散りばめられていた。
ただ、それも美しい映像の中の、美しさを表現するだけのものなのかもしれない。
わかりやすい回収はひとつもない。
だからこそ、私がどう思うか。どう考えるか。それが無限であり、それさえも美しい。

私って、なんなんだろう。
私って、誰なんだろう。
私って、なんで生きているんだろう。

まるで映画の登場人物になれたかのような、不思議な感覚に陥った。
現実世界で、おしゃれなカフェで、イマドキな見た目のパスタをクルクルしながら、そんな難しいことを考えるのは、不思議だった。

目と鼻の間の奥がツンとした。
視界が滲んできた。
なんで映画館では泣けなかったのに、いまなんだろう。

そして、監督たちのインタビュー。
それさえ素晴らしいものだと気づいた。
答え合わせになりがちな作品へのインタビューを、あんなふうに余韻を持たせる受け答えで終わらせたのだ。

いま、私がマーブル状の感情で、よくわからないトキを過ごしているのは正しいことなんだ。
いま、私が私を理解できなくても、私が私であればよいのだ。
いま、私のことを私だと思ってくれる人がいれば、過去なんてどうでもいい。

言葉では表現し難い自問自答を繰り返し、いろんな感情を脳内でぶつけ合った。

よく分からなかった。
この映画を観て、私がなにを感じたかも、どんな気持ちになったかも。

だれが、どこで、なにをして。
5w1hに当てはめなければ気が済まない、そんな窮屈な毎日を過ごしていたのかもしれない。
5w1hに当てはめるほうが、心持ちが楽で逃げていたのかもしれない。

私が私であるために、勝手に。無理に。

わたくしどもは。を観て。
何も語れない、ここまで1500弱の言葉を打ち込んでさえ、何も語れていない。
そんな作品だった。

もういちにち観に行く予定があるので、そのときの私はなにを感じるだろう。

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